Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.172-173.
「未発表作品」(Histoire inédite)
これは驚きです.未発表作品がまだありました.ゴシニの遺稿から見つかったタイプ原稿が見開き2ページに掲載されています.題名は「ニコラ−テレビ」.おそらく『ピロット』誌上でニコラが定期的にテレビ番組の紹介をする予定だったのでは?との説明があります.
「僕が毎週,テレビのことやテレビで流れるあれこれについて,読者のみんなにいっぱい話してあげるね.」(p.173)
私は『ピロット』誌そのものを読んだことがないので,きっと予告だけでテレビ紹介はなかったのでしょう.テレビの放送について紹介しても,再放送がない限り記事を読んだ読者が実際に見てみることもできなかったから,企画として通らなかったのでしょうか.今みたいに,ある程度アーカイブが利用できれば,いろいろほじくり出せて楽しそうですが.
原稿に日付がないので,いつ書かれたのかはわかりません.でも,番外編でみたように,王室の結婚式をテレビで鑑賞しながらルポを作ったり,家電市でテレビに目がいったりしていますから,ゴシニが新しいメディアとしてのテレビに注目していたのはよくわかります.とはいえ,当時は全世界中がテレビを求めていたわけですが.
さて,サンペのイラストはありませんが,短いながらもニコラの語るお話になっていますので少し紹介しておきましょう.
まずお話はニコラのパパがテレビを買ったところから始まります.それは「ママンを喜ばせるため」と,もう一つ,「先月,お隣のブレデュールさんが一台買って,パパに見せびらかしながら,『お前と違って,俺にはテレビくらい買えるんだぜ』と言ったからなんだ.」というわけで,またもやお隣のブレデュールさんとの競争心が主要な原因のようです.ママンの喜びはむしろ付け足しかも.だって,そんな自慢を聞いたパパと「ブレデュールさんは昨日まで口をきかなかったんだ.昨日パパがブレデュールさんのところへわざわざ足を運んで,『テレビを買ったぜ』と言ったんだよ」というわけですから.悔しかったのね,パパ.
ここまで読まれた方は,すぐに(96)を想い出されたのではないですか?ニコラの家にテレビが来る話です.(96)は題名も« Ça y est, on l'a ! »で,ここで紹介しているお話も冒頭が« Ça y est ! Cette fois-ci on l'a ! »ですから,よく似ています.
本ブログ『プチ・ニコラ』(96)→こちら
そうなのですが,(96)では逆に,テレビを持っていないブレデュールさんに,パパがテレビを自慢していました.それでケンカをはじめるのはいつものパターンです.
それはともかく,ニコラによると,「昨日の夜のことなんだけど,最初が悪かった.」どう悪かったかと言うと,せっかくママンがいつもより15分だけ寝るのを遅くしていいと許してくれたのに,テレビを見始めたら,バチッと光って何も聞こえなくなり,画面も真っ白になってしまったそうです.それでパパがボタンというボタンを回したり,何度もバンバン叩いていたりしたら,「とうとう電気も消えちゃった」とのことです.やはりパパ,やらかしてくれます.
慌てたパパはニコラを連れて,ブレデュールさんのところへ助言を求めに行きました.そうしたら,ブレデュールさんの家のテレビの画面に,「超美人の女の人」が映っていました.どのくらいイケてる(chouette)かというと,「僕が怒らせていない時のママンと同じくらいきれいな人」だそうです.相変わらず一言多い,というか,怒っている時のママンはどんな顔しているんでしょうね.
「その女の人がニンマリ笑顔で僕らに言うんだ.『ごめんなさいね,テレビが壊れちゃった,何もしていないのにって場合には,すぐに修理しないとね!』だって.」(p.172)
助言そっちのけで,テレビの女性を見ていたパパとニコラに,ブレデュールさんが解説を加えます.
「テレビでよく流れてるおちゃらけなんだよ.テレビが故障しても慌てて言いに行かないやからがいるっていうんだ.すぐに行かないものだから,その間に自宅で受像機を壊しちまうってわけさ.」(同上)
まるでニコラの家の様子を観察していたかのようなブレデュールさんのコメントです.ブレデュールさんの家に駆け込んできたパパとニコラはまだ説明していませんから,単にテレビの解説をしただけなんでしょう.ですがまさにそうなんです.すぐに直しに行かず,自分でなんとかしようとすると「壊して」しまうんです.それで,ニコラの家では壊してしまったんです.パパ,先手を打たれてしまいました.
それを聞いたニコラはきっと,いつものように,なるほど!そうなんだぁとブレデュールさんの話に感心しただけなのでしょう.
「僕ね,僕はそんなおちゃらけが大好きなんだ.だから,テレビはきっと気にいるね.家のテレビも早く直してくれないかな.そしたら,そうだ,僕が毎週,テレビのことやテレビで流れるあれこれについて,読者のみんなにいっぱい話してあげるね.」(同上)
というオチにつながるわけです.
いつものKYニコラ,ブレデュールさんとの小競り合い,怒ったママンの顔・・・,といつもの『プチ・ニ』のトポス(定型表現)が出てきますから,通常のお話みたいですが,テレビに繋げようという下心?が見え見えですし,一つのお話というにはやはり短すぎるようです.
ちなみに怒っていないママンが美人で,怒った時の顔を想像させるというのは,担任の先生で出てきた表現でした.子どもは正直だ.
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