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『「プチ・ニコラ」大全』(51)

執筆者の写真: Yasushi NoroYasushi Noro

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.179-219.


『大全』目次

ゴシニとサンペ 優等生と劣等生 .......................... 11

運命の交差 .......................... 33

友情 .......................... 55

『プチ・ニコラ』,最初の一歩 .......................... 67

超ナイスなクラスメートたち .........................119

『プチ・ニコラ』,雑誌『ピロット』でアステリクスと同時掲載 ........................159

『プチ・ニコラ』,フランス文学の古典になる .........................179

永遠のヒーロー .........................221

『プチ・ニコラ』刊行一覧 .........................241

『プチ・ニコラ』関連年表 .........................252

あれから彼らは・・・ .........................253

『プチ・ニコラ』書誌 .........................254

謝辞 .........................255


 本日から『大全』第7章「『プチ・ニコラ』,フランス文学の古典になる」に入ります.それにしてもこの章題は少々大袈裟でしょうかねぇ.もちろん,フランス文学,あるいはフランス語文学の仲間入りを果たしているのは確かなのですが,『プチ・ニコラ』が批評家や文学史家にとりあげられることはまず滅多にありませんし,文学史や教科書にゴシニやサンペの名が出てくることもありません.(Histoire de la France littéraire, 3vol., PUF, 2006でも当然無視)

 1980年代以降は,日本でもサブカルの名の下に,映画や漫画が大々的に取り上げられるようになり,時には大真面目な批評や研究書まで書かれるようになりましたが,文学史に登場するような作家様たちと対等に崇められる漫画家や漫画作品は,今でもやはり数える程しかありません.日本では,例えば一般的には,宮崎,手塚,ジブリ,もう少しオタクなところでガロ,つげ,藤子不二雄,赤塚などなど・・・.絵本やイラスト本なども扱いは同様でしょう.日本文学,フランス文学の古典,つまり作者の紹介も含めて教科書に載っていて,「文学」作品として重要視され崇められる作品がどれだけあるというのでしょうか.

 それでも,そんな聖典のような文学作品と比べて,引けを取らない点があるとすれば,それは誰もが(もしくは多くの人が)読んでいるということ,それゆえにお金になっている(つまり儲かる)ということでしょうか.それを文学作品に対して,あるいは純文学に対して,大衆文学作品というのは,どうも個人的にしっくりこないのですが,それでも多くの人が手に取って,笑って,読み継いでくれて,ついでに販売部数が伸びる,継続して売れるというのは見逃せないどころか,誇っていい特徴でしょう.つまり,『プチ・ニコラ』には読者の心(笑い)をつかむツボと,これなら出版しても損はしないぜ!という,出版社の動機が備わっているはずなのです.それを評価するかどうか,それに価値を置くかどうかというのは,読む人の判断か社会的風潮の結果となるでしょうか.



 そんな前置きや章題の誇張(それにしても,おっきくでたな!)はともかく,この章では『プチ・ニ』の個々のお話というよりも,書物化以降の動向や出来事が扱われています.

 例によって例の如く,第6章と本章の間には,真っ赤な1ページが挟まれ,二人の著者の一言が紹介されています.どちらの章に属した頁かは相変わらず分かりませんが,とりあえず,次のものです.


「僕らが協同で制作しているのは,二人の気が合うからだよ.僕ら二人とも,ユーモアに関して考えが同じなんだ.」(サンペ)


「ニコラという登場人物に,私は特別な愛着を抱いている.」(ゴシニ)



 さて第7章に入りましょう.最初の節「『プチ・ニコラ』,本になる.失敗から成功へ」では,まず1960年にドノエル社から第1巻が出版された経緯の説明があります(p. 181).第1巻から大成功!とは行かなかったのですね.(この辺の事情は,『プチ・ニコラ』hors-série(1)-2でも説明されています.)ところが,1960年代初頭に二人の著者がテレビに出たところで大ブレーク(同).その後は教科書に採用され,現場の教師から大絶賛(p. 182).そんな内容です.

 挿入された写真のキャプションも織り交ぜながら,もう少し詳しく見てゆきましょう.まずドイツでイラスト本(albums de dessins)の作者として紹介されたサンペは,彼の国での四角い判型に魅了された.そこでドノエル社でも是非に!と正方形のドノエル版が誕生したそうです(p. 180).

 次は書物としての出版のお話です.サンペは12歳のときにはすでに「書物とは,ぼくにとって自由を意味する」なんて哲学的な考えを抱いていたとのことで,まずは「最初に書物ありき」だったというのですが,その夢が叶ったのはようやく28歳のとき(p. 181).サンペは1932年生まれなので(1932-2022),1960年,つまり『プチ・ニコラ』の第1巻が初めての本だったというわけです.

 出版に関してはゴシニのほうが一歩先を行っていました.というのも,その時にはすでに『リュッキー・リュック』を6冊も出版していたからです.

 ついで出版に至る経緯です.夏のヴァカンス中,モニクさんはラピプ夫人の営むたばこ屋(新聞,雑誌などをおくスタンド)に地元紙『シュッド・ウェスト』を買いに通っていました.その日曜版に連載されていたお話に目をつけます.


「あなた(ダンナさんのことです),ゴシニとサンペに連絡をとらなきゃ.二人の『プチ・ニコラ』はすっごく面白いんだから.あなたが本にしなくちゃ.」(id.)


 ここで「あなた」と呼ばれているのはドノエル社編集長のアレックス・グラルさん(Alex Gralle, 1913-1986)*.

*ちなみにグラルさんは,カルマン−レヴィ(1951-1958), ガリマール,ドノエル(1959-1970)と,錚々たる出版社の編集分野を渡り歩いた方です.その後アシェットにも携わったとか.


 その頃ドノエルには子ども向けの本の出版は手がけていなかったそうですが,1960年冬に『プチ・ニコラ』第1巻を上梓します.著者たちとの分前は折半.太っ腹です.書物化にあたり,ゴシニが『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』,つまり日曜版から15のお話を選びました.ところが鳴かず飛ばずの大失敗.


(サンペ)「われわれが助かったのは一人の見知らぬ人のおかげなんだ.残念ながら,私は会えずじまいだったけどね.本屋を営む女性が一人いたんだ.その当時,素敵な習慣があったんだよ.どんなかっていうと,ある本を12部注文すると,出版社が13冊目をプレゼントしてくれたんだ.「12冊で13冊目」(" treize-douzième ")って呼ばれていたな.それでね,その本屋さんの女性がね,毎週ドノエルに来て,13冊の『プチ・ニコラ』を買って帰るんだ.その人が『プチ・ニコラ』シリーズを救ったってわけさ.」(id.)*

*« Spécial Goscinny », Lire, hors-dérie, 2007より.


 翌年,第2巻『プチ・ニコラの休み時間』が出版されてようやく,軌道に乗ったそうです.後にゴシニの研究本を出したパスカル・オリさんは『プチ・ニコラ』を,「特定不能な文学物」(objets littéraires mal identifiés)と形容しているそうです*.言い得て妙.

*Pascal Ory, Goscinny. La Liberté d'en rire, Perrin, 2007.

 1960年代初頭にゴシニとサンペは,ピエール・デグロープ(Pierre Desgraupes, 1918-1993)が演出していた当時の人気テレビ番組「みんなの読書」(Lectures pour tous)に招待され出演します.「この番組への招待は文学界への登竜門」だったそうです.二人は「正装し,ネクタイに装飾のハンカチーフ」姿で登場し,「めかし込んで微笑みを絶やさず,素晴らしい効果をあげた」のでした.これで一件落着,シリーズ化が決定したのでした.(続く)





 
 
 

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