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執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(49)

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.175.


「マルセル・ダソーがダソー版『プチ・ニコラ』を欲しがった」


 相変わらず『プチ・ニコラ』と同時代のゴシニの仕事の紹介です.

 マルセル・ダソー(Marcel Dassault, 1892-1986)は言わずと知れたフランスの複合企業ダソー(ダッソー)・グループの創始者です.1930年代に起こした航空機会社から,今の大大大企業となりました.一言で言うと大金持ち.で,この創始者さんは雑誌を発行したり,自身でシナリオを書いたりしていた方だそうで,Jours de Franceという週刊誌もその一つ.ある日ダソーさんは,『プチ・ニコラ』に入れ込んでいた『ジュール・ド・フランス』誌の責任者さん経由で,『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』誌編集長のアンリ・アムルーに電話をかけてきて,「ゴシニはダソーのために仕事ができるか」どうか聞いてきたそうです.それでゴシニは『ジュール・ド・フランス』誌の監修を勤めていたレオン・ド・ロザンさんから提案を受けた.ふむふむ,正確を期そうとすると,ややめんどくさい図式です.それが1960年9月のこと.ダソーさんは絶対,『プチ・ニコラ』路線を希望していたそうですが,それは伏せてのオファーだったとのこと.大人の世界はやはりめんどうですな.それでその際,イラストはコック(Luis Garcia Gallo, dit Coq, 1907-2001)*が担当することだけは伝えられました.

*スペイン出身でフランスで活躍したイラストレーター.ユデルゾ,モリス,タバリ,サンペと並んで,ゴシニがよく一緒に仕事をした人.ゴシニとはGaudéamus, Bobby, Yvette, la Fée Avelineなどを『ジュール・ド・フランス』誌に掲載したそうです(『大全』, p. 175, n.3).


 1ヶ月後にゴシニはボビ(Bobby)という名の少年を主人公にした「英語の作文」(« La composition d'anglais »)というお話を送りますが,これはボツ.でも,2002年に刊行されたL'Album Goscinnyに収録されているそうです.見たいなあ.それはともかく,ボツになったのは,『プチ・ニコラ』路線でなかったからでした.

 それにもめげず,ゴシニは従順に従い,自作を剽窃します.つまり,自己カバー.そこで生まれたのがボビとその妹ゼゼット(Zézette).でもこの作品,ゴシニが「飽きた」だか,「疲れた」だかで(Goscinny se lasse),3話しか続きませんでした.それでもダソーさん,諦めません.2年後に今度はゴシニを直接呼び出して,Gaudeamusというマンガを見せます.ゴシニは絵は良い,でもシナリオが・・・と思ったそうですが,それでとっても気まずいことに.なぜなら,シナリオを書いていたのはダソー社長ご本人だったというのですから.しかしダソーさんはあくまで「『プチ・ニコラ』風に」と強調しながら,Gaudeamusシリーズをゴシニに委ねたとか.潔いですね.こうしてゴシニはニコラ路線は無視して,450枚以上ものGaudeamusを作成したそうです.ゴシニの仕事の中でも一,二を争うほどの量の仕事ですが,今日では完全に忘れ去られているとのこと.それは哀しすぎます.いつかちゃんと読んでみたいものです.

 こうして10年以上もの間,ゴシニは『アステリクス』,『リュッキー・リュック』,『プチ・ニコラ』,『ピロット』の運営と並行して,『ジュール・ド・フランス』に寄稿していたとは初めて知りました.すごいなぁ.


「ダソーはどんなに重要な会議中でも,ゴシニからの電話はいつも受けていた.彼にとって重要だったのは,あのマンガだったんだ.」(アンリ・アムルー)(cité, p. 175)


 日本でもかつての大企業の社長さんたちは,絵画や美術,文学に興味をもち,芸術家を保護したり,美術館を作ったりしてメセナを行っていました.それが彼らの社会的なステイタスにも跳ね返っていたのは当然として,それでも,お金持ちの役割分担みたいなものとして,やっぱり彼らにも審美眼があったような.今,幅をきかせているお金持ちさんたちは,どうですか?










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