« Ça y est, on l'a ! », HIPN, vol.1, pp.88-92.
題名のça y estというのは,フランス語の慣用表現で「やったぞ!」とか,「よし,うまくいった!」とか,逆に「あ〜あ,やっちゃったよ・・・」など,良くも悪くも物事を達成したときに発する言葉です.覚えておくと便利ですよ.続くon l'a !は曲者で,onは特定あるいは不特定の人を表し,l'aはle aあるいはla aどちらかの省略形です.つまり代名詞+avoirの活用なのですが,エリズィオン(母音字省略)というやつで,男性名詞を受けたleか,女性名詞を受けたlaかわからなくなってしまうんですね.どっちなんだ,はっきりしてくれ!と思うでしょうが,これ,どちらかわからない,何を指しているのだろう,と読者をヤキモキさせるために,わざわざ第1段落13行分のフランス語を費やし,最後にようやく答えを書いているのです.こんな↓感じです.
やった!家にも一つ来た!〔ここでuneと書いてあるので,leではなくてlaであることがはっきりしましたが,依然何の話をしているのか見えません〕クロテールのうちにあるあれだよ.〔あれって何だ?〕クロテールってのは学校の友だちで〔知ってるって〕,クラスでビリなんだ.〔それもみんな知ってます〕.でもとってもいいやつなんだ.〔誕生日会呼んでくれたしね〕.クロテールがビリなのは,算数が得意でないからなんだ.それに文法も,歴史も地理も苦手だ.〔全部ね,結局・・・〕やつ的にはお絵描きは上手だ.ビリの手前だからね.〔クロテールより下のやつがいるんだ?!〕だってメクサンは左利きだからね.〔左利きだと絵が苦手???〕パパはそんな言い訳なんて聞きたくないって.〔何のこと?〕それがあったら僕が勉強しなくなるし,そうしたら僕もクラスでビリになるっていうんだ.〔そうか,それを持っていたら絶対にビリになる!というわけじゃないって話ね〕それに目が悪くなるし,家族で会話がなくなるし,本も読まなくなるだろうって.そうしたら今度はママンが,「あら,悪くないわね」って言ったんで,パパはそれを買うことにしたんだ.テレビの受像機をね.(p.88)
どうです?めんどくさいでしょう?おまけに,最後の「テレビの受像機」というのはle poste de télévisionで男性名詞なので,on l'aがこれを受けているとすると,l'はle posteとなります.1行目のon va en avoir uneでuneは女性名詞を受けるので「テレビ」(la télévision)のことかとようやく13行目でわかるのですが,題名のl'は結局のところどっちかはっきりわからないのです.あ〜めんどくさ.
でもモノははっきりしました.間違いなくテレビです.前話(95)で書いたように,1950〜1960年代初頭はテレビが普及し始めた時期にあたりますが,まだまだ高級品で,どこの家庭にでもあるモノではありませんでした.小津安二郎監督の『お早よう』という傑作おなら映画でも(1959年作),テレビを持っているのは長屋に1軒だけで,子どもたちはみんな相撲を見にいっていました.そんな頃です.
それでニコラのパパはテレビが到着すると,非常に誇らしげに,というよりバリバリ自慢げに,わざわざお隣のブレデュールさんを呼び出して見せびらかすんです.
パパとママンとニコラとテレビを運ぶ電気屋のおじさんの図です.パパとニコラはテレビを指差し,垣根の向こうのブレデュールさんに見るよう促しています.そんな隣人の自慢話に付き合わされたブレデュールさんの口からは,「はぁ〜そうかい.よかったな.じゃぁ」と聞こえてきそうな感じです.パイプ咥えているので話せませんが.
テレビを載せたトラックが到着します.「テレビを注文したのはここの家かい?」と聞く電気屋のおじさんを待たせおいて,パパが一番にするのは,大きな声でブレデュールさんを呼び出すことでした.「お〜い,ブレデュール!見にこいよ!」ブレデュールさんもそんな(失礼な?)呼び出しにのらなくても良さそうなものですが,やはりテレビが珍しいのでしょう.窓から顔を出してニコラたちを確認してから(ということはここでテレビも視界に入ったでしょう),「慌てて飛び出して」(p.89)来ます.
「何だい何だい.何の用だっつーんだ.家で落ち着いていられやしない.」
「俺の買ったテレビを見に来いよ!」パパが大声で叫んだ.
ブレデュールさんは慌てる風でもなっく近づいてきたんだけど,でもね,僕はブレデュールさんをよく知っているからね.おじさんは見たくて仕方ないんだ.(p.89)
出ました!淡々と状況を説明している風を装いつつも,鋭い観察でツッコミを入れるニコラです.そんなわけで,電気屋のおじさんに思いテレビを持たせたまま,パパとブレデュールさんはいつものように自慢の応酬を始めます.
次は漸く家の中に入れてもらえた電気屋のおじさん.
見た目一発.テレビの置き場所で揉めています.ママンが一本脚の丸テーブル(guéridon)の上を指差し,パパは4本脚の小テーブル(secrétaire)に置く仕草をしています.ニコラが自分の部屋を指差しているのはご愛嬌というより,パパとママン,各人のエゴを暴いているというべきでしょう.
ママンは丸テーブルの上か小テーブルの上かで迷っていた.丸テーブルだと小さい家具だからグラグラするし,テレビの前に肘掛け椅子を置けないし,小テーブルだと窓が塞がれちゃう.(p.91)
ママンが迷っていると書いていますが,丸テーブルの方だと肘掛け椅子に腰掛けて,パパがのんびりテレビを見れない(だからパパは小テーブル派),小テーブルだと窓が邪魔になって部屋が暗くなる(ママンは丸テーブル派)ということなのでしょう.そんな二人の真似をしたニコラは,僕の部屋に置いてと素直にストレートに示し,置き場所をめぐる言い争いの原因が各人の密かな欲望であることを暴いているのです.すごくよくできた絵です.もちろん,その犠牲者は喧嘩の間中テレビを持ち続けている電気屋のおじさんです.
結局はパパが最初に言ったテーブルの上に置くことになったのですが,そこで時間切れ.電気を入れたけれど,画像の調節まではできずに,電気屋さんは他の家に配達に行ってしまいます.電気屋さんが戻ってくるまでの間に,今度は3人の間で,何を見るかで大論争.テレビは家族の会話を奪うなんて言っていましたが,未だ画像の映らないテレビを巡ってここまでみんなで会話ができたら,もう十分コミュニケーション・ツールとしての役割を果たしているというべきでしょう.テレビなんてなくても良さそうです.
で,漸く電気屋のおじさんが戻ってきました.
その頃には,番組争いも一段落.仲直りして「みんな喜んだ」(p.93).ところが一人だけ喜ばなかった人がいたんです.いつものオチです.
一人だけあんまり喜んでいなくて,びっくり驚いた人がいたんだ.テレビを運んでくれたおじさんだよ.だってアンテナを繋ごうと戻ってきたら,番組が面白そうじゃないからって,僕らテレビを返しちゃったからなんだ.(p.93)
そりゃない・・・.そりゃおじさんびっくりですな.それにしてもこの↑3枚目のイラストは,アンテナ接続の前なんでしょうか後なんでしょうか.接続できていなくてザーザー音を出しているテレビ.ちゃんと映るかどうか様子を見ているおじさんと,じっと映像を待っているニコラ,漸くテレビが見えるようになったと椅子を移動してきたパパとママン.むしろせっかく椅子を持ってきたのに,全然映らないテレビを前に,がっかりしているパパとママンの図に見えます.う〜ん,どうにも返却って雰囲気が感じられないのですが.謎です.
Comentários