top of page
検索
  • 執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(40)

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.168-171.


第6章「『ピロット』誌で,ニコラはアステリクスに合流」

「1959年,恵みの年」(また続き)


 相変わらず第6章の続きです.前回に引き続き,著者による紹介の文章はほとんどなくて,4ページに大判の写真が4枚.p.168-169の見開きページには,それぞれ『ピロット』誌の1960年12月16日号(通巻60号)と1961年5月4日号(通巻80号)の表紙が置かれています.本書にデカデカと収録されているのですから,もちろんサンペによる,『プチ・ニ』のイラストです.それもフルカラー.2000年代に入ってから刊行された未刊行集にはサンペが自ら色をつけた水彩画が収録されていたりしますが,当時雑誌と日刊紙(の日曜版)に掲載されていた『プチ・ニ』のイラストは全て2色刷り.『ピロット』の表紙を飾ったのは2回だけで,それもサンペが色をつけているのですから,すっごく貴重な2枚といえます.


「特に『ピロット』とアステリクスが成功したおかげで,『プチ・ニコラ』の人気は不動のものとなる.我らが主人公のニコラは光栄にも,2度も「子ども向けイラスト誌」[『ピロット』のこと]の表紙を飾った.そのさいサンペは初めて,水彩で色をつけた『プチ・ニコラ』を制作した.とはいえ,どれがニコラか見分けられないが.」(p.168)


『ピロット』誌の1960年12月16日号(通巻60号)は「ノエルの特別号」でした.場所はどうやらニコラたちの学校の校庭のようです.休み時間になると教室から駆け降りてきた子どもたちが思いっきり遊ぶ場所.校舎の窓にはクリスマスの飾りが見えます.ノエル(クリスマス)だから校庭には雪が積もっているようです.インディアンやカウボーイの格好をした少年たち,なぜか電動式の電車を敷いて遊んでいる子どもなどなど.そしてもう一つなぜか,男子校のはずのニコラの学校に女の子たちがいます.自転車を乗り回したり,ロケットを飛ばしたり,もうはちゃめちゃですが,ノエル=休み時間=仲間たちと揃えば,それも仕方ないことでしょう.




 次は,1961年5月4日号(通巻80号)の表紙です.やっぱりどれがニコラかわかりません.サッカーの試合が終わったばかりの光景でしょうか.奥の方で,掲示板の表示を付け替えているおじさんがいます.Sチームが0点,S.O.A.Uチームが1点.すると,勝利したのが手前の赤いユニフォームを着ているチームです.確かに掲示板のすぐ前にあるゴールにボールが転がっていますから,これが得点ゴール.その手前で黄色いユニフォームを身につけたキーパーの男の子が,パパ・ママンらしき人たちに,何やら叱られているようです.グランドをみると,青いユニフォーム(les Bleus!)の負けチームの子どもたちは,それぞれの親に小言を言われています.それも全員,例外なし.あ〜かわいそ.何も,子どものゲームで大人がそこまで真剣にならなくても・・・.でも,本編『プチ・ニコラ』の方では,大人たちが口を出してくるどころか,最後はゲーム自体,大人たちに乗っ取られてしまいますから(28),本表紙はまるでその予告編のような.このイラストには右下に(見えにくいですが),「(サンペ画)ニコラのサッカー大会」と題名がついています.サッカーより,エキサイトした親たちの方が見ものかも.



ページをめくってp.170には,「ニコラと遊ぼう!」コーナーがあります.『プチ・ニ』の人気,とりわけニコラの人気が高まってきたため,『ピロット』誌上にニコラがクイズや謎々,紹介をするコーナーが作られていたようです.しかし・・・


 

 見た目一発,明かにサンペのイラストではありません.これはペリ(Péli,Eddy Paapeさんの筆名)が制作した「ニコラと遊ぼう」のページなのです.それだけ,読者はニコラを認知していたということなのでしょう.仲間内のお遊び,はたまた紙面を埋めるためとはいえ,著作権とか,所有権とか,あまり考えてなさそうな企画です.大らかだ.


 最後に,p.171には,ニコラによる『ピロット』誌紹介が掲載されています.これは本ブログのhors-série(3)ですでに詳細に紹介しましたので,そちらを見てください.


閲覧数:19回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page