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執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(36)〜『プチ・ニコラ』hors-série(1)(再)

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.154-155.


« Goscinny et Sempé assistaient au mariage », Sud-Ouest dimanche, 8 mai 1960.


 さて前回までで,ようやく(?!)番外編(4)の紹介が終わりました.日本で紹介されたことのないお話だし,原文も『大全』で再録されなければ読めないものでしたので,原文と一部翻訳と紹介とで,本ブログ12回分も使ってしまいました.ま,別に急いでいないので,いいんですが.でも,印刷も一部不鮮明だし,文字も小さいので,12回はちょっと疲れたなあと思っていたところ,本日ページを捲ると,またもや番外編の紹介が・・・.また一文一文転写して,コメントつけて・・・という作業は,いくら『プチ・ニ』を読んでいるのが楽しいと言ったって,流石にすぐにはイヤだなぁと思っているところです.それで今回はサラッと流して,またいずれ,原文を読みながら感想を書きたいと思います.それができるのも,p.154-155に掲載された番外編は,実はもうすでに日本語で読んで紹介したモノだからです.以下,番外編(1)(hors-série(1)-1〜5)がそれです.


 本話は一昨年,世界文化社から新装版『プチ・ニ』全5巻が刊行された際に,全巻購入特典として配布された『0巻』に小野萬吉訳で全訳がなされています.有難いことです.それで,本ブログで番外編に入った時点で,私は原文を読んでいなかったために,上記のような日本語版に基づいて紹介をしたのですが,その原文がついに手に入ったというわけです.


Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.155.


 『大全』では本話に見開き2ページが割かれています.左側p.154には簡単な紹介と,1960年代初頭に撮られた,ゴシニ,サンペ,そしてサンペの息子であるニコラの写真.それに,上の本話では掲載されなかった3枚のイラストが配置されています.3枚とも,小野訳に添えられていますので,『0巻』をお持ちの方は,是非見直して見てください.壊れたテレビの前と後ろで顔を顰めた大人たちの様子が描かれています.写真は↓です.

  Aymar du Chatenet, id., p.154.


父親譲りの散らかす才能に長けたニコラ.カワイイですな.

 『大全』右側p.155には,上のような掲載時の紙面と,下のような写真による王族の紹介が配置されています.


Aymar du Chatenet, id., p.155.

 この王族の図も恐らくは同日の『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙に掲載されたモノでしょうし,もしかしたら制作したのもゴシニ−サンペだったかもしれません.

 それはともかく,上述のように本話を読み込んでゆく気力はないので,p.154に付された紹介の一部を紹介して,今回はお茶を濁しておきたいと思います.


Au mariage de la princesse et du photographe

Dans la veine du « journalisme humoristique », Goscinny et Sempé sont sollicités par Henri Amouroux pour « couvrir » le mariage de Margaret, la sœur de (...). Vissés à leur écran de télévision, les deux reporters, (...) « assistent » à ce mariage princier à une époque où ce genre de retransmission constitue un événement international et marque l'entrée fracassante de la télévision dans les foyers français.(p.154)


 『大全』の著者によると,前話(番外編(4))の2ヶ月後に掲載されたこのルポも,ゴシニとサンペによる「ユーモア報道」の一つということになります.もうすでにお話(ストーリー)の紹介はしていますので,そちらを読んでいただければ容易に理解していただけますが,家電市でのように,二人はとにかく,実物には興味がないんです.家電の紹介のない家電市のルポに,結婚式の模様を伝えないユーモア報道.それで,やっぱり,だからルポじゃなくて,「ルポルタージュのパロディ」とされるのでしょう.

 テレビの前に,文字通り「釘づけ」になった3人(ゴシニとサンペとニコラ)は,テレビの画面を通して,式に「参加」します.確かにそうなのですが,でも同時に,本話が書かれた1960年代初頭という時期も大切です.なぜなら,王族の結婚式が報道されたのは,「この手の中継放送が国際的なイベントとなると同時に,フランス人家庭では大騒ぎをしてテレビを導入した」(id.)時代だったからです.

 要するに,海を渡って実際に式に参列するのではなく,中継放送を見て報道(ルポ)をするというゴシニとサンペの選択は,本話の冒頭部分に書かれていたような,戯けた理由では全くなくて(それもあるかも?しれませんが),テレビによる報道の変化,中継放送による実際のイベントの再イベント化,テレビの普及,これら全てを前提としてなされたものであったと考えられるでしょう.

 最新の技術と社会の変化,そしてそれらを同時に表象しうる国際規模のイベント.それら一切合切を,文とイラストで表現するなんて,誰にでもできることではなさそうです.

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