« Deux hommes(Goscinny et Sempé) au Salon des arts ménagers », Sud-Ouest, 13 mars 1960.
Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.152より.
「ミキサー」(Mixers)
Ne perdons pas notre sang-froid, me dis-je. Après tout, combien de monde peut-il y avoir dans ce local ? Dix mille, vingt mille personnes tout au plus. Nous devrions pouvoir nous retrouver.
Je m'approchai d'un garde :
« Pardon, monsieur le Garde, je viens d'égarer mon ami Sempé ; il est un peu plus grand que moi, mais moins bien vêtu.
« Il est là », me répondit le garde, en me désignant un stand de mixers, devant lequel se trouvait effectivement Sempé, éperdu d'admiration devant des liquides troubles et tourbillonants.
« Tu te rends compte, me dit Sempé, ces mixers sont formidables, on peut faire du jus avec n'importe quoi ! Avec des carottes, avec du céleri, avec des pommes de terre ! »
Je déconseillai à Sempé de se laisser gagner par la folie du mixer. Je lui racontai que des amis à moi avaient acheté un mixer. Superbe. Enorme. Tournant à je ne sais combien de révolutions par seconde, des tas en tout cas. La vie de mes amis avait été transformée par cet engin, véritable monstre broyeur. Mes amis, je m'en souviens, avaient tenu à me faire goûter un immonde jus de concombres, qui avait toute la saveur du savon liquide que j'ai bu un jour chez des copains qui m'avaient fait une blague, et que je ne fréquente plus. Pour en revenir à mes amis, ces pauvres gens ne mâchaient plus depuis l'acquisition du mixer, toute leur nourriture devait être broyée et liquéfiée avant d'être admise à leur table. Seule, l'intervention énergique du dentiste de la famille sauva mes pauvres amis de cette folie dangereuse. Convaincu par mon récit, Sempé s'arracha avec effort du stand tentateur, juste au moment où la démonstratrice introduisait dans l'appareil une orange, écorce comprise. C'était, je dois le dire, extraordinaire. En quelques secondes, un jus rafraîchissant et débordant de vitamines coulait dans un verre, tout cela accompagné d'un ronronnement doux et appétissant comme un chant de sirène.
« Tu viens, oui ? » cria Sempé.(p.152)
迷子になったら迷子についていけ.そんなサンペの助言を聞いていたゴシニですが,冷蔵庫の販売員さんと格闘していたら,サンペがどこかに行ってしまって置いてけぼり.やばい!迷子かと,一瞬うろたえています.
「冷静に,冷静になるんだ.」,と私は独りごちた.結局のところ,ここにはどれくらいの人がいるんだ?!1万人か,せいぜい2万人といったところか.また会えるよな.(id.)
1万と2万じゃ,えらいちがい.それに1万でも2万でも,結局のところ「また会える」ような数じゃないと思います.冷静に,うろたえているようです.しかも,近くにいたガードマンに近寄って,サンペの名前を行って聞いています.
「すみません.私は友だちのサンペを見失ったところなんです.サンペは私より少し背が高くて,私ほどちゃんとした身なりをしていないんですが.」(id.)
ガードマンさんに,「友だちのサンペ」って,いきなり名前言ったってわからんでしょ.それも服の特徴を伝えるのではなくて,自分より少し背が高くて(そんな人,ゴマンといる),自分ほど身だしなみが良くない(ちくっと,イヤミを差し込むことは忘れてない)とか言われても,ガードマンさんにわかるわけないだろ!,と思いきや,ガードマンさんは,ほら「あそこにいますよ.」と意外にもすんなり返答しました.サンペ,そんな説明でわかるほど,ひどいかっこうをしてたのか?!
そこらへんのツッコミはともかく,「また会えるよな」,と条件法の推測の用法で書かれているのに,すぐに再会できてしまいました.それもガードマンさんのおかげでしょうか.いやはや,どんな服を着てたんだ,サンペ!
サンペは「グルグル回転する濁った液体」に感心して眺めていました.もちろん,ミキサーでジュースを作っているところだったのです.ところで,本節の題になっている「ミキサー」は,そのまま英語から拝借した語のようです.それでそのまま私もミキサーとカナに直してしまいましたが,日本語ではジュース専用機ならジューサーというのですよね.チラッと見たら,ミキサー,ジューサーは用途も機能も違うので,どうやら区別した方が良さそうなんですが,これがブレンダーとか,プレセッサーとか,さらに似たような機械が,それも全てカタカナで流通しているので,どうすれば良いのでしょうか.ちなみに,ブレンダーはblend(「混ぜる」)するもので,料理にはこっちと紹介されているのですが,英語の辞典を見ると,どちらもミキサーで,mixするもの.う〜ん・・・.
合流したサンペは,ミキサーの魅力に,危うく負けてしまうところでした.しかし,あくまで冷静さを失わない?ゴシニが止めに入ります.
「私の友人たちがね,買ったんだよ,ミキサーを.スゴい!超便利!ってね.一秒間で何回転かは知らないけど,とにかくたくさん回転するやつだ.そうしたら彼らの人生は一変してしまったんだ.その機械,まさにあの,バリバリ砕く怪物のせいでね.今も忘れない.彼らは私にこの世のものとも思われない,きゅうりのジュースを飲ませてくれたんだ.あれは液体石鹸のような味だった・・・.ある日,友だちのうちで飲んだんだ.彼らにしてみれば,私をからかってやろうと冗談のつもりだったんだがね.以来,付き合いもなくなってしまったよ.友人たちに話を戻すと,かわいそうな奴らでね,ミキサーを買ってからは,歯で噛まなくなってしまったんだ.食べ物は何でもかんでも,そう,食卓に出すなら,何がなんでも砕いて液体にしなきゃってね.見かねた親戚の歯医者が出てきて,そりゃもう何度も何度もやめなさいって止めに入って,ようやく熱が冷めたというわけさ.もうやばいってほど,熱狂していたからね.」(id.)
きゅうりのジュースを飲まされて縁が切れたとか,歯医者に言われてようやく使わなくなったとか,もっともらしいお話を聞かされて,サンペは「しぶしぶ,超魅力的なブースを離れた」そうです.もっともらしいお話といっても,本当のところはどうだかわかりません.きゅうりジュースは飲まされたかもしれませんが,「友人たち」(複数形)の話をしているのに,「親戚の歯医者」が止めたことになっていますが,友人の一人ならともかく,どの友人たちにも,親戚の歯医者がいたとはとても思えないでしょう?ですから,これもやっぱり,ゴシニの作りごと,つまり「お話」なのです.でも,生真面目なゴシニは,それがほんとうのこととは言わず,ちゃんと「私のお話に説得されたサンペは・・・」,と「お話」(récit)の語を使っています.
それから,引用末尾の「ようやく熱が冷めたというわけさ.もうやばいってほど熱狂していたからね.」の部分.原文は,サラッと簡単に,« ... sauva mes pauvres amis de cette folie dangereuse ».つまり,「歯医者の介入が,危険な熱狂からかわいそうな友人たちを救い出した」となるのですが,この最後の「熱狂」という語.この節では2度登場します.最初は,サンペが「ミキサーへの熱狂に打ち負かされそうに」なっていたというのがそれです.「ミキサーへの熱狂」は« la folie du mixer ».folieには,「狂気,愚かな言動,膨大な出費,熱狂,マニア」などの意味がありますが,ここではまさに,ミキサーの便利さに魅了された人(ゴシニの友人たち)の「狂気,錯乱」,そしてその末路が予想されているのです.ぐるぐる回る機械をぼお〜と眺め,すでに心を失いかけ,狂気に囚われそうになっているサンペを,ゴシニは正気へと引き戻そうとしたということでしょう.
ゴシニの正気のおかげで,何とか「超魅力的なブース」から身を引き剥がしたサンペですが,危うくミイラ取りがミイラになりかけました.サンペがブースを離れた時にちょうど,実演販売員がオレンジジュースを作っているところでした.
それはそれは,本当に見事だった.どうにもこうにも認めざるを得ないんです.ほんの数秒で,喉の渇きを癒してくれて,ビタミンたっぷりのジュースがコップに注がれていくんです.それもトクトクトックと,まるで,あのセイレーンの魅力的な歌のように食欲をそそる甘美な音を立てながら注がれているのです.
そのとき,「行くんだよ,な!」,とサンペが怒鳴り声を出した.(id.)
今度はミキサーの魅力に籠絡されそうになっていたゴシニを,サンペの怒鳴り声が救ったのでした.ちなみに「セイレーン」(sirène)は,現代の用語では「サイレン,警報」ですが,それでは魅力も何もあったものではありません.そうではなく,ホメロスの『オデュッセイア』に登場する怪物の名前なんです.オデュッセウスたちが船に乗っていると,甘美な歌が聞こえてきて心を奪われる.発信源の島に近づくと,セイレーンによって船員たちがバリバリ食べられてしまう.そんな神話になぞらえているのです.そういえば,前半,「友人たちの生活」についての話を始めた時に,ゴシニはミキサーを「その機械,まさにあの,バリバリ砕く怪物」(« véritable monstre broyeur »)と表現していました.ここですでに,ゴシニの中では,魅力と破壊力を兼ね備えたミキサーがセイレーンを呼び起こしていたんですね.
それにしても危うかった.もしも,サンペの一声がなかったら・・・.
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