« Deux hommes(Goscinny et Sempé) au Salon des arts ménagers », Sud-Ouest, 13 mars 1960.
Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.152より.
「テレビの受像機」(Récepteurs de télévision)
Je m'arrêtai le long de l'allée, devant le stand des récepteurs de télévision. J'ai l'intention d'en acheter un, car le mien est déjà assez vieux, l'image n'est plus très nette et l'écran est trop petit. Il y avait là quelques postes aux lignes élégantes et aux écrans prometteurs, sur lequels les programmes les plus indigestes devenaient sûrement visibles, suivant le principe : l'émission est mauvaise, mais l'image est parfaite. Je me suis donc dit que je pourrais peut-être passer commande, quand je fus brutalement tiré par le bras.
« Dis, moi j'en ai assez ! hurla Sempé. Je suis fatigué et je n'ai pas l'intention de traîner intermiblement après toi dans cette cohue ! On s'en va ! »(p.152)
家電市訪問もそろそろ終わり.二人は出口へと向かう途中,テレビの受像機の前で立ち止まりました.何と,ゴシニが初めて,買う気を示しています.今あるテレビは「もう結構古くて,画像があまりはっきりしないし,それに小さすぎる」からだそうです.それにしても,よく鮮明に見えないテレビを使ってますね.とは,今,これだけテレビが普及しているから言えること.50年代になって,テレビがようやく普及してきたわけですから,この時点で「もう結構古い」テレビを持っていたゴシニはかなり早い時期に買っていたことになります.
「走査線が滑らかで,画面の良さそうな機種が何台か並んでいた.こいつらなら,どんな意味不明な番組だって,きっと見えるようにしてくれるに違いない.原則,テレビなんてもんは,くだらん番組ばかりであっても,画像はちゃんと映してくれるものだからな.」(id.)
これほどこき下ろしておきながら,それでも「くだらん番組」の「画像」を見たいものでしょうか.家なんて,もう何年も前からテレビがないんですが,不自由しないのに.きっとゴシニはテレビ番組には期待していないのですね.でも,画像を含めて,何か得るところがある.そんなところでしょう.それにしても,『テレラマ』(テレビの番組表とレヴューを掲載しているフランスの代表的な雑誌)の番組表はすぐに破り捨てて,批評だけ読むというフランスのインテリらしい態度かも.
それでゴシニは注文をしようとしたところ・・・いきなり腕を引っ張られます.
「おいっ!もう,たくさんだ!」,とサンペが吠えた.「疲れたんだ.それにお前の後について,この人だかりの中をいつまでもうろつくなんて嫌だね.もう出ようぜ!」(id.)
何ともまぁ・・・身勝手というか,もう,言葉もありません.「お前の後について」・・・.でも,ゴシニは言い返さないんですよね.文章で憂さ晴らしはしていますがね.
これが最後の家電となって,二人は外に出てしまうようです.というわけで,この番外編,次回がようやく最後となります.
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