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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』hors-série(1)-4

« la princesse et le photgraphe »(le 8 mai 1960)(la suite, la troisième)


テレビの前の椅子の配置は無事というわけではなかった.わたしの二つの肘掛け椅子はサンペと夫人に座られてしまい,ニコラは初め,よく見たいので,テレビの画面の前に立っていたいと言った.それから結婚式をとりあげられるのを恐れたのか,ニコラは映画館のように肘掛け椅子と椅子を並べ,アイスクリームを売りたがった.(p.69)


 ビーーーーーーーーーー・・・・(ビービーではありません)と呼び鈴がなり,ドヤドヤガヤガヤとサンペ一家が雪崩れ込んできたかと思えば,今度はガタガタと椅子を移動し,テレビの前が陣取られてしまいました.もう,唐突な暴風というか台風というか.でも,いつ一過することやら.部屋の持ち主であるゴシニは「映画館でのように,わたしは端っこの席にななめに座」ることになりました.(p.70)

 しかも,この悲惨な状況に少しでもコメントしようとすると(「これはまるで・・・」),「しっ,しずかに!」,と映画館さながらの注意をされる始末.

 時間は10時45分.さっそくニコラが「ぼく,つまんない」.未だ始まってもいないのに.

 テレビにようやく「羽飾りの兜を身につけた騎兵たち」が映ると,ニコラは思わず「あれは,カウボーイなの?」(p.70).ゴシニが「しっ,しずかに!」と注意すると,サンペから「しっ,しずかに!」,と注意されてしまいます.

 テレビのコメンテーターによると,テレビ視聴者の方が現場よりよく見物できるそうで,多分そうだったのでしょう.だって,日本のお正月の風物詩,箱根マラソンの,コメントと説明と過去の記録でできた完璧なまでの解説を聞いていると,必死に走るだけのあの単調なスポーツが面白く思えてきますからね.「それでも,テレビじゃ,ツイードのジャケットを買うわけにもいかないな」,とはサンペの感想.ごもっとも.

 テレビにはウエストミンスター寺院と典礼の始まりを待つ黒いジャケットの集団.「すくなくとも,彼らがこの機会を利用して,ツイードのジャケットを手に入れることができたかどうか,知ることは難しい」,とはゴシニの感想.これもごもっとも.3人はテレビに釘付け.ニコラ一人が外に出たがっています(p.73).

 最前列にはイギリス前首相のチャーチル卿.「疲れたようすで,かなり冷めた表情」.誰かが彼の肩を叩くと,「顔を向けることもなく,彼は手を差し出す」(p.73)挨拶する人が多くて,いかにも面倒,投げやりな感じです.しかしこんな気のないやりとりにも,笑いどころを見出すのがゴシニの特異な才能です.


もし彼が振り向いていたら,半袖シャツにショートパンツのボーイスカウト姿の最も場違いな高齢者が,彼の背後を通り過ぎるのを見られただろうに(p.74).


 真面目な顔して儀式に参列しているのに,「半袖シャツにショートパンツのボーイスカウト姿の最も場違いな高齢者」を相手にすると,せっかくの厳かな雰囲気が台無しになるばかりか,なんだか可笑しく思えてくる.シラけるだけじゃなくて,喜劇になってしまうのです.そうなのです.「年老いて威厳があり,誰にも尊敬の念を催させる官僚」が,熱烈な信仰心に燃えて,教会に入ってくる.厳格で厳かな雰囲気に取り巻かれ,模範的な信仰者の姿を目にした誰もが,ははぁとひれ伏し拝みたくなる.それなのに,登場した説教師の顔がヘンテコでしわがれ声.おまけに無精髭まで生やしていたりしたら,みんな思わず,クスッ😅.笑いを抑えるのに苦労してしまいます.これはパスカルの『パンセ』にある一節ですが(L44),ここで笑われるのは,説教師じゃなくて,聞く気満々,気取った雰囲気をやってきた「官僚」の方なのです.おっと脱線.でも,相手にする人が誰かによって,せっかく退屈な儀式に耐えているチャーチルの方が滑稽に見えてしまうわけです.喜劇はどこにでも転がっているものです.もちろん,自分のせいじゃないのに笑われてしまう,チャーチルのような悲劇も.

 テレビでは式の(外の)様子が続いています.そこへニコラが質問.「ねえ,この人たち頭に何をかぶっているの?」(p.74)「この人たち」とは,「往時の制服を着て,ロンドン塔を警護するあの風変わりな人物たちで,その制服は,ひっくり返ったスープ皿とでき損ないのチョコレートケーキの組み合わせみたいな帽子で締めくくられてている.」(p.74)もっと他に言いようはないのか,というくらいひどい描写をされていますが,テレビのコメンテーターも同意見だったようで,「イギリス以外では,この制服は滑稽でありましょう」(id.)つまり,誰が見ても滑稽で風変わり,時代がかった制服だったのですが(可笑しいと思わないのは「イギリス」人だけ?),そんな感性は大人だけのものではないのです.


ニコラを見さえすればいい.彼は,早熟なアイロニカルな喜びにとらえられて,床の上を転げ回っている(p.74).


 伝統的で由緒正しい服装のはずなんですが・・・.少し視点をずらして仕舞えば,滑稽そのもの.よく言われることですが,子どもは正直で残酷.そんなものです.

 でも,子どものパパの方も(つまりサンペ),「スコットランドのキルト姿の頭のはげた男性」を見つけて大笑いしています.これは少〜し,偏見入っているかなぁ.でも,おかしいものをおかしいと笑いのめして何が悪い!とばかりに,サンペは続けて,ゴシニの「新しいスーツ」をバカにします.そんなにひどいものなのか???,と思わず想像してしまいますが,ゴシニ曰く,「わたしのスーツは,なかなかいいものなのだ」(p.75)そうです.だいぶ高いスーツだったんでしょうが,視点が,というより,ここではセンスが異なれば,やっぱり滑稽に見えてしまうのでしょう.誰のせいでもない.

 次は「豪華な四輪馬車がバッキンガム宮殿から出てくる」場面です.ここで作家ゴシニは色々想像して妄想を楽しんでいますが,「しっ,しずかに!」の連発でそれらを共有できません.それじゃ,せっかくみんなでテレビを鑑賞している甲斐もないのでは,と思いきや,ここでニコラが馬車を引く2頭の馬の名前に反応します.「ティペラリーとアイヴァンホー」.前者は第1次世界大戦中に歌われたイギリスの愛唱歌It's a long way to Tipperaryから.1912年にジャック・ジャッジ(1878-1938)という人が作曲した流行歌だそうです.「まだ小さすぎて,あの有名なイギリスの歌を知らない」,とゴシニは書いていますが,大きくなったらフランス人でも知っていて当たり前の民謡ってことでしょうか.しかしニコラが熱狂したのは,寧ろ「アイヴァンホー」のほう.ニコラは「何週間か前に,フランス放送協会のプログラムを飾ったあの娯楽小説のテーマ曲を歌い始める.」(p.77)

 『アイヴァンホー』はウォルター・スコット(1771-1832)が1820年(1819年?)に発表し,中世の騎士を登場させた小説でしょう.ですが,ここではどうやら,『アイヴァンホー』を基にした娯楽小説があり,恐らくはそれを原作としてテレビ番組が制作された.「アイヴァンホー」の語から,ニコラがそのテーマ曲を想い出したということのようです.もしや,日本でも<カバヤ児童文庫>として翻訳が刊行された,『黒覆面の騎士 − アイバンホー 名作絵物語』(1953)のことかしらん?*古典文学の大衆小説化とその受容の観点から調べたら面白そうですが,ここでは楽しそうに歌うニコラの姿を想い浮かべる程度で留めておきましょう.すでに紹介した,イラスト1/4がこの場面を表しています.

*もしやついでに,1958-59年にIvanhoéの題名で放映されたテレビシリーズのことでしょうか.1回が25分で39のエピソードからなる番組だったそうです.少年の« Iiiiva-no-e! »の呼び声が耳に残ります.https://www.youtube.com/watch?v=m_TuCfV9fZo



 2頭の馬と四輪馬車,それに「アイヴァンホー」という語の響きから,ニコラの妄想は中世覆面騎士の戦いを妄想し始めました.一つの単語が,すでに持っている知識と結びついて,イメージを喚起する.もしかしたらゴシニはスコットの小説を想い浮かべたかもしれませんが,ニコラは違う.そこに正しいも間違いも,高貴も卑属もありません.そんなものです.

 でも今テレビを観ている場所はゴシニのアパルトマンで,目的はテレビを観てのルポ作成.「しっ,しずかに!」,とゴシニがニコラを注意すると,「その子には,少し楽しませてやってくださいな」と,サンペ夫人.おまけに,「もし,気にさわるなら,いつでもあなた,ほかにいらしてもいいのですよ」,だそうです.もう誰がご主人様なんだか.

 ちなみに,このパターン,『プチ・ニ』でニコラがたしなめられて,メメに庇われるのと同じ構造です.まるで叱った人が悪いことをしているみたいに見えてきて,立場がなくなってしまうあのパターンです.(今回終わらせようと思ったのですが,やっぱり続くで・・・)

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