« La leçon », HIPN, vol.1, pp.94-101.
題名のleçonという単語は,英語をカタカナにした「レッスン」ですでに日本語として用いられています.「授業,稽古」の他に,「教訓,忠告,戒め」なんて意味もある語です.以前にも同じ語を用いた「実物教育」というお話がありました(78).そこでは文を読み進めてゆくと,題名の« Leçon de choses »という表現が,最初とは異なる意味にシフトしてしまうかも,なんて説明をしました.それでは今回のleçonは「授業,レッスン」なんでしょうか,「教訓」なんでしょうか.
算数のテストで僕はビリだった.家でそれが知られて,大騒ぎになったんだ.まるでクロテールが試験の日に病気で休んだのが僕のせいみたい.まったくもうっ!クロテールがいなけりゃ,誰かが代わりをする.仕方ないでょ!(p.94)*
*邦訳はla compositionの解釈に少し誤解があるようです.
随分と唐突な始まり方です.「家でそれが知られて」(« Quand ils ont su, à la maison »)は原文では「彼らが〜を知って」といきなり「彼ら」と出ていて誰の話をしているのかわからないのです.とはいえニコラの「家」には,ニコラを除く「彼ら」はパパとママンしかいないのですが.
要するに,算数のテストでニコラがビリだった.それは永遠ビリのクロテールが休んだからなのに,僕のせいにされているのは理不尽だと怒っているわけです.一理はありますな.理屈は通っています.
それでどれくらいの「大騒ぎ」になったかといえば,パパのくどくどしたお説教が次の一段落全体を占めるほどでした.お説教の内容はどれも,私たちの親が子を叱る時のように,至極真っ当で<ほぼ>反論の余地が無いのですが,私自身,こうしたネチネチしたお説教が好きではないので(嫌い),ここでは無視しましょう.ちなみに<ほぼ>と強調しておいたのは,パパがお説教に「パパは僕くらいの歳の時はいつでも一番で,パパのパパはパパのこと,すっごく自慢してたって」という自慢話(おそらく嘘)を忍び込ませているからです.説教には「なんでもいいからどこか見習いに出したほうがいい」とあるので,いわゆる<学のない人>のつく見習いの仕事の例が1枚目のイラストに描かれているわけです.今なら職業差別と叱られそうですが,人には想い描くイメージというのがありますから,少なくともこの時代の一般的なイメージとしては,賃金が低くて,頭脳ではなく経験と肉体を酷使する職業として,自動車の修理工が想い浮かんだということでしょう.しかも見習いとして,修理工のお手伝いで掃除をする人のイメージです.
一日中油にまみれてする汚れ仕事.親方の仕事を見ながら,箒を手に持ち何も言わずにせっせと掃き掃除をする見習い.親方のようなつなぎの仕事服を着て,やっぱり全身油まみれで何か荒んだ感じです.「今にこうなるぞ,いいんだな?」というお説教の決まり文句でしょう.でも,自動車の整備工に憧れる私としては,やっぱり少し嫌な感じがします.単なるお話ですし,それにどの時代にも見本に使われる職業というのがあるのは承知しているのですが.
お説教は置いておいて,パパはニコラに算数の家庭教師をつけることにします.今回はニコラが泣いて拗ねて膨れても無駄でした.それに,外食して「フライドポテト」を食べたら機嫌が直ってしまうし.切り替え,早っ!
パパは翌日には,会社の同僚の「従兄弟の息子」で「すっごく算数に強い」人を見つけてきます.
その人は学生なんだって.授業をするのは初めてなんだが,むしろそのほうがいいな.気持ちが若くて,昔ながらの教え方に凝り固まってないだろう.それに条件もいいんだ.(p.96)
最後の「それに条件もいいんだ.」(« Et puis, c'est assez avantageux comme conditions. »)というのが気になります.きっと,安くお願いできたんでしょうね.このごに及んで,あくまでケチなパパです.
木曜日の午後に「おっきなメガネをかけて,老けたアニャンって感じだけど,まぁ,それほどにはおじさんじゃない人」が訪ねてきます.カザレス先生です.それで2枚目のイラストを見ると・・・
確かにメガネは大きいかもしれませんが,顔に比してそれほどとは・・・.それにしても目を引くのが禿げ上がった頭とコッテリ太った体でしょう.着こなしもカバンもかぶっている帽子も,れっきとした先生のそれでどうにもおじさんぽい.う〜ん・・・本当に「学生」?本当に「それほどにはおじさんじゃない」?もしかして,それで「若い」と言いきらず,「気持ちが若くて」(« il a l'esprit jeune »)と書いていたのでしょうか.
それで実際に授業が始まりますが,事前に話がなかったのでしょうか,ニコラとカザレスさんのやりとりはどうも要領をえません.
「学校では何してるんだい?」
「そうですねぇ,ランスロごっこです.」
「ランスロ?」「そうなんです,先週まではボール当てゲームをしていたんですが,ブイヨンさんが,あっ,ブイヨンさんって僕たちの学校の監視役なんですが,そのブイヨンさんが(・・・)」(p.97)
と,まぁ,ニコラは休み時間に「している」ことを永遠話し続けるんですが,カザレスさんの聞きたいのはもちろんそっちじゃなくて算数の時間のほうです.それでニコラが「分数だよ」と答え,カザレスさんはノートを見てびっくり.よほど「赤の太字」でいっぱいだったのでしょう.それでようやく授業が始まります.
「それじゃ,始めようか.分数って何だい?」
僕が何も言わずにいると,カザレスさんが言い出した.
「分数とは単位の・・・」
そう聞いて僕は繰り返した.
「分数とは単位の」
するとカザレスさんが続けた.「一つあるいは幾つかの部分を表す・・・」
僕「一つあるいは幾つかの部分を表す」
カザレスさん「数字のこと.」
僕「数字のこと.」
カザレスさん「何に分割した数字かな?」
僕「僕わからない.」
カザレスさん「等しい部分に分割した数字だよ!」
僕「等しい部分に分割した数字だよ!」
カザレスさんは額の汗を拭った.(p.99)
これってわからないニコラが悪いですか?定義はいいから,実例で教えればって思っていたら,カザレスさんは続けて,ビー玉で説明を始めます.
8個のビー玉があるね?いいかい,この8個のビー玉が単位を構成するんだ.そこから3個取る.そうしたら単位との関係で3個のビー玉が表すものを分数で説明してごらん.それは八分の・・・」
僕「それは八分.」(p.99)
やっぱりダメなようです.ニコラはカザレスさんの言葉を繰り返すだけです.仕方ないので,次は電車のレールの例です.レール10枚を丸く繋げて電車を置きます.それで・・・
「10枚のレールはこの円形の10の部分を構成する.そこでレールを一枚外すと・・・?」
「電車が脱線する!」
「電車の話じゃないんだよ!」
完全にニコラのペースです.それで↑の2枚目のイラストには電車とレールの絵が書いてあったんですね.円形に並べてはいませんが.
イラストだけ見ると,「僕わかんない」ばかりを連呼しているようですが,ニコラがわからないと答えたのは1度だけでした.それなのに3箇所も吹き出しがあるので,またニアミス?と思うのは早合点でしょう.上↑の会話を見てください.カザレスさんの説明が難しいんです.専門的,というのは言い過ぎかもしれませんが,それでも小学3年生くらいに説明する用語ではないですよね,「等しい部分」とか「構成する」とか.ですから,ニコラはただひたすらカザレスさんの言ったことをおうむ返しに繰り返すだけなんですが,それは何が何だか「わからない」からなんです.それで実際には直接「僕わからない」という言葉を繰り返さなくても,何か言われるたびに,頭の中には「???」が浮かんでいます.イラストはそれを表しているのです.すご〜く,正確な描写だと思いませんか?
ついにカザレスさんは癇癪を起こしてしまいますが,あいにくパパが入ってきて,電車で遊んでいたと誤解されてしまいます.答えに詰まったカザレスさんは,「今にも泣き出しそうだった」とニコラが鋭いツッコミ.カザレスさん,あえなく撃沈・・・出ていってしまいます.
カザレスさんはもう二度と来なかったよ.パパは同僚にバルリエさんに腹を立てたけど,僕には怒らなくなったよ.だってクロテールの病気が治って,僕はビリじゃなくなったからね.(p.101)
ニコラに撃退されたカザレスさんが可哀想なのか,それともカザレスさんの教え方に初めから難があったから自業自得なのか.どちらなんでしょうね.いずれにせよ,ニコラにはそんなのどこ吹く風.クロテールがいてくれさえすれば,ビリは免れて安泰なんですから.
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