« Le chouette lapin », HIPN, vol.1, pp.72-77.
「イケてるウサギ」って,どんなウサギでしょうか.「イケてる」という単語はchouette.ニコラの口癖でよく使う単語です.ニコラは好きなもの,気に入ったものには何にでもchouetteとつけます.このchouetteという形容詞はですから,「良い」とか,「かっこいい」とか,ポジティヴなものに対して使われるんのですが,実は正式なフランス語では属詞としての用法がほとんどで,直接名詞につけると,ちょっと子どもっぽい印象を与えます.属詞というのは,英文法を習ったことのある人なら,第二文型に出てくるあれで,SVC(フランス語文法ならSVA)となります.ですから,「このウサギは素敵だ」(Ce lapin est chouette.)なら良いのですが(これでも結構子どもっぽい感じですが),「イケてるウサギ」le chouette lapinと言われると,聞いている方は,ウキウキ興奮している子どもと話しているような印象を受けることでしょう.でも,ニコラの発言ではよく出てくるんですがね.Le chouette bouquet(08)のように.このお話でも,題名の次にくる冒頭の文章は次の通り,chouetteの属詞の用法です
今日はね,学校で,すっごくイケてたんだ.」(« c'était drôlement chouette à l'école, aujourd'hui ! »)(p.72)
「すっごく」(drôlement)というのも,ニコラの口癖の一つです.2つ並べるなんて,どんだけ「イケていた」のか気になりますよね.ニコラの大興奮状態が伝わってきます.
イラストは3枚で,その1枚目にはすでにその答えが.
どうやら粘土でウサギを作っているのはニコラらしいのですが,その横で,4人のクラスメートが見入っています.あの「クラスで一番で先生のお気に入り」のアニャン(メガネをしている)までが,何も言わず,感心している様子です.
今日はみんながおとなしくお勉強していたというので,ご褒美として先生が「ウサちゃん」を作るようにと粘土を配布しました.それでもって,何でも「クラスで一番」のはずのアニャンを差し置いて,ニコラのウサギが一等賞をとったそうです.それで,アニャンは嫉妬して泣き喚き大騒ぎします.↑のイラストではただただ感心しているようにしか見えません.文とイラストの間のほんのちょっとのニアミスですが,よくあることです.それにしても,先生に褒められ,クラスの羨望の的となった粘土のウサギが,あれほどの波紋を起こすとは・・・.
「ウサちゃん」の制作は,先生としては「ご褒美」だったのですが,ニコラの仲間内でウサギを作ったのはニコラとアニャンだけだったようで,いつものメンバーは粘土合戦,アルセストは試食をしていました.それで先生キレて,「金輪際,ご褒美なし」を宣言したとのこと.可哀想に(誰が?).
ニコラはせっかくのウサギを潰してはいけないと鞄に入れずに,「手に持って」帰りました.イラストの2枚目は自慢げにママンに見せる図です.
湯気のたつ鍋が2つ,その内1つの蓋をママンが左手で持ち上げ,右手にはまた別の鍋の取手を手にしています.その他,取手付きの鍋が8個,つまり合計で11個の鍋が並んでいるわけで,そりゃ,ニコラが手に持つウサギに目をやる暇などあろうはずもありません.
「ニコラ,野蛮人のように真っ黒な手で台所に入ってこないでちょうだいって何度も言っているでしょう?」(p.73)
「真っ黒な手で」は私が付け加えたもので,原文では「野蛮人のように」(comme un sauvage)しかありません.ではなぜ,私が「手」にこだわったかというと,次のニコラの返答及び全体がどうやら「手」に関係するように思えたからです.それに単に「野蛮人のように入るな」と言われても,野蛮人で何を想い浮かべるかは人それぞれでしょう?それで,私は「手」,それも汚れた手に着目したのです.ママンはきっと,ニコラの「手」しかみていないのだろうと.
それで僕はね,ママンに僕のウサギを見せたんだ.
「いいから手を洗ってらっしゃい.おやつがあるわよ.」
「ねぇ,見てってば,ママン.先生が僕のがクラスで一番だって.」
「良かった,良かった.それじゃ,食べる準備をしてらっしゃい.」(p.73)
ニコラによると,ママンが「良かった,良かった」(très bien, très bien)と二度繰り返すときにはちゃんと見ていないのだそうです.子どもはよく見ていますね.
それでニコラはふくれて部屋に閉じこもってしまいます.「僕はゴロンとベッドに転がったんだけど,その前にウサちゃんは壊さないように机の上に置いたんだ.」(p.74)ものすごい配慮で,細かいところまでちゃんと書いています.大切にしている様子が伝わってきますよね.
ママンは部屋に様子を見に上がってきます.そこでニコラに「ちゃんとウサギを見ていない」と言われ,今度は一応見るのですが.
「はい,はい,はい.見ましたよ,ウサギね.とってもかわいいわ,うさぎね.もういいでしょ?それじゃお利口さんにしないと,お母さん,本気で怒るわよ.」(p.75)
先程の「良かった,良かった」と同じで,「はい」(bon)と3回相槌を打ってから「見ましたよ」(je le vois)と言います.ニコラが「ちゃんと見る」(regarder)と言っているのに対し,ママンは「〔チラリと〕みる」(voir)と返しているため,気のない返事であることがよくわかります.それに,見ているのを強調するために,「うさぎね」とわざわざ二度繰り返していますが,それがまたどうでもいい感を醸し出しています.私も子どもの頃に「はい,はい」と返事をすると,親から「返事は一度でいい!💢」と叱られました.それを親であるママンがしてはいけないと思います.
それでニコラは落ち込むばかり.ついに泣き出したところで,珍しくパパが早くに退社してきます.すごーく珍しいようで,ウキウキしているようですが,それなのに家に入ると「怒鳴り声」が聞こえてくるとは.
二人の間にわって入ったパパは火に油を注ぐことになり,いつものように売り言葉買い言葉でママンとの間で言い争いを始めます.最終的にパパがみんなをなだめて仲直りをします.まずはママンの話を聞いて気を落ち着かせ,次にニコラにママンに謝らせます.ニコラも素直に謝りました.ニコラによると,「家で最高なのは,みんながケンカを辞めるときなんだ」(le moment le plus chouette, à la maison, c'est quand nous terminons nos disputes.)そうで,ここでもまさに題名にあったchouetteという語が使われています.よほど嬉しいときに出る語なのでしょう.
こうして仲直り完了.
パパとママンはニコニコ笑っていた.それで僕は,すっごく嬉しかったよ.パパがママンにチュってしている間に,僕はパパに見せようと,僕のイカしたウサギを取りに行ったんだ.」(p.77)
もちろん,「イカしたウサギ」とchouetteが出てきています.このまま終われば,何て幸せな家庭でしょう,何て素敵な話の終わりでしょう.でも『プチ・ニコラ』ですからね.そうは行きません.瞬間,パパは振り向いて,ニコラに言います.
「いいかい,ニコラ.これで万事解決だ.だから聞き分けよくしなくっちゃな.お前が手にしているそのコ汚いものを捨ててきなさい.よく手を洗って,みんなでおやつにしようじゃないか.」(p.77)
「コ汚いもの」(cochonnerie)とは「ごみ,粗悪品」を指す語ですが,パパの発言では「もの」よりも,「汚れている」に力点が置かれているようです.直後で「よく手を洗って」と付け加えていますから.ですから,このお話,子どもが作ったウサギだから拙いとか,さほどウサギに見えないとか,そこじゃなくて,「粘土」で手が汚れベタベタしているから,台所で不衛生だと感じたのでしょう.ママンも忙しくて子どもの相手なんてしていられず,ヒスを起こしたというのではなさそうです.
それにしても,ママンとニコラを宥めるときにパパはこう言っていました.
「〔ママンに向かって〕そうだろうとも,そうだろうとも.大丈夫,万事丸く収まるよ.子ども相手には,ほんの少し気持ちを察してやらなくっちゃ.わかるだろう?ほら,こんな具合にね.」
そう言ってパパは僕の方を向いて,手でクシャクシャっと僕の髪を撫でたんだ.(p.77)
「ほんの少し気持ちを察してやらなくっちゃ」(il faut un peu de psychologie avec les enfantas.)と(偉そうに)言ったパパこそが,ニコラの気持ちを察していなかったというオチです.やっぱりこの後,ニコラは泣き叫んで,元の木阿弥なんでしょうか.続きが気になるところです.
イラストではニコラがウサちゃんを差し出し,パパは怪訝そうな顔でニコラの手を見ています.絵には肘掛け椅子があり,パパは新聞を手に持っています.『プチ・ニコラ』では肘掛け椅子はパパの「くつろぎ」の象徴です.最後の文で「みんなでおやつにしようじゃないか」と言っていたはずなのに,いきなりくつろぎモードに入っているのはどうにもおかしい.というわけで,これも文とイラストのニアミスなのですが,もう一度2枚目を見てみると,ウサギを差し出すニコラに料理で忙しそうなママン,3枚目はウサギを差し出すニコラに早く揉め事を終わらせてくつろぎたいパパ.要するに,「子どもの気持ち」どころか,自分の仕事や欲望を優先させる大人のエゴが,文字通り丸見えというわけです.そういえば,担任の先生にしてから,粘土遊びは押し付けの「ご褒美」で,子どもが望んだものではなかったはずです.
そう考えると,「汚い」という概念も大人の見方に違いなく,子どもには汚れ,不潔よりも楽しみや出来の良さが優先されるのでしょう.それでイラストも文も共に,大人のエゴを暴いて見せているとも言えるのではないでしょうか.
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