« La tombola », t.V, pp.99-107.
タイトルの「トンボラ」はイタリア語起源で「福引き」.福引きで私が想像するのは,商店街で商品を買うと1枚もらえて,ガラガラ(正式名称は知りませんが,「ガラポン」が一般的なようです)を回して,当たりが出たら商品をもらえる.だけど大概はティッシュかうまい棒か・・・というもの.ここでのトンボラはお話にも出てくるように「宝くじ」(« loterie)に近いもののようです.こんなところでも「クラスで一番ビリ」のクロテールに,担任の先生が説明するところによると,
「トンボラは宝くじのようなものです.参加者に数字のついたチケットを買ってもらい,それから宝くじのように,抽選で数字をひきます.それで出てきた数字を持っている人が賞品をもらうのです.今回の賞品は,なんと!原動機付き自転車ですよ.」(p.99)
これは・・・ずばりそのまま「宝くじ」ですね.後を読めばわかりますが,数字のついたチケットを1枚1フランで販売していますから,先ほど私が想像した福引きと違って,商品と引き換えにもらえるものではないのですから.当たるも八卦,当たらぬも・・・というやつです.賭け事の苦手でケチな私なら買わないな,となりそうなところですが,それでも,集めたお金で空き地を作るらしいので社会貢献の一環ですし,それに小さな子どもたちが売り捌くのは社会勉強で教育的配慮でしょうから,どうしましょうか.それにしても,お役所のあざとい集金手段なのか,公に頼らない市民の自発的な活動なのか.どちらなんですかね.
それはともかく,ニコラたちは50枚綴りのチケットを1人1束渡されて下校します.ジョフロワは「すっごくお金持ちのパパに」一括購入を促すそうです.それを聞いたリュフュスはなかなかの優等生で,「ああそうかい,でもな,それは反則だぜ.これはな,知らない人にチケットを買ってもらうのが規則なんだ.だから,いいんじゃないか」(p.100)と,ちゃんと主旨を理解しています.でも,人はえてして安易な方向に流されます.リュフュス以外のみんなはジョフロワ派.かわいそうにリュフュスは「お前ら,間違ってるぜ」と一人奮闘します.
リュフュスは通りがかりのおじさんに近寄り,チケットの束を差し出した.でもおじさんは足も止めてくれなかった.それで僕らはみんな,家に帰ったんだ.クロテールだけは教室の机にチケットを忘れてきたって言って学校へ戻ったけどね.(p.100)
それでイラストの1枚目.
手前にいるのが足も止めないおじさん.おじさんに向かってみんながチケットを差し出してますから,どれが勇敢なリュフュスか分かりません.でも,この状況なら,おじさんが知らんぷりして歩き続けるのも理解できます.みんなで,「買ってくれ,買ってくれ」って大合唱されたら,さすがにうっとおしい.一人から購入したら,僕のも僕のも!ってなりかねませんし.おじさんは足を止めないだけではなく,必死に上を向き,子どもたちを見ないようにしているようです.右側の乳母車を押したおばさんも無視してスタスタ.背後にはおばさんにつきまとう,チケットを手にした子どもたち.まさに金魚の○ん状態.奥の真ん中,後ろ向きの着飾ったおばさんも聞く耳を持とうとしません.二人のおばさんの間,ベンチの近くには二人の子どもがいますが,あまりに売れないものだから,子どもが子どもに売りつけようとしています.すごい商魂.
ところで,チケットを買ってもらおうとしている子どもたちは,片手にチケット,もう片方のてに帽子を持って振っているようです.これは礼儀の表現ですよね,きっと.人と話す時には,あるいは人にお願いする時には帽子を取るものだ,なんてのは私が子どもの頃には聞いた言葉ですが,今の子どもたちにも理解できる礼儀作法なのでしょうか.
というわけで,このイラスト,いつものように文章での説明とはだいぶ異なる描写になっていますが,チケットを売ろうと必死になっている子どもたち,素知らぬふりをして通り過ぎようとする大人たち.この対比が理解できれば良いので,文に対応しているかどうかなどは二の次でしょう.
さて,家に帰ったニコラはパパに売りつけようとして失敗します.次はパパと一緒にブレデュールさんのところへ訪問販売へ.ブレデュールさんといえば,何かといえばパパと張り合いケンカをする,パパの大の仲良し?のお隣さんです.そして彼が登場するときは必ずパパとセットで,そして喧嘩になる.ここでも例外ではありませんでした.結局ニコラはここでも挫折し,ついに泣き出すのですが,これを見かねたブレデュール夫人がチケットを束ごと買ってくれました.自分では50フラン払いたくなくて,ブレデュールさんに押し付けようとしたパパと,何かと理屈をつけて買いたがらないブレデュールさんに見習って欲しいものです.でもそんな彼らがしっぺ返しを食うというのが『プチ・ニコラ』です.
今や,弱ってしまったのはパパとブレデュールさんなんだ.だって,ブレデュールさんの奥さんは原動機付き自転車を物置にしまい込んでしまって,パパとブレデュールさんには絶対に貸してあげないんだから.(p.107)
要するに,チケットを買ってあげたブレデュール夫人に景品が当たり,その親切が報われるというお話です.たったの50フランでニコラの笑顔と,人の尊敬と,原動機付き自転車が手に入るなら安いものでしょう?
それで2枚目のイラスト.
颯爽と原動機付き自転車に跨る自分の姿を想像しているニコラの図,らしいのです.お話の結末はもう見ましたから,このようなシーンがありようがないのはお分かりですよね.しかし,このイラスト,すごく正確なんです.
まず,この景品の乗り物は,フランス語ではvélomoteurです.つまり,vélo「自転車」だけど,moteur「モーター」が付いている乗り物です.ただの自転車ではありません.ただの自転車が賞品だったら,チケットを販売する子どもたちのテンションもそれほど上がらなかったかもしれません. モーターが付いているからかっこいいんです.それでニコラは仲間内の注目の的となり,妄想を表す吹き出しの中の子どもたちも,羨ましそうに眺めているのです.
それに「原動機付き自転車」だからこそ,漕がなくてもスイスイ進めるのです.ニコラの足を見てください.足を動かしている様子は窺えませんし,それに,後ろの車輪にはパイプのようなものが付いていて,どうも排気ガスを出しています.これはフランスで1950年代〜60年代に流行した「ソレックス」(solex)のようです.「原動機」が付いていても,免許なしに子どもが乗れたのかどうか分かりませんが,それにしても,かっこいいですね.
最後に,お話の最後をもう一度読んでみましょう.ブレデュール夫人は抽選に当たって賞品を手に入れるわけですが,「原動機付き自転車を物置にしまい込んでしま」います.もちろん,お金を出したがらなかった「パパとブレデュールさん」へのお仕置きに違いありません.だからこそ,「パパとブレデュールさん」限定で,「絶対に貸してあげない」のです.『プチ・ニコラ』の語り手はニコラですから,こう言っているのはニコラです.ですから,ブレデュール夫人は「パパ」と自分の夫以外の人,例えばニコラには気前よく「貸して」くれるのでしょう.それでニコラは新品の,かっちょいー原動機付き自転車に乗りたい一心で,乗っている姿を想像しながら,帰路を急いでいるのかもしれません.
どうですか,ニコラの妄想を極めて正確に伝えてくれるイラストなのです.
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