« La visite de mémé », t.V, pp.64-71.
題は「メメが来た!」,あるいはもっとクラシックに「メメの訪問」,あるいはもっともっとシックに「祖母来訪」でしょうか.どなたがこのブログを読まれるかわかりませんが,これを読まれている「あなた」に,私が何をどう伝えたいかで,題名の訳も変わりますよね.
そもそも,méméはやや幼児っぽい言い方で,「おばあちゃん」を指します.おばあちゃんといっても,お父さんのお母さんか,お母さんのお母さんか,つまり父方か母方か,2人いるので,どちらかは判断できません.ところが『プチ・ニコラ』で登場する「メメ」はいつもニコラの「ママンのママン」という設定です.よほどキャラが強いのか,単にパパのママンが話題に上らないのか.どうしてだかわかりませんが,とにかく『プチ・ニコラ』ではママンのお母さんこそがメメなのです.
そしてメメが登場すると,話題の中心はたった一つ.メメとパパとの険悪な雰囲気に集中します.アルセストが出てくると食べ物の話,アニャンは「クラスで一番で先生のお気に入り」,隣人のブレデュールさんが登場すると必ずパパと喧嘩,ウジェーヌおじさんの名前が出てくると・・・というように,『プチ・ニコラ』では名前とキャラ,そして関係性のパターンに一定の傾向があって,だいたい展開が予想できるのです.
というわけで,今回はママンが大好きな,ママンのママンであるメメがニコラの家にくる話.メメはニコラにはべらぼうに甘くて,どうもパパにはそっけない態度をとります.もちろんパパもメメが好きでない,というか,かなり煙たがっています.できれば来てほしくない様子です.それでも義母ですから,じゃけんに扱うわけにもいきません.それでいつも,すれ違いを起こし,とんだ目に遭い,悔しい思いをする.でも,義母ですし,ママンとニコラの手前,はっきりと口に出しては言えません.ストレス,たまりますな.
今回は4枚のイラストがありますが,さて,この4枚の共通点は何でしょうか.
本に挿入された順では上から,1, 2, 4, 3となります.1〜3までは二つの共通点があります.まず描かれているのが,大きな口を開けてニンマリしているメメとニコラであること,それにメメが発する言葉が「チューしてちょうだい」(un bisou)であること,この2点です.それにしてもメメ,かなり恰幅が良いようです.横幅はニコラの何倍あるのでしょうか.絵が小さいとちょっとわかりにくいのですが,1と2でニコラはメメの言葉を不思議そうに眺めるだけですが,4ではベッドの中で,流石に眉を釣り上げている様子です.またかよ,的な?そうなんです,メメはニコラがあまりにかわいいもので,いつでも,どこでも,愛情表現である「チュー」を求めてしまうのです.それで4ではお話の最後,つまり一日の終わりで寝る間際にまで,チューを求めてウザがられるというわけです.年中,というより一日中,チューを要求するメメ.パパが「鉄床」でも持ってきたんですかとパパが嫌味を言うほど重かったスーツケースいっぱいに,ニコラへのプレゼントである「組み立ておもちゃ」,「ボードゲーム(もう二つも持っているけどね)」,「真っ赤なボール」,「おもちゃの自動車」,「消防車」,「音のなる独楽」を持ってきてくれるメメですが,流石にウザいです.静かに寝かせてくれよ,的な?
ところが3に当たる,上で一番下に置いたイラストだけは少し異なります.メメは「おばあちゃんへのプレゼントは?」と,相変わらず「チュー」を要求しながら,それをニコラから言わせたいメメ.それに,横の部屋で聞いていたパパが代わりに,「チューだろ,チュー」とツッコミを入れています.パパはニコラの代弁をしているわけで,どうせ「チューだろ」,もう聞き飽きたよと言わんばかり.しかしドアがあいているように見えるのに,部屋を仕切る扉がありません.ニコラの頭上の額縁が途中で切れていルので,すぐ横に扉があるようにも思えません.どうも不自然な構成です.しかしこのイラストの肝は,パパがいるのは隣の部屋で,ニコラとメメの会話が聞こえていること,二人の会話というのが一日中同じで,メメが「チューをしてちょうだい」と」とまた要求していること,あるいは,声は聞こえなくても,メメとニコラが二人でいる様子さえうかがえれば,どうせ毎度の「チューだろ」と,聞かなくてもわかるということ,これら全てを一枚で伝えることなのです.読者が一目でそんなメメとニコラの毎度のセリフを察することができればそれでよく,不自然な構図など問題ではないと言えます.
そんな,文字通り一瞥でわかるメメとニコラとパパの関係性を説明し,かつ強化してくれるのが,パパの被る災難の記述です.まず会社を早退して,駅にメメを迎えに行ったパパは,すれ違いで会うことができませんでした.一本早い電車に乗ってきたメメが連絡も入れず,勝手にタクシーできてしまったのが原因です.パパ,イラっ(1)💢.次にメメは駅の荷物の預け所にスーツケースを預けてきてしまったため,仕方なくパパが取りにもう一度駅に向かいます.パパ,イラっ(2)💢.スーツケースはまるで「鉄床」が入っているみたいに重くて,両手で運んできます.パパ,イラっ(3)💢.それにおもちゃばっかりが詰め込まれてました.パパはメメに夫婦の寝室を提供し,1階のソファで寝るハメになりました.だって,メメに「私の坐骨神経痛はもうほとんど痛まないんだよ」とまで言われては文句も言えません.イラっ(4)💢.仕方なくスーツケースを2階にまで運びます.イライラっ💢(5).メメに新聞と肘掛け椅子を奪われて,イライライラっ💢(6).「今日は駅にお迎えに行くので早退したから,明日は早く起きなきゃな」という嫌味もスルーされて,プチ・イラっ😠(6).夜中に案の定,ニコラが腹痛を起こし,パパが心配して見にゆきます.どうやらこの時も,メメの方が先に気が付いたらしく,様子を見に行ってくれとパパに行かせたみたいです.だから言わんこっちゃないのにと,でも仕方なくニコラの部屋に足を運ぶ優しいパパ.でも,(ばっ婆ぁー!と)きっと内心ではイラっ👊(7).朝起きると洗面所をメメに占領されていて入れないパパ.イライライラっ!!!(8).自分は悪くない(つもりな)のに,ママンにも「私の母が来てからというもの,あなたは母にわざと冷たくしてらっしゃるようですわ.もちろん,あなたのご家族じゃないですものね.いつものことですわ.それに引き換え,弟のウジェーヌさんに対してだったら・・・」(p.70)とママンにも責められて,もう諦めモード(9).最後に,メメはニコラに学校を休ませると言い出し,パパもしぶしぶ許可します.
「仕方ないな.僕はもう行くよ.今夜はあまり遅くならないようにするよ.」と,パパが言った.
「ともかく,私がいるからといって,いつも通りにしていただいて結構ですよ.どうぞ,私なんかいないものと思ってくださいな.」(p.71)
よくフランスでは,他人の家にお邪魔した際に,家の主が「どうぞ自分の家にいるようにおくつろぎください.」(Faites comme chez vous.)と言うのですが,最後の「私なんか・・・」(« Faites comme si je n'étais pas là »)は,このフランス語の慣用表現をもじったものです.加えて,文字通り訳すと,「まるで私など存在しないかのように,振る舞いなさい.」となります.これだけ家の中を掻き乱し存在感を際立たせておいて・・・.もちろん,メメは天然でそういったのかもしれませんが.きっとパパも,怒りを通り越して,脱力状態でしょう.
そんなたたみかけるような災難の数々と,脱力感を読み取った後でなら,最後のイラストの↑パパの様子も言葉も,またいつものチューだろという軽いツッコミどころか,今日一日の疲労と脱力感を読み込めるかもしれません.もう会わないようにと,わざわざ別の部屋にいて顔を見ないようにしているのかもしれません.先ほどメメに言われた通り,「まるで存在しないかのように,振る舞」っているのでしょうか.もしそうなら,このイラスト,構図は不自然であっても,その不自然さが極めて自然で合理的な状(情)況証拠となっているようにも見えるのです.
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