« On a fait le marché avec papa », t. V, pp.31-39.
「パパと市場でお買い物」.過去の形で書かれていますので,ニコラが回想するお話ということでしょう.楽しそうな題名なのに,題字の上の一枚目のイラストでパパはどうも浮かぬ顔.
このイラストでパパは右手に買い物籠ならぬ買い物網(filet à provisions)を持っています.そのように文章にも書かれていますから,もちろん正確なのですが,ところが以下で見る3枚目では買い物袋を手に下げているじゃないですか!またもや,ゴシニーの文とサンぺのイラストが食い違ったところですが,そんな小さな食い違いは二人にはよくありますし,大したことじゃありません.イラストが伝えたいのはそんな細部じゃないのです.
夕食後,パパは毎月の収支決算をします.いわゆる家計簿なのでしょうが,世のお父さん,ちゃんと家計について踏まえていますか?私の家では,お父さんは外で稼いでは来ますが,家計にはノータッチでした.誰かがやらなければならないので,家計のやりくりをするのがお母さんの役割に.いっそのこと逆転させたら如何でしょう.もしくは,お父さんは自分の役割(稼ぐこと)が済んだら,後のことには一切口を出さないとか.そのどちらもできないから,世の中,不満と不公平感が溜まってしまうのでしょうか.
ところで,フランスではこのようにお父さんが家計の心配をするというのが一般的なんでしょうか.あるいは一般的だったのでしょうか.
それはともかく,上手くやりくりができていないと感じたパパはママンと喧嘩になります.その時の「そんな話,子どもの前でしないでください!」というのも,やはりよくあることなのでしょうか.子どもにお金の心配をさせたくないのか,家庭の収支を知らせたくないとか.売り言葉に買い言葉でパパは「私が買い物をすれば,節約ができるし,もっといいものが食べられるね!!」なんて啖呵を切ってしまいますが,その時にも,「子どもは寝かせなさい!」なんて言っていますから,やはりお金の話を聞かせたくないようです.私の家でもそうだったような.どうなんでしょう?
そんな1950年代の社会生活に関する疑問か,日本も含めたもっと普遍的な慣習の問題は置いておくとして,こうして日曜の朝に,パパはニコラを連れて買い物に行くことになりました.このシチュエーションだと,『プチ・ニコラ』のパターンとして,偉そうに自慢したり見栄を張ったりしたパパは失敗し,しっぺ返しをくうことになるのですが,果たしてこのお話もその通りでした.さらに泣きっ面に蜂状態.
ニコラによれば,市場には「人がいっぱいいて,そこらじゅうで大声がして,まるで休み時間みたい.長い休み時間だ.そんな休み時間ならいいのになぁ」(p.32)とのことです.でも,授業に挟まれていて短いから楽しいんですよ.そんなゴタゴタ,わいわい様子を表しているのが3枚目のイラストです.
相変わらず,サンぺはうじゃうじゃ,ごちゃごちゃ線描で一杯詰め込むのが好きですね.右奥には買い物袋を手にしたパパがいます.右手前にはお店の人と交渉している人.左手には,お客に言われて新聞紙に野菜をくるんでいるおばさん.手前中央には,もう持ちきれないほどの買い物袋と網袋を両腕に引っ掛け,おまけにバゲットを抱えた女性もいます.このバゲットというのがいかにもフランスちっくです.日曜の午前中は市場で全ての買い物を済まし,途中カフェでお茶を飲んで休み,お昼にご馳走を作って家族揃って2時間かけてデザートまで平らげる.これがフランスの生活ですから.脱線しましたが,他にも品定めをする人,次は私の順番とお店の人にアピールする人,買ったものを友だちに見せて会話をする人,挨拶を交わす人,おつりを確かめる人・・・もう本当にさまざまな人が文字通り入り乱れています.私の憶えているフランスの市場そのものです.そんなフランスの風物詩も,コロナで様変わりしてしまったことでしょう.
しかし当然予想できることですが,滅多に買い物になんて来ないパパですから,物の相場を知りません.相場を知らないということは,高いか安いかまるで判断できないということ.それで文句を言うものですから,当然,お店の人と言い合いになります.まずは八百屋のおばちゃんと.それでブツブツ減らずぐちを叩くと,近くの主婦にどやされます.そして魚屋のおじさんと.イセエビの値段に驚いたパパが帰ろうとして,食い下がるニコラを泣かしてしまうと,おじさんもおじさん.余計〜な一言を言います.
おじさんが言ったんだ.「お見事!おケチな旦那さん,家族にひもじい思いをさせて,その上子を虐待とはな,おお〜可哀想に.」
それを聞いてパパが怒鳴った.「余計なことに首を突っ込むな.そもそも,泥棒みたいな商売しているやつにケチだなんて言われたくないぞ!」
「あっしが泥棒だって?!一発くらいたいのか!」そう言ってシタビラメを手にとった.(p.35)
これが2枚目のイラストです.ちなみにシタビラメはムニエルにして食べると絶品! ではなくて,高級魚なんです.それで「ケチ」なパパに対する嫌味になっているようです.左手に持って振り上げた魚は鱗があって,とてもヒラメには見えません.パパの後じさる様子がかなりリアルです.いつの間にか,右手に持っていた買い物袋はまたもや網袋に代わりましたし,そもそも左手でニコラと手を繋いでいたはずなんですが.でも,またもやそんな細かいことはどうでも良いのです.魚屋のおじさんの怒りが通じていれば.
原本ではこの場面(p.35)の次のページに見開きで3枚目,大判の市場のイラストが来ますので,何か拍子抜け.単なるレイアウトの問題なのですが,やはりこれは逆が良いですね.
それでも魚屋さんに向けたパパの減らず口もまんざらでまかせでもなかったようで,この後魚の鮮度が悪かったと他のお客さんに言われて,お店に人だかりができてしまいます.パパとニコラはこれ幸いと危機を脱しました.と,ここまででも十分不運にあってきたパパですが,ここからは次から次へと加速度的にひどいことが.唯一ゲットしたトマトの網をニコラが落とす,後ろを歩いていたおばさんが踏みつけて潰してしまう,おばさんに「ちょっと,気をつけなさいよ!」と怒鳴られ,車は駐禁を取られ,ズボンに潰れたトマトの汁が染み込み,トラックと衝突事故,運ちゃんにも怒鳴られました.これ以上の不幸って,何か思いつきますか?
そうそう,やっぱり今回の買い物は「網」袋じゃなくっちゃいけなかったんです.そうでなければ,車に乗って,パパの膝の上に置いた,ぐちゃぐちゃに潰れたトマトでズボンが汚れることはなかったですから.ゴシニーは小物でも盛り上げてくれます.それを理解したサンぺのイラストでも,しっかり汁が垂れていますし.
二人は帰宅し,ママンはそれ見たことかと言いかけますが,先にパパが大声張り上げ,静止します.
家には何も食べるものがなかったから,パパはタクシーでレストランに連れてってくれたんだ.やったー!(p.39)
でもパパは食欲がなかった(?)らしく,あまり食べませんでした.ママンとニコラはパパが買いに行って果たせなかったイセエビのマヨネーズソースを注文します.よほどのご馳走のようで,「いとこのウローズ[変な名前!]が初めて聖体拝領をした時の食事みたいだったよ」(p.39)だそうです.
ママンがいったんだ.「パパの言う通りね.節約っていいものね.」(p.39)
先ほどぐっとこらえて言わなかった文句が,皮肉になって出てきました.もちろん,奮発して市場でイセエビを買ってきたら,ほら,普段買い物しないんだから,安い買い物なんてできっこないでしょ,と嫌味一つとイセエビの代金で済んだはずなのですが.結局パパはトマトの代金,駐禁,タクシー,イセエビと,節約どころか大いに散財してしまったわけです.節約って難しいですね.
そして相変わらずKYなニコラの一言でお話は締めくくられます.
次の日曜日には,またパパと一緒に市場で買い物がしたいな.(p.39)
パパのおかげで,ママンとニコラには最高の日曜日だったんですね.それなら,パパ,散々な目にあって,散々な散財をしても,報われますよね.
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