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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(71)

« La valeur de l'argent », t. V, pp.22-30.

 「お金の価値」という題名なんですが,お金の価値ってどのくらいなんでしょうか.今日のお昼はワンコイン,オヤツの杏仁豆腐に200円,映画に行って入場料が1800円で,昨日買ったCDが2000円などなど.でも,これって全部,モノとかサービスへの支払いで,お金そのものの値段じゃありません.以前どこかで,お金で買えないものは何?という質問に,お金という答えがなされているのを読んだことがありますが,確かに1万円札を買うなら1万円払わなきゃいけないので,これは単に交換しているだけ.ですから,お金はお金で買えないんですね,やはり.そもそも1万円札という紙幣は紙に印刷されているだけで,はい,これは1万円と交換できますよ,1万円分の価値があることにしておきましょうって,社会の約束事として決めてあって,みんながそれを信じているから,ただの紙切れに1万円の価値があることになっているはずなのです.別に,お金や日本銀行にケチをつけようっていうんじゃありません.そうなのですが,始めに「お金の価値」という題名を見たときに???と考えてしまったんです.それでは,お金の価値はどのくらいで,一体全体,何と交換できる価値があるというのでしょうか.

 ある日,ニコラは歴史の授業の作文でクラスで4番をとりました.『プチ・ニコラ』ではクラスで〜番だったから何かもらったとか買ってもらったというお話が幾つも出てきます.家族みんなが一喜一憂しますから,余程の重大事のようです.私の家はそんなことありませんでしたが,それは期待されていなかったから・・・でしょうか.


 僕は歴史の作文で4番をとったよ.シャルルマーニュが出てきて,僕は知っていたし,ロランの一吹きとか折れない剣とかね.(p.22)


 この辺,フランスでは誰もが知っている知識が羅列されていますので,フランス人ならピンとくるのでしょうが,日本ではそうはいきません.邦訳では丁寧な説明が付け加えられています.上↑のようにそのまま訳しても,何が何だかわからないでしょう?

 ともかく,ここでは4番というのがよほどの快挙だったらしく(1番じゃなくていいんだ?),パパはお財布から10フラン紙幣を取り出して,ニコラにお小遣いとして渡します.ここでママンが「えっ?!えっ?!でもあなた,それは子どもにはあんまり多すぎない?」(p.22)と驚いていますから,相当の額なのでしょう.歴史でクラスで4番=10フランなり.そこでパパは答えていいます.


 多すぎるなんてことはないね.ニコラがお金の価値を学んでもいい頃だ.ニコラならこの真新しい10フラン紙幣をちゃんと使えるな.そうだろ,ニコラ?(p.22)


 ややまどろっこしいですが,直訳すると,「ニコラがお金の価値を知るよう学習しても良い頃だ」となります.つまりお金の価値を知る,ピン札の10フランの価値はどのくらいか学ばせようという親心です.ピン札10フランであれば,普通に考えれば10フラン分の買い物ができるわけですが,それは単に交換するだけで,どれくらいの「価値」があるのかを示すものではありません.「ちゃんと(使えるな)」は原文では« d'une façon raisonnable »「理性的な仕方で,合理的に」という意味ですから,10フランに見合うものに交換するだけではなく,それが「理性」に叶っている,つまり誰もが納得するものに使いなさいとパパは言っているのです.もちろん,無駄遣いなんてもってのほかでしょう.それを判断できるかどうかが試されているのです.

 あまりに貴重な,ニコラにしてみれば使い切れないほどの額を表す紙を入手したために,もう夜も眠れませんし,ポケットに入れたので,食事中もずっと触りっぱなし.嬉しいのか不安なのか.学校へ来ると,もちろんみんなに見せびらかします.その時の自慢げな顔と,クラスメートの驚きようったら!


 驚き目をひんむいた左から2番目の級友はアルセストのようなのですが,文ではアルセストは遅刻してきたはずなので,お披露目時にはいませんでした.それにしても,お金を見せびらかすとかお金持ちを自慢するのは,日本でもしちゃいけませんと習うものですが,多分ニコラには10フランが「たくさん」だ,滅多に手にできないということはわかっていても,「価値」を理解しているわけではないのでしょう.ですから,悪びれずに友だちに見せびらかしてしまうわけで,これで相手に言うことを聞かせようとかいうような価値の悪用は金輪際考えていないのです.

 それでいつも通り,クラス中の話題となります.「本物の飛行機」を買えばいいとか,否,飛行機は1000フランはするとか,3万フランはするね,と話が脇道に逸れたりとか.これもいつものことです.

 いろいろ不思議なのは2枚目のイラスト↓.


 お話からすると,①ニコラを先頭に,みんなでぞろぞろ学校の外へ買い物へ行くという記述はありません,休み時間にみんなで話していたのは確かですが.②アルセストは前述の通り遅刻してきましたから,みんなと一緒にはいませんでした.でも,列の3番目は口に何か頬張っていますからアルセストですよね.

 話を聞きつけたアニャンは「地図帳」の購入を提案して場を盛り下げます.




 出ました.フランス人がよくやる,こいつ頭がイカれてるぜの動作!それはともかく,原文ではatlas「地図帳,図鑑」なので,イラストに出てくる地球儀は誇張でしょう.


 リュフュスはサッカーボールの提案.これも却下.


「冗談じゃないよ,と僕は言ったんだ.この紙幣は僕んだ.みんなで使うものを買ったりはしないよ.」(p.26)


 何か釈然としません.ニコラがとてもエゴイストで自己中のような.案の定,リュフュスは「お前はケチだな.」と言い放ちます.危うくケンカになりかけましたが,チャイムに救われます.

 次のイラストは↑の2枚目からの抜粋なので,4枚目はアルセストに唆されたニコラが50枚もの板チョコを買いにきた場面です.


 「このお金で買えるだけの板チョコをちょうだい!アルセストが50枚はもらえるはずだって.」(p.28)


 50枚のチョコレート!これじゃパパも浮かばれません.とても「ちゃんと」使ったとは言えないでしょう.美味しいでしょうが.

 しかし10フラン紙幣というのは,この時代にはニコラの年齢の子どもが持つには,やはり「たくさん」すぎたようです.お店のおばさんが怪訝そうな顔をしています.そんな怖い顔に,ニコラも怯えて恐る恐る紙幣を差し出しています.どうやらおばさんはニコラがお金を拾ったか,悪いことをして手に入れたか疑ったようです.


 おばさんはじろっとお金を見て,それからじろっと僕を見て言ったんだ.

「ぼうや,そんなお金,どこで拾ってきたんだい?」

「拾ったんじゃないや.もらったんだ.」

「板チョコ50枚買いなさいって言われてもらったというのかい?」

「えぇっと・・・そうなんです.」

「あたしゃ嘘つきは嫌いだよ!元の拾ったところに戻しといでったら.」

 おばさんはそう言って目をひんむいたので,僕は一目散に逃げ出して,家まで泣いて帰ったんだ.(p.30)


 おばさんの決めつけは的外れだったとはいえ,悪いことをしないよう,子どもに諭す大人がいて,無駄遣いを戒める大人がいて,何と素敵で幸せな社会じゃないですか.もちろん子どもにも言い分があるでしょうし,ニコラが嘘をついたわけでもないのですが,こうして常識にとらわれたおばさんは「お金の価値」をニコラに知らせたわけです.それによると10フラン紙幣は50枚の板チョコと等価ではなかったというわけです.

 家に着くとニコラは泣きながらママンに話をします.それで10フラン紙幣を取り上げて,パパのところに話にゆき,代わりに20サンチームのコインを持ってきます.


「この20サンチームで板チョコを1枚買うといいわ.」

 それで僕は大喜びしたんだ.それにこれなら板チョコを半分にしてアルセストにあげられると思ったんだ.だってアルセストは友だちだし,僕ら何でも分けっこするからね.(p.30)


 今回はパパもママンにしてやられました.でも,パパはお金という何にでも交換できるものの価値を,ママンはお金の使い道という価値をそれぞれニコラに教えてあげたということでしょう.お店のおばさんも,健全で真っ当な考え方を教えてくれたのです.

 悪銭身につかず,猫に小判,豚に真珠・・・どれもこれもどうもしっくりきません.でもニコラにしてみれば新品の10フラン紙幣=50枚の板チョコよりも,友だちと分け合える20サンチームのコイン=1枚の板チョコの方が大事だったわけです.これこそお金では絶対に買えない,「お金の価値」でしょう.


 それにしても,みんなそれぞれニコラの20サンチームをあてにしているのでしょうか.この5枚目,左から「チョコレート」「特上チョコレート」「極上チョコレート」を思い浮かべていますが,何を買うかで品物も個数も変わるのですから,またお金を巡って一悶着ありそうです.お金は諸悪の根源,災厄のもと.






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