« La lettre », t.V, pp.14-21.
お話の最初と最後が結びついていて,ユーモアたっぷりで,パパとママンのケンカがリアルで,ニコラのKYぶりが全開で・・・とすべてが盛り込まれていて,私の大好きな「手紙」というお話です.
イラストは計6枚散りばめられていますが,1枚目は5枚目の一部,3枚目は6枚目の一部なので全部で4枚です.どれもがいい感じです.
書き出しでは,ニコラがパパを心配する様子が描かれています.
僕,パパのことがすっごく心配なんだ.だってもう,すっかり記憶そーしつみたいなんだから.(p.14)
こんな書き出しなので,ただでさえ忘れっぽそうなパパがいよいよ・・・と読者は要らぬ心配をしてしまうかもしれません.しかしこれがKYなニコラがすっとぼけた様子で発したパパへの皮肉だったとは気づきませんでした.
ある日,郵便配達が荷物を持ってきました.中身も見ずにニコラは大喜び.だって,届く荷物といえば,それはいつもニコラのおばあちゃん(母方)であるメメからのプレゼントだからです.プレゼントをもらうニコラは嬉しいに決まっていますが,どうやらニコラの家ではメメからのプレゼントはいつもプチ波風を立てるようです.
「こんなふうに子どもを甘やかすもんじゃない」って,パパは言うも言うんだ.(p.14)
「こんなふうに・・・」の原文は« on n'a pas idée de gâter comme ça un enfant »で,直訳すると,「こんなふうに子どもを甘やかす考えを持つべきじゃない」となります.ここで面白いのが「考え」という語idéeです.「考え,アイディア,思いつき,発想・・・」,哲学では思考の最小単位である「観念」なんて訳されることもあります.この語のせいで,パパとママンの喧嘩が加熱するようなのです.
まず,パパは義母にあたるメメがどうも苦手なようです.このことはこの第5巻の後ろの方の「メメの訪問」や,2006年に出版された『プチ・ニコラ未刊行作品集 第2巻』(Histoires inédites du Petit Nicolas, volume 2, IMAV éditions, 2006)に収録された,題名そのものもズバリ「メメ」からよ〜くわかります.それでパパは,ニコラが何か受け取ることよりも,それがメメからのプレゼントだというのが気に入らないのです.ですから,「子どもを甘やかす」(gâter un enfant)と,子ども全般について一般論として言っている風を装っていますが,その実ニコラを甘やかすメメに対する嫌味なのです.ママンとメメは大の仲良しなので(「メメ」というお話の素晴らしいイラストから理解できます),メメに不平をいうパパがママンは気に入らない.それで二人はいつも言い争いを始めると言うわけです.
しかし今回はメメからではなく,パパの会社の社長さんである「ムシュブム」(やっぱり変な名前!)からニコラへのプレゼントでした.それも,先日パパが列に並んで列車の席取りをしたことへのお礼でした.ですから,今回は同じプレゼントでも,パパにとっては意味が全然異なります.そこで面白くないのはママン.いつもなら文句たらたらのパパが,今回は「すっごく喜んだ」からです.
「働き者のパパのいる,可愛いニコラちゃんへ −ロジェ・ムシュブムより」
これを聞いてママンが言った.「子どもを甘やかすプレゼントってわけね.」(p.14)
ママンの言葉は実際には「ほらっこれは,かの有名な考えね」(« En voilà une idée !»で,いつもパパが発する「子どもを甘やかす考え」の「考え」の部分のみをわざわざ繰り返しているわけで,明らかにパパへの嫌味となっています(ここのところ,世界文化社の邦訳は誤解があるようです).同じプレゼントなのに,メメからだと嫌な顔をするパパが大喜びをしているので,ママンは嫌味の一つも言いたくなったわけです.
パパもその嫌味に気がついています.それでいつもの「考え」と違うということをやはりわざわざ強調します.
「前にね,個人的なお使いをして差し上げたからなんだ.駅へ行って列に並んで旅行の席を確保して差し上げたんだ.こんなプレゼントをニコラに送ってくださるとは,素晴らしい思いつきだと思うがね.」とパパが返した.(pp.14-15.)
une idéeと言ったママンに「素晴らしい思いつき」(une idée charmante)と,同じ語に「素晴らしい」という形容辞をつけて嫌味返しをしたのです.するとママンも負けていません.
「お給料が増えたら,もっとずっと素晴らしい思いつきだったんじゃありませんこと?」(p.15)
「もっとずっと素晴らしい思いつき」(une idée encore plus charmante)と聞いて,パパはカチン.子どもの前でお金の話をするなんて!と怒りはじめました.
パパが年中繰り返す「考え」にママンがあくまでこだわっていたのは,次のリアクションからも間違いありません.
「結局のところ,自分の子どもが甘やかされて,あなたが喜んでいらっしゃるなら,私にはもう何も言うことはありませんわ!」(p.15)
ここでは「考え」と言う語は使われていませんが,パパがいつも「子どもを甘やかすなんて」と不平ばかり言うから,「自分の子どもを甘やかす」プレゼントに「喜んで」いるなんて嫌味を言われるわけです.
この「考え」idéeをめぐる攻防戦があまりに面白かったので,かなり脱線してしまいましたが,お話ではこれからニコラが社長さんにお礼状を書く,いえ,パパがニコラにお礼状を書かせると言う展開となります.
このお話が書かれた1950〜60年代の頃は,個人宅でも電話を引き始めた時期のようです.携帯,スマホと誰もが電話を持ち歩いているわれわれからすれば,なかなか想像しにくいことかもしれませんが,電話が普及し始めたこの時期,電話はまだ高級品ですし,そうおいそれと子どもが電話をかけたりするようなことはできなかったのでしょう.ちなみに私の子どもの頃もそうでしたが,今でも覚えているのが,このお話から40年以上後の1990年代のことです.私が一人暮らしを始めるにあたって親が心配して電話を引くと言いました.私は不要と断ったのですが(それで喧嘩になったのですが・・・),当時でも固定電話の設置料金は7万円ほどしましたから,『プチ・ニコラ』の時代ならだいぶ贅沢な一品だったでしょう.ですから子どもはきっと,なかなか触らせてももらえなかったのではないでしょうか.
また話がそれましたが,ニコラが社長さんに対して手紙ではなくて,電話でお礼が言いたいと言うのも,そんな憧れと好奇心が入り混じっているからです.しかし,ママンの「給与アップ」という言葉をまに受けなかったパパですが,その実,そんな下心がむくむくと湧いて出てきているようです.正式な手紙でお礼を書かせて,自分の株を上げようとします.子どもなんて所詮,大人の道具!とばかり,意気込むパパですが,こうした場合,いつも大人がしっぺ返しくうのが『プチ・ニコラ』のパターンです.ところが今回は,パパが何かヘマをやらかしたり恥ずかしい思いをしたりするわけではない.珍しい回だなと思っていたのですが,冒頭のニコラの皮肉がまさに,パパへのしっぺ返しだったのでしょう.
さて,それは最後のお楽しみとして,ニコラはイヤイヤながらも,とりあえず手紙を書き始めます.1枚目のイラストではさほど嫌そうな様子は伺えませんが,それは機転を効かせたママンがデザートのお代わりを約束してくれたからでしょう.
*後から気が付きました.このイラストはHistoires inédites du Petit Nicolas, vol.2(本コラム(167))に添えられたイラストからの抜粋です.それなので,このお話オリジナルのイラストは以下の,全部で3枚だけとなります.確かによく見ると,上のイラストのニコラはやや垢抜けないような気もしますが.
手紙の挨拶文,中程,そして最後の決まり文句まで,たびたびパパは悩み,ニコラはその度に書き直し,ママンとパパは表現をめぐって喧嘩をします.給料アップがかかっている(と妄想している?)パパは何としてもニコラに礼儀正しい少年を演じてもらいたい,つまり社長に躾の良い家庭と思わせたいわけです.そこで「拝啓」か「謹啓」か「一筆申し上げます」か,はたまた「敬具」か「拝呈」か・・・で悩むわけです.イラスト1/3です.
何のことやら,ニコラは全く理解してない様子です.どーでもいい,って感じでしょう.そういえばわれわれだって,「拝啓」か「謹啓」か,どうでも・・・と言う人がほとんどではないでしょうか.ニコラは単語自体,知らないでしょうし.
1枚目(1/3)は手紙の文句がうまく思いつかなくてカリカリしているパパ,勝手にしてとばかりに素知らぬふりで部屋を後にするママン,パパに言われたことだけを平然と書きとるニコラ,三者三様,悲喜交々な様子です.2/3です.
文の方では,「考え」をめぐって喧嘩をした後に,ママンは台所に夕食の準備に行ってしまいますから,部屋の中は二人きりだったはずです.すると,このイラスト↑は文に合わせて考えるなら,「考え」の喧嘩の時にしかありえないわけですが,それならニコラはまだ手紙を書き始めていなかったので,やはり矛盾してしまいます.ですから,ここで文とイラストの整合性を考えるのは無意味でしょう.パパが苛立ち,ママンはそんなパパを無視し,ニコラは聞かないふりをする.そんな状況と雰囲気を一目で理解させてくれる秀逸なイラストだと思います.
最後に完成した手紙を見て,パパは怪訝な顔つきをしています.3/3です.
いつもの,安らぎと休息の象徴である肘掛け椅子から身を乗り出して,書かれた手紙を見てみれば・・・.それもそのはず.
僕はパパの書いた手紙を写したんだ.何度も何度も書き直したよ.何度も書き間違えちゃったからね.それにインクのシミが付いたりしたし.ママンが来て,「もう,お夕食が焼け過ぎちゃうわよ」と言った.それから僕は三度封筒の封をして,ようやく,パパは「ようやく食事ができるよ」と言ったんで,僕は「切手をちょうだい!」ってお願いした.「わかったよ!」と,パパは切手をくれた.僕はデザートをおかわりした.でもママンは食事中,僕たちとは口もきかなかったんだ.(p.21)
だいぶ時間がかかったようです.せっかくママンが用意してくれた,夕食のお肉も焦げてしまいました.そして,ママンを不機嫌にするほど時間をかけ,労力を駆使したのに,ムシュブムさんから手紙到着の電話を受けたパパったら・・・.
「もしもし. そうですが・・・あぁ!ムシュブム社長ですか.どうもどうもこの度は.そうですか,えっなんですって?!」とパパは電話で言って,それから驚いたような顔をして続けた.
「手紙ですって? あぁ,ニコラのやつ,昨晩何かコソコソしていると思ったら,それで切手なんて欲しがったんですね!」(p.21)
昨晩,あれだけ苦労して書いたのに,パパったら,全〜部,忘れちゃったの?大丈夫,パパ?と,KYなニコラ以外の口から出たら,間違いなく強烈な嫌味で締め括られるのです.ほんとうに上手な文章です.
あっ,ちなみに蛇足ながら,文ではニコラの筆記用具がcrayonとされています.フランス語を始めたばかりの学生には古来ず〜と,crayonは「クレヨン」じゃないと教えることになっています.私が習い始めた時にもそう聞きましたので,私も学生にそう教えています.伝統は守らねば.万年筆はstyloで,フランスでは正式な場面,例えば手紙とか,試験とか,そう言う時には必ず万年筆を用いる習慣があります.上のどの場面でもニコラは万年筆で書いているでしょう?それで,文ではcrayon,つまり「鉛筆」となっているのは間違いじゃないかと思う人もいるかもしれません.実はcrayonは「棒状の筆記用具」を指す言葉ですので,crayon à billeで「ボールペン」,crayon en mineで「シャープペン」の意味にもなります.私はどちらも,stylo à bille, porte-mineと習いましたが.ですから,機械的に「鉛筆」と訳してはいけないわけで,その意味でも,イラストでプチ・お勉強になりますね.
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