« Philatélies », t.IV, pp.49-56.
題名である「切手集め」.この語の前半のphil(o)-は「哲学」philosophieにも含まれる接頭辞で「〜を愛すること」とは思っていたのですが(それで哲学はsophia,つまり知を愛すること),どうも以前から後半のatelieは何だろうと気になっていたんで,この機会に調べてみました.すると,前半のphil(o)-は「〜を愛すること,〜の探求」で良かったんですが,後半はギリシャ語のateleia「税金や負担の免除」という語で,特にatelês「税や負担を免れた」という意味から派生した表現だそうです.もう少し言うと,a-が「取り除くこと」(奪格),telosが「目標,目的」で,特に「負担,税金」となります.それではphilatélieは「税金逃れ愛好家」?これは冗談半分の造語でしょう.この語,実は1864年に『切手収集家』という名の雑誌で,エルパン(Herpin)という人が切手愛好家に向けて提案した語だそうです.切手は差出人が税金を払っているため,名宛人は税金を免除されているかららしい.エルパンさんは「郵政全般に関する事柄の研究を愛すること」という定義を想定していたらしいのですが,何ともおかしな語が定着したものです.(Alain Rey direction, Le Robert Dictionnaire historique de la langue française, t.II, 1998)
このお話にイラストは計5枚です.3枚目が2枚目からの抜粋,5枚目が4枚目からの抜粋ですから,実質3枚.ところが,この巻だけはお話の最初の字に装飾文字が使われていることは指摘しましたが(53),このお話の装飾文字は次のような写真を合成したもので,これは2枚目4枚目に出てくる似たような写真とは異なるものなのです.これをサンぺのイラストに加えて良いものかどうか・・・迷うところです.
確かに以下で見る2枚と似てはいるのですが.
ある日,リュフュスが最初の一頁目の左隅に切手の貼ってある,真っ白なノートをもってきて説明をします.
それでリュフュスが僕らに説明したんだ.「パパがね,切手集めをしてみたらどうかって.それって切手収集って言うんだって.それで切手集めはすっごく役に立つんだ.集めた切手を眺めていれば歴史も地理も勉強できるんだよ.それにパパがいうには,切手集めはすっごいお金になるんだって.昔イギリスの王様がいて,切手を集めていて,それがすっげー値上がりしたんだって.」(p.49)
こうしてみると,リュフュスたちは誰も「切手集め」(philatélie)という語を知らなかったようです.つまり子供の自発的な興味関心というより,大人の価値観=有用性(「すっごく役に立つんだ」)が生み出した行い,それも金銭がらみのマネーゲーム,不純な動機であることが暴かれています.それでも子供というものは,大人の価値観をそのまま受け入れ,その価値を信じてしまいます.「切手収集」というおかしな語も,学習の効用にも何の疑問も抱かず,大人を模倣するのです.そういえば私も映画のチラシやら切手やらを集めるのに,一時期夢中になったのを想い出しました.対象は変わりましたが,今もちょっと似たようなことをしていますが,それはさておき,今から振り返ると,大人から唆され,大人の用意した口実を受け入れ,初めての大人社会のマネーゲームに興奮したというような感じでしょうか.さてこのお話の最後では,そんな大人の目論見をニコラたちが見事粉砕してくれるのです.流石!
リュフュスの号令一下,お昼に帰ったニコラたちはそれぞれ切手を持ち寄ります.そんなことよりサッカーをしようぜとブレないウード以外は.めいめい頭の中は切手でいっぱいです.そんなものより食べ物を想い浮かべるブレないアルセスト以外は.
みんなが持ち寄った切手を見ながら交換会が始まりますが,これがうまくいかないのはいつものことです.アルセストは「千切れてボロボロでバターベタベタで,ギザギザがほとんどとれた切手」(これって切手?)をみんなに見せますが,誰も交換したがりません.クロテールは1枚に対して2枚要求して交換できません.ウードはリュフュスの切手を奪って額に貼り付けて走り去るし,ジョフロワは3枚要求するし,もうはちゃめちゃ.
イラストではみんな大人しく,そしてにこやかに交換をしているんですが,う〜ん,どうも文にはそのように描かれていません.熱心に切手帳を見せたり眺めたりしているんですが,どうやら1枚以上の切手をもっているのはニコラだけなのでは?文によると.それで最後に,ジョフロワとニコラで商談成立.
「それじゃ,お前ら,僕の切手は欲しくないんだな!」とアルセスト(訳者:実はもう3度目の確認です).
「僕は,お前の3枚の切手とならOKだな.何かカックイーものと代えてくれるならな.」ジョフロワが僕に言ったんだ.(p.55)
この後,ヤケを起こしたアルセストは自ら切手を破り捨ててしまうのですが,その記述が秀逸です.
「それじゃ,誰も僕の切手を欲しがらないから,こうしてやる!」とアルセストは叫んで,切手のコレクション(sa collection)を破いてしまったんだ.(p.56)
「コレクション」とは「切手を集めること」,あるいは「集めたもの」という語ですが,すでにボロボロでたった1枚しかなかったアルセストはその大事な「収集品」を破り捨ててしまうのです.確かに1枚でも集めたものですから収集品,コレクションなのですが,この行為により,切手の表しているはずの価値が否定されています.つまり誰も欲しがらないのであれば,そんなものに価値はないわけです.それにニコラとジョフロワ.最終的にニコラは切手3枚をビー玉2個と交換します.切手のマネーゲームも,大人の想定した価値も,こうして子どもたちによっていとも容易く踏みにじられてしまうのです.
まったく,大人の価値観なんて,○●喰らえっ!ですな.
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