« Les campeurs », t.IV, pp.27-32.
題名は「キャンプする人たち」.フランス語camperが「キャンプをする」という意味の動詞で,-eurはラテン語名詞語尾に由来して「〜する人」という語を作る接尾辞です.chanteur「歌手」,vendeur「販売する人」,metteur en scène「演出する人」など.人以外にも,機械などを指す場合にも用いられます.compteur「メーター」,climatiseur「エアコン」など(小倉博史,モーリス・ジャケ『フランス語の接頭辞・接尾辞』駿河台出版社,2020という本に出ています).
本話には2枚のイラストがついているのですが,1枚目はどうも不自然.
学校から出てきて校門の外で誰かケンカをしている様子が見えるのですが,キャンプごっこ遊びをするのは木曜日.「それで木曜日に,僕らは空き地に集まったんだ.」(p.28)フランスではかつて木曜日がお休みでした.今は水,土,日ですけど.そういえばPatrick Topaloffという人の< pour la semaine des quatre jeudis >という,子どもたちが木曜日に集まって徒党を組むという楽しい曲がありました.脱線しかけましたが,だからこの1枚目のイラストは別のお話から引っ張ってきたものではないでしょうか.というのが私の推測.
それで今回はニコラたちがキャンプごっこをするお話です.提案したのはジョアキム.どうやら週末に家族で行ったキャンプが楽しすぎて,学校のみんなでその喜びを分かち合いたいようなのですが.もちろん,「ごっこ=フリ」ですから,本当にキャンプに出るわけではありません.キャンプごっこが不発に終わったために,話の終わりでリュフュスはジョアキムに,「お前本気で怒ったのか?フリぢゃねーの?」(« T'es fâché pour de vrai, ou tu fais semblant ? a demandé Rufus », p.32)とからかう場面があります.どうしてこれで質問ではなくて,からかいになるかというと,ジョアキムがことあるごとに,本当にするんじゃなくて,〜した「フリ」をするんだとみんなを説得するからなのです.「フリ,振り」って言うんだから,それは怒ったフリじゃないのか,というわけです.原文で読むと「フリをする」(faire semblant de +動作)が何度も反復されていて思わず笑ってしまいます.
僕だけでキャンプには行かせてもらえないなというメクサンに対して,
「キャンプごっこ(=フリ)するんだよ.」(p.27)
ボロボロのシーツを見て,本物のテントじゃないと非難するリュフュスに対して,
「シーツで,テントの代わりをするんだ.」(« on fera semblant. », p.28) .
その後,キャンプ場に自動車で行くフリをして,運転しているフリをして,川辺にテントをはるフリをします.
川なんてどこにあるんだよ,とリュフュス.
「えーと,そこだよ,とジョアキム.フリするんだっていってんだろ!」(p.29)
それからみんなで「食事をするフリをして」(p.29),アルセストはお菓子を分けるフリをして,寝る前に「油で汚れた紙や缶詰を埋める」フリをして(p.30),最後にみんなテントに入って寝るフリをします.大分「フリ・フリ」振りかざしていますね.みんながテントに入れば当然小さなお手製テントはぎゅうぎゅう詰め.いつものようにケンカが始まります.イラストは仲良さそうなんですけどね.
でもテントごっこというより,何かしらうらびれた,哀れな情景に見えるのは私だけでしょうか.ボロボロのテント,積み重ねたから箱,捨てられた乳母車や空き缶,ところどころ板のはがれかけた塀.身を寄せ合い風雪に耐えるハウスレスたちの集団生活・・・.
最後にはジョアキムの「雨だ!急げ,急げ!忘れ物しないように,車まで走るんだ!」(p.32)の号令でごっこ遊びは終了.でもニコラたち全員が笑っていますし,「キャンプするのはすっごくよかったんだ.」(p.32)とニコラのいつものchouette!が出ましたから,きっと「すっごく」楽しかったんでしょう.
それで帰りに渋滞に巻き込まれて遅くなったからって,パパ・ママンに叱られるのはどうにも「おかしいんだ」(« ce n'est pas juste. », p.32)これもニコラの口癖なんですが,実はこの表現,フランスでは日常的に使われる表現です.私は留学中,「そんなのはおかしいのでは?」つまり,「それは正しくないじゃないか?」とどなる姿を何度も見かけました.それで私は,この語を目にするたびに羨ましいような気がします.彼の国ではとりあえず,理由や理屈が「正しい」が大事で,そうした正しさへの希求というようなものが浸透していて,語にあらわれているような気がするからです.別にみんなが正しく生きているわけではないのは我が国と同じですがね.
また脱線気味ですが,ニコラは大人がよく使う言い訳に「ひどい渋滞につかまって」というのを耳にしているのでしょうね.最後にちくっと,身勝手な(自分たちだって言い訳をする)大人の習慣を皮肉っているわけです.もちろん,ニコラには皮肉のつもりなどもうとうないし,帰りに渋滞に巻き込まれたって,自分たちのせいじゃないし仕方ないでしょう,とあくまでごっこ(フリ)の延長なのですが.
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