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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(54)

« Le chouette bol d'air », t.IV, pp.13-20.

題名はそのまま訳すと「イケてる空気一杯」.何のこっちゃいと思いますよね.bolというのが「お椀,コップ,鉢」などの入れ物を,bol de...で中に入っているものを指します.フランス語にはこういう表現が多いのです.un coup de pied「足の一撃=足で蹴ること」,une pièce de théâtre「演劇の一片=劇作品」のような感じです.それでこの表現が入った熟語prendre un bol d'airは,「大気を胸いっぱいに吸う,ほっとする,せいせいする」という意味になります.山や海など空気が綺麗なところに行って,胸いっぱいに吸って,落ち着くことありますよね.あれです.chouette「すっごい,かっくいー,超いい,ステキな」がニコラの口癖なのは『プチ・ニコラ』の読者には周知のところ.というわけで,題名を敷衍すると,「空気がおいしいなぁ」とでもなりましょうか.


 イラストは何と大判1枚.計4枚あるのですが,全てこの大判からの抜粋ですので,少し寂しい感じです.


 大きな家を背に,嬉しそうに胸を張ったおじさんがいます.左端には車から降りて門前に立つ,ニコラとパパとママン.つまり,ニコラたちばおじさんを訪ねてきたのだろうなと想像はつきます.でも,そんな物語のストーリーばかりをイラストに読み込むのは間違いです.いつだってサンぺのイラストはたくさんの事を,時には細部や細部の組み合わせから,文以上の事を語ってくれますから.

 まず今回のお話はある日曜日,舞台はパパの会社の会計係であるボングラン(M. Bongrain)さんが最近購入したばかりの田舎の家(いわゆる別荘)です.ニコラ一家は週末をボングランさんの家で過ごすことになりました.どうやらご招待にあずかったようなのですが,ボングランさんが買ったばかりの家を自慢したかったというのが実のところです.それにしても『プチ・ニコラ』では大人が登場すると,まずその勘違いぶりが笑い者にされる,ちょっと威張った大人の権威が貶められるというのがパターンですから,今回もきっとその線に違いありません.

 ボングランさん曰く,家は「町から遠くない」そうです.そういえばイラストでは家のすぐ横に電線が通っていますし,右奥には大きなマンションのようなものが見えます.それなら,田舎暮らしを自慢する「田舎」って言えるのかなぁ.

 ボングランさんは電話でパパに行き方の説明をします.そのメモによると,


「まっすぐ行って,最初の信号を左に曲がって,線路の橋の下を通り抜け,次に四辻までまだまっすぐ行き,四辻を左に曲がって,さらに左に曲がり白くて大きな農家まで行くと,今度はそこを右に曲がり舗装されていない小道に入り,ひたすらまっすぐ行って,ガソリン・スタンドまで来たら,そこを通り過ぎて左に曲がったところ.」(p.13)


 だそうで,これじゃニコラたちが迷うのも無理ありません.


 イラストは「朝けっこう早く」に車で家を出たニコラたちが混雑で進めず,道を間違い,道に迷い,お昼にようやく到着した場面です.ぐったり疲れているはずですが,パパもママンもニコラも安堵感からかどことなく嬉しそうに見えます.やっと着いた〜,やっぱり田舎の空気はおいしいなぁ(町中みたいに見えるんですが,それは置いておくとして),そんな感じでしょうか.

 門からは家と,出迎えをするボングランさんの姿が見えます.それ以外にも・・・ボングランさんの前には円形と四角形の小さな芝生が2箇所,ボングランさんの左には整然と野菜の畑が2列に並んでいます.家の裏手には薪が置かれ,窓際には植木鉢が並び,植木鉢の下の穴は猫か何かの出入り口か,はたまたお風呂か竈門の炉でしょうか.ボングランさんが大きく胸をそらしていかにも誇らしげなのも頷けます.とにかく理想の田舎暮らしを演出する全てが整えられているようです.とはいえ,倒れそうになった木に支えが設置されていたりしてどことなくチグハグな印象も受けます.それに,イラストを俯瞰する読者の視線には,高層ビルと電線が見えてもいるのです.

 ニコラたちのところに戻ると,表札の位置に何か文字が書かれています.« SAM SUFFI »とあるのですが,これはまるで暗号のよう.ボングラン(Bongrain)一家の名でも何でもありません.これは何でしょう.おそらくこれはフランス語の« Ça me suffit. »ではないかと思います.その意味は「私は大満足」ですから.出迎えの言葉も,「やぁやぁこれはこれは都会人の皆さま.」どんだけ自慢したいんでしょうかね,このおじさん.

 その後のストーリーは至って簡単.買ったばかりの家,田舎暮らしを演出した畑や芝生,電気を使わず竈門を用いた料理,自分の畑で取れた新鮮な野菜・・・それらを一々自慢するボングランさん.その細かく,小さいことにもこだわる性格はまさしく会計係のそれと言えるでしょう.使い慣れない竈門での料理に四苦八苦するボングラン夫人,芝生や畑に入って怒られないようにビクビクしている息子のコランタン.あぁ〜・・・どこでも同じです.パパは権威を振りかざし偉そうで見栄っ張り.声の大きい人がいつでも偉そうな顔をするのは万国共通.そんな家父長制に寄りかかった大人の男の偉そうな態度をコケにするか,笑いのめそうとするのが,ゴシニの慧眼です.

 このお話は最後までそんな盲目のボングランさんの自慢話で締め括られるのですが,これはきっと読者への目くばせに違いありません.


「ボングランさんは言ったんだ.『なぜ君もね,私のように田舎の一軒家を買わないのかね.もちろんね,僕個人としては,こんな家なくてもよかったんだがね.ねぇ君,エゴイストはいかんからね.妻と子どもにしてみれば,こんな幸せちょっとないもんさ.君にはわからないだろうがね.日曜日ごとにストレスから解放されて,いい空気が吸えるんだぞ.』(p.20)


 母と子の心,父知らず.エゴイストはいけません. 


 

 

 

 

 

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