« La baignade », t.III, pp.100-109.
臨海学校の生活は規律正しく,ニコラたちを一人前の大人にしてくれるらしいのですが,班長のジェラール・レストゥーフ君には到着のその日から,一足先に変化が訪れたようです.「時おり疲れでその澄んだ眼が曇ってしまうのですが,その代わりに学んだこともあります.子どもたちのパニックが自分に降りかかってこないよう,顔をヒクヒク引き攣らせる技です.」(p.100)人が学ぶのは見ていて嬉しく頼もしいはずなのですが,何とも同情いたします.
今回は5枚のイラストがついているのですが,1枚目は前話(45)からの抜粋なので,新しいものは4枚.その1枚目と4枚目はどうもあまり今回のお話と共通点がないような気がするのですが.
というわけで,「海水浴」という題名の上の1枚目は海といえばこれ,というくらいお馴染みの図ですね.でも経験上,左の耳を叩いて,右の耳から水が垂れてくるというのはあまりないのですが,本当にそうなんです?
4枚目は数年前から見かけなくなったピラミッド.そりゃ危ないといえばそうなんでしょうが,達成感,一体感が出て,楽しかったような.個人的には.
『プチ・ニコラ』のすごいところは,どんなネタでも,大概ちゃんとオチがついていることで,その意味であまり無駄な描写とか記述というものがありません.今回も,先ほど紹介した「まえがき」の説明で「規律正しい生活のおかげで,ニコラと友だちたちは一人前の大人になる」(p.100)と書いてありましたが,このお話のオチはまさに「大人」としての考えと行動を示すことなのです.大人とは・・・さぞや立派な人たちなんでしょうね.それはお話を読んでください.
さて,今回は臨海学校の生活が分単位でこと細かに描かれているのですが,そんな規律正しい生活が成り立つのも,大人のおかげ.とりわけ,ニコラたちの班で一番身近な大人の代表はもちろん,班長のジェラール・レストゥーフ君*ですので,彼の苦労話が中心です.
*前回Lestouffeはil fait tout.のもじりかもと書きましたが,今回のお話を読んでいたら,il souffle.「彼は息を切らせる,あえぐ」,あるいはil a souffert.「彼は苦しむ,骨を折る」,はたまたややイレギュラーですが,il est souffert.「彼は悩む,病んでいる」かも,なんて思えてきました.
2枚目は打ち寄せる波で楽しむ横長の図.
浮いている子どもたちが突き出した手や足の角度が横から打ち寄せる波と対照的で面白い.いつものごちゃごちゃ感も出ていますし.このくらい,みんなまとまって遊んでいてくれたらレストゥーフ君も苦労しないはずなのですが,これだけの数の子どもがいれば,必ず水に入りたくないというのが一人や二人,泳ぎは得意とばかりに自慢する子どもが一人や二人,他の班に入り込んで遊ぶ子どもが一人や二人,・・・という具合になりそうですし,お話の中でも,もちろんそうなるわけです.それが3枚目のイラストの表すところ.
岩肌が滑らかでこれじゃ登れまいとか,子どもの背丈が平均1メートルとしても,大岩はその何倍の高さなんだとか,班長さんはみんな怒って叫んで忙しそうとか,ニコラたち専用ビーチは羨ましいとか,黙って遠くに泳いだら危ないよとか,一体何人いるんだとか,・・・色々感想が出るところと思います.多分左手前,浅瀬に立って子どもがポーラン,その手を引いているのがレストゥーフ班長,その先をひたすら泳いで行こうとしているのがクレパンでしょうか.あわててクレパンを連れ戻そうとするレストゥーフ君はあんまり急いで追いつこうとしたものだから,水の中でホイッスルを吹いて,沖にいるニコラにもその「ブクブク」という音が聞こえたほどでした.ようやく連れ戻すことができたのですが,ホイッスルは無くしてしまい,今後は怒鳴る羽目になり,それで他班の班長から注意される羽目に.もう踏んだり蹴ったりです.ガルベールのいたずらにまんまと引っ掛かり,点呼で何度数えても数が合わない.レストゥーフ君にはひたすら同情してしまいます.最後の点呼では,何と一人多い!?!日本なら座敷童子となるところですが,そこは合理性の国フランス.ちゃんと理由がありました.どうやらコロニーに参加していない子が一人,紛れ込んでいたのです.パパは防波堤で寝ていたそうです.それで親切なレストゥーフ君が事情を説明すると・・・
「お宅のお子さんが来て,うちの子どもたちと遊んでいました.臨海学校に入りたさそうですね.」
それを聞いて,おじさんが言ったんだ.
「まぁそうだろうな.だが,俺は絶対に入れんぞ.お宅らには悪いが,子どもには親がついてやっていないといけない.親の目が届いてないと思うとな.」(p.108)
ずっーと監視して疲れ切っているレストゥーフ君の親切が裏目に・・・.ショーーーク!
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