« La veillée d'adieu »(suite).
前回は「お別れの夕べの集い」の原稿と発表の経緯について書きましたので,いよいよお話に入っていきたいと思います.
前回の最後に触れましたが,このお話は「タイプ原稿」のまま残されていたので,これまでどの媒体にも発表されていないという意味で,完全に未刊行の作品でした.それではゴシニはいつ頃このお話を書いたのでしょうか?前回,このブログを執筆しつつ,様々な情報を収集する中で,初出一覧を発見したことにも触れました.以下のサイトです.
この一覧は使いようによっては大変便利なものです.例えば今回のお話.「お別れの夕べの集い」は,一読すればすぐに分かりますが,ニコラが夏のヴァカンス中に,パパとママンと離れて臨海学校に参加したときのお話です.パパとママンは意を決して,ニコラ一人を誰も知る人のいない,臨海学校に送りだします(43).続く(44)は出発の日.パパとママンとしばしの別れです.ニコラは「ヤマネコの眼」班のメンバーと列車に乗り込みます(44).これまで,書籍に収録されたお話が最初に掲載された年代は分からなかったわけですが,上記の一覧を見ると,(43)と(44)については次のように記されています.
(43) について:
N° 626 (16/07/1961) : (sans titre), texte avec 3 ill. (repris dans Pilote et en album sous le titre Il faut être raisonnable).
(44)について:
N° 628 (30/07/1961) : (sans titre), texte avec 2 ill. (repris en album sous le titre Le Départ).
つまり,どちらのお話にも当初は題名がなく(sans titre),個々のお話の題名は書籍収録時に付けられたのです.それからイラスト.(43)には3枚のイラスト,(44)には2枚のイラストが合わせて掲載されていました.すると,本ブログで紹介したように,(43)は3枚で間違いないのですが,(44)のイラストのうち2枚は,雑誌掲載時にはなかったことになります.どの2枚が書籍に挿入された2枚なのでしょうか?この謎は現物を見ない限り,解けません.そして二つのお話が掲載された雑誌の間にもう1つ627号があり,書籍では(45)にあたる「勇気だ!」が挟まれていたこともわかります.書籍化にあたり,順序を入れ替えたわけです.
もっともっと色々なことが分かります.臨海学校のお話は(51)まで続き,(52)の「夏休みの想い出」では,臨海学校で最終日に各班がやった出し物に触れられた後,パパとママンとの再会,そして隣人マリ−エドヴィージュに「想い出」を話す場面となります.ちなみに一覧では,(51)に該当する634号に掲載されたお話にはイラストは1枚しかついていなかったようです((51)には2枚).(52)のお話に関しては,次のような情報があります.
(52)に関して:
N° 635 (17/09/1961) : (sans titre), texte avec 3 ill. (repris dans Pilote sous le titre Les vacances sont finies et en album sous le titre Souvenirs de vacances).
シリーズ第3巻を締め括る(52)についてブログで書いたときに,イラスト2/6と3/6がやや不自然である旨,記しておきました.上の雑誌掲載情報を見ると,イラストは元々3枚しか付されていなかったため,後の3枚は書籍化にあたり付け足したことになります.今回のお話に関わりますので,先に(当てずっぽうの?)結論を書いておくと,恐らくは,(52)で紹介した1/6, 2/6, 3/6はそのような,後から付け足したイラストだと思います.それも,2/6と3/6はお話には無関係だったのではないでしょうか.では,「ヤマネコの眼」班が作った人間ピラミッドの頂上で旗が振られているイラスト1/6は?
(52)にはこの場面について,説明があります.
ピラミッドの頂上で,若者スポーツマンの一人がヤマネコの眼班の旗を振った.それからみんなが一斉に団結の一声,「勇気だ!」を叫んだ.(t.III, p.150)
これは第3巻の特徴である,それぞれのお話の前に付された,前書きとも,序文ともいえる短文の一節です.
ここでいよいよ今回の「お別れの夕べの集い」に入ってゆくわけですが,この「お別れの・・・」のお話を読むと,ニコラが所属したヤマネコの眼班では,誰が旗を振るかで揉めて(『プチ・ニ』らしい・・・),結局誰もその役割を果たさなかったことになっています.もうお分かりですよね?要するに,こういうことです.1)ゴシニは雑誌に掲載するために,ヴァカンスの最終日について執筆した.おそらく(51)の後でしょう.2)しかしヤマネコの眼班の人間ピラミッドが失敗するお話(222)はボツになり,掲載されずにお蔵入りとなった.3)最終的に(52)が執筆され,最終日の出し物のお話自体がなくなってしまった.4)書籍に収録するにあたり,前書きが付けられた.そこでは設定が変更され,人間ピラミッドが見事成功したことになった.
本話はしたがって,2)の時点でお蔵入りしたお話なのです.本話に付されたイラスト1/3からは,2つのことを想像しました.
*ちなみに,現在『ル・フィガロ』のサイトで参照できるのは文章とこのイラスト1/3のみです.イラストの2/3と3/3は,(222)-1で触れた<正方形版>収録時に,挿入されたものでしょう.私は<正方形版>を見ていませんので,(222)のイラストは全て,日本語版『0巻』から抜粋させていただきます.以下は『ル・フィガロ』のサイトに掲載されている彩色版です.
https://www.lefigaro.fr/livres/2013/05/17/03005-20130517ARTFIG00639-un-inedit-du-petit-nicolas.php より
まずこれから読んでいくように,人間ピラミッドは旗振りまで完結しなかったため,イラストの頂上の子(ベルタン君)は,旗を手にしていません.間違いなく,このボツになった本話のためのイラストだなぁ,ということ.次に,このイラストについて特に鉛筆の下絵を残したような印象を受けたことについては触れました((222)-1).このお話自体が当時掲載されなかったため,2013年の『ル・フィガロ』掲載時に,サンペは新たに描き下ろしたとのことです.でも・・・それならなぜ,2009年にやはり後から挿入した『風船』(『未刊行集 第3巻』)の挿絵と同じように,細く洒脱な描線にならなかったのでしょうか((213)には似ていますがね).もしかしたら,サンペはボツになったお話に,当時すでに下絵を描いていたのではないか,などとつい妄想してしまいます.それで,仕上げまではしていなかったとか?いやいや,やはりそれは妄想で,今回のための描き下ろしなら,当時のスタイルで描こうとしたのでしょう.それにしても下書きが残っているようなのはなぜ?(多分,水彩で彩色してあるので,下絵のように見えるのでしょう.→(222)-3)
書籍収録時に,ピラミッドの上で旗を振るイラストを挿入した.(52)のイラスト1/6を再掲しましょう.
若干構図が似ていますかね.(52)のピラミッドはかなりいびつで不自然.どうして,こうなったのでしょうね?でも旗は振っています.
今回はお話に入ると思っていて,冒頭で予告までしたのに,やっぱり入れない.次回に乞うご期待.
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