« La veillée d'adieu »(Le Figaro magazine, le 17 mai 2013), reprise dans Les vacances du Petit Nicolas, < format carré >(日本語版 サンペ/絵 ゴシニ/文 小野萬吉/訳,「お別れの夕べの集い」(« La veillée d'adieu Une histoire et des dessins inédits! ») in 『プチ・ニコラ0』世界文化社,2020, pp.38-47(世界文化社版『プチ・ニコラ』全巻購入特典として配布された第0巻)).
今回のお話の説明に入る前に,悲しいお知らせをしなければなりません.去る2022年8月11日に,『プチ・ニコラ』のイラストを描いたサンペが永眠しました(1932年8月17日生まれ).今日は8月17日(水).ここほぼ1週間の間,FBは『ザ・ニューヨーカー』や『プチ・ニコラ』,『パリ・マッチ』などに発表されたサンペのイラストで埋め尽くされています.ほんとうにみんなに愛されていたイラストレーターだったことがわかります.ユーモアがあって,皮肉が効いていて,それでいて批判とか非難とかからはほど遠い.一枚のイラスト一目見ただけで物語を理解させるなんて,本当に才能としか言いようがありません.
例えば,私が雑誌をめくっていて偶然に見つけた今年5月のイラスト.
« Quoi ? Tu veux devenir psychanalyste ! Tu vas me faire le plaisir d'évacuer cette idée. »( in Paris Match du 12 au 18 mai 2022, p.42).
「何だって?精神分析医になりたいだと?!頼むから,そんな考え,取り去ってくれ.」
『パリ・マッチ』に掲載されたイラストです.どこぞのブルジョワ家庭の父子でしょうか.父親の部屋で息子が将来,精神分析医になりたいと打ち明けたようです.父親は断固は断固として反対します.それで「頼むから,そんな考え,取り去ってくれ」と,懇願というより,かなり強い口調でダメ出ししたようです.それでなぜこのイラストが可笑しいかというと,息子は肘掛け椅子に腰掛けていて,その前には飲み物が置かれている,つまり,この告白の場面が,そのまま精神分析の診療の場面となっているからです.精神分析では,患者に楽な姿勢をさせ,例えば肘掛け椅子や寝椅子(カナぺ)に座らせたり寝かせたりして,悩みや強迫観念(オプセッション)を言語化させる.そしてあわよくば,そうした考えを「取り去る」ことで治療が完了します.つまりこの場面では,父親は息子が精神分析医になることに賛成していないのに,父親は知らずと精神分析医の役割を果たしているのです.しかも「取り去ってくれ」という表現が,この場面を少し複雑にしています.先に書いたように,患者の強迫観念を取り去るのが精神分析医の仕事とすると,ここでは父親が「取り去ってくれ」と言うことで,暗に息子に治療を依頼しているとも読めるのです.すると,俄に,患者と医師の役割が逆転します.だから単に,よくある父と子の葛藤を描いただけではないのですね.言葉とイラストが重曹的な解釈を可能にしている.それなのに,1ページのイラストに,他に説明はなし.一目見て,ぷっと笑えるのに,よくよく眺め考えることもできる.それ以外にも,部屋の装飾などから,ある程度,時代も,社会的地位も一瞬で把握できるように描かれている.何とも,見事なイラストではありませんか.
『プチ・ニコラ』ばかりではなく,晩年まで各紙に精力的に発表されたイラスト,そしてこれまでにすでに書籍化されたイラスト(40冊以上と聞いています).そんな無数のイラストを,今後全てまとめて見ることができるようになれば,と心から願っています.そしてこの機会に,この現代の偉大な画家の死を悼みたいと思います.
さて,本ブログでは『プチ・ニコラ』を書籍の刊行順に紹介してきました.まずは1959年以降雑誌に掲載されたお話が,1960年から1964年に5冊の書籍に収録されます.この5冊本が長らく『プチ・ニコラ』として愛読されてきたのですが,2000年代に入り,3冊の『未刊行集』が刊行されました.さらに,1956年から1957年にかけて,お話版の前に掲載されていたマンガ版まで書籍化されています.この間,3本の劇場版実写映画(1964年にはテレビ放映された短編があります),テレビ3Dアニメ版が制作され,そして今年2022年10月にはさらに劇場版アニメが公開されることになっています(LE PETIT NICOLAS - QU’EST-CE QU’ON ATTEND POUR ÊTRE HEUREUX ?).
1977年に文を担当していたゴシニが亡くなり,新作が発表されることはもはやなくなったわけですが,それでも『プチ・ニコラ』は未刊行作品が発掘されたり,メディアを変えて表現されたりと,特に2000年代に入ってからはずっと,話題に尽きませんでした.そもそも,2000年代に刊行された3冊の『未刊行集』には,これまで書籍に収録されてきた話と同じくらい,未収録の作品が収録されたわけで,それだけでも本当に貴重で有り難いことでした.
また本ブログを書きつつ,いつかは最初に掲載された雑誌を一つ一つ確認しながら,各話の執筆・発表年代についても知りたいと何度か言及してきましたが,この間に,ついに初出一覧を見つけることができました.インターネットは本当に便利な道具です.
とはいえ,いつかは現物の雑誌を確認してゆく必要も出てくるでしょう.それはまた,必要なときに.
だいぶ説明が長くなりましたが,先述のように本ブログでは刊行された書籍に収録された順序に全てのお話を見てきたわけですが(マンガ版を除く,計8冊),それらの書籍にも収録されていないお話が4話ありました.ですから,まずはこの4つのお話について,紹介して行きたいと思います.その次に何をしたら良いかは,また書きながら考えたいと思います.
さて,今回紹介するのは2013年5月17日に雑誌『ル・フィガロ』に掲載された,未発表作品です.『プチ・ニコラ』の書籍版(計8冊)は近年改めて,文庫にして14冊の書籍に分けて刊行されました.そしてこの<文庫>版にはほぼ同内容の<正方形版>という,形の異なる書籍があるのですが,その<正方形版>の『プチ・ニコラのヴァカンス(夏休み)』に本話が収録されました.この<正方形版>は現在,入手が困難で,私も所有していません.ところが!日本語読者は何てラッキーなんでしょう.2020年に世界文化社から刊行された新装版『プチ・ニコラ』シリーズ(全5巻)の全巻購入特典として配布された,なんと「第0(ゼロ)巻」に,本話の翻訳が掲載されているのです!!!これまで偕成社版の翻訳に従事されてきた「小野萬吉」先生(ペンネームです)が,この貴重なお話を日本語にしてくださっています.本当に素晴らしい!
それで私も有り難く拝読させていただいたのですが,それでも飽くなき欲望?はやはり尽きず,先ほど,インターネット検索で見つけました,げ・ん・ぶ・ん.『ル・フィガロ』が掲載時の記事をそのまま,インターネット上で公開していました(Un inédit du Petit Nicolas
Par Le Figaro Publié le 17/05/2013 à 18:50, mis à jour le 11/06/2013 à 13:14(vu le 17 août 2022))
何て,気前がいいんでしょう.その説明によると,本話「お別れの夕べの集い」は「タイプ原稿」で保存されていたもので,完全に未刊行だったそうです.つまり,『未刊行集 第3巻 風船』に収録されたほとんどのお話同様,タイプ原稿で放置された話ですから,執筆時に付されるべきサンペのイラストはありませんでした.そこで,経緯は記されていませんが,『『ル・フィガロ』に掲載する時点で,サンペがイラストを提供したようです.3枚のイラストが付されています.唯,これらのイラスト,こうしたスタイルなのか分かりませんが,鉛筆の下書きの痕跡が残っているような.別に雑なわけではないのですが,近年のサンペの細くてシンプルな線と比較して,何か違和感を覚えました.とはいえ,サンペの絵.貴重です.
(蛇足ながら,『ル・フィガロ』の説明では« Retrouvée récemment sous forme de tapuscrit, « La Veillée d'adieu » de René Goscinny n'avait jamais été publiée »とされていますが,このtapuscritという語に注意してください.私の手持ちの辞書では「ワープロ原稿」(『le Dico』),「タイプ[ワープロ]原稿」(『プチ・ロワイヤル仏和辞典 第4版』)とありますが,ゴシニが亡くなった年代を考慮して,「ワープロ」原稿である可能性はありません.そもそも,2022年の読者にはワープロが何か,もはや理解できないかもしれませんが.それにしても,この語はtaper「打つ,叩く」を語源とした語です.ワープロ,パソコンでは「打つ」というより「変換する」の方が一般的になりましたなぁ).
それではお話は次回に.
コメント