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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(214)

« La télé chez Clotaire », HIPN., vol.3, pp.49-59.

 クロテールといえば,テレビか自転車.そんなアイテムがよく出てきます.例えば,(09)で成績表をもらうその日は,クロテールはデザート抜きでテレビも見せてもらえない.とか,(28)ではニコラたちはサッカーを抜け出して,みんな揃ってクロテールの家にテレビを見にゆく.ニコラの家でいよいよテレビを買うという話もありますが(96),テレビといえばクロテール.とりあえず,未だ珍しかったテレビを持っているクロテールの家に,みんなよく集まっていたようです.「クロテールの家のテレビでだって,こんなイカしたものは見たことがなかったよ」(163)なんて感じです.

 というわけで,今回はニコラ(とパパ?!)がクロテールの家にテレビを見にゆくお話です.それもママンに内緒で.クロテールの家では,クロテールのパパとママン,クロテールと,5人でテレビをザッピング(死語?).しまいには,二人のパパがテレビの害悪を確認する.でも,やっぱりテレビの魅力には敵わない.そんなお話です.

 ところでテレビの害悪について日本でも散々論議されました.1950年代から60年代にかけてのことです.テレビを見るとバカになる.批評家の大宅壮一が「一億総白痴化」なんて言葉で,テレビの受動性を批判したりして話題になります.福田恒存が,じゃ,スイッチを切れば?なんて,反論したりもして,けんけんがくがく.テレビを見る見ないとか,そんなことがどうして問題になるの?なんて,今では全く信じられないようなことが起こっていたのです.私が子どもの頃の1980年代には,同じ問題が,今度は具体的な番組をめぐり繰り返されていました.子どもにドリフやひょうきん族を見せるか見せないかみたいに.でも,こう言うのは何度でも繰り返されます.ごく最近では,ネットやyoutube,SNSの教育への影響が取り沙汰されていますから.

 それはともかく,新しいメディアはやはり未知の要素が多いせいでしょうか,新たな問題が生じやすい.でも,それだけに,誰にとっても魅力があるものなんでしょう.子どもがYoutubeを見たり,SNSを連絡手段としたりして,それを規制するのは,個人的にはやや虚しいような気がします.だって,大人からして,それらに夢中になっているのですから.ま,仕方ない.繰り返しになりますが,それだけ<誰にとっても>魅力があるのです.

 ニコラの家にはテレビがない(ということは,このお話が書かれたのは(96)よりも前でしょうか?).それで成績が悪くないときには,ニコラはクロテールの家に電話をかけさせてもらえるようです.もちろん,テレビを見せてもらいにゆくため.


僕が学校でちゃんとお勉強をしたら,パパとママンは時々,クロテールに電話をしてもいいって言うんだ.クロテールに,家にテレビを見にこいよって誘ってもらうためさ.困るのはさ,クロテールはクラスでビリだから,クロテールのパパとママンからテレビを見ちゃいけないって言われることだ.結構よくあることさ.そうするとね,僕までテレビなしってことになっちゃう.そんなのおかしいじゃないか.まったく,クロテールのパパとママンは大袈裟だよ.本当にさ,全く冗談じゃない!(p.51)


 誰に怒ってるんでしょうか.クロテールがほんの一人分,努力すれば良さそうな.でも,偶然は彼らの味方.担任の先生が金曜日に風邪を引いたため,土曜日の作文の成績が返ってこなくてラッキー.だから日曜日,クロテールには罰はなし.めでたく,ニコラにも訪問の許可が出ました.

 ところが,ニコラのパパが奇妙な行動に.


「友だちのところまで,車で送って行ってやろう.」と,パパが言ったんだ.

 そんなこと言うもんだから,僕,びっくりしちゃったよ.だってクロテールの家はすぐそこなんだよ.(p.52)


 パパ,下心丸出しですが,ママンにはバレなかったようです.

 玄関で一通り挨拶がすみますが,パパは一向に帰る気配なし.招待されるがままに,ニコラと一緒に家に上がります.


「息子をお宅まで連れてきたんですよ.」と,パパが言った.「家の子はね,大親友であるクロテールの家でテレビを見たいそうで.」

「そのようですな.」と,クロテールのパパ.

「そんなところですが,ま,そんなわけで,まぁ・・・.」と,パパ.

「よろしければ,ほんの少しの間,テレビを見にいらっしゃいませんか?」

「えっ!ほんとうですか?いやぁ,お邪魔しちゃ悪いですねぇ.」と,パパ.(p.52)


 ニコラとクロテールが仲がいいからと(「大親友である」),わざわざ子どもを出しにして押しかけておいて,言葉もにごらせ(「そんなところですが,ま,そんなわけで,まぁ」),もう,下心丸出しです.先方からそのような提案があるまで待って,決してパパからは言い出しません.でも,ちゃっかり,相手の提案には即答.誰がどうみても,今回の訪問の主目的はそれ.こうしてニコラとパパはクロテールの家に上がり込みます.イラスト2/3です.


 パパと二人揃って,クロテールの家に上がり込む風景です.それにしても,クロテールの家のテレビの前には,椅子がズラリ.きっとニコラのパパだけじゃないんでしょうねぇ.

 ところで,「クロテールの誕生日」(95)では↓のようなイラストがありました.


 このときには,テレビは別の部屋に置かれていて,クロテールのパパが折角用意した人形劇は無視されてしまうんでした.今回のイラストと比較すると,テレビの位置にクロテールのパパの人形劇の舞台があるわけですが,位置といい,背もたれのついた椅子といい,よく似ています.肘掛け椅子だって,埃よけの布をかけてやれば,下の,バーバパパのような姿になりますし.

 ニコラとパパが入ると,部屋の中はすでに暗く,「カリフラワーの匂い」がしたとのこと.きっと,クロテール一家がテレビを見ながら,食事をしていたんでしょう.(ちなみに,日本ではテレビは明るいところで,フランスでは暗くしてテレビを見ましょうと,真逆の説明がされます.なぜ?)さらに「クロテールとクロテールのママンはすでに座って,テレビを見ているところだった」(pp.52-53)そうです.あれっ?↑では,テレビの前に誰もいないのに?相変わらずのニアミスです.でも,誰もいない方が,イラストとしては,すでに暗くしてあり,テレビを見る準備が万端って感じがしますよね.

 早速みんなでテレビを見始めます.最初はオーストラリアのけん玉コンクール,ついでボクシング.


「私,こんなの見るの嫌だわ.」と,クロテールのママン.

「こんなのは,流しちゃいかんな.」と,クロテールのパパ.

「ひどく野蛮ですな.」と,パパ.(pp.53-56. 見開きのイラスト2/3が間に入ります)


 文に沿っていたため前後しましたが,イラスト1/3です.そうか,テレビの上に置かれた観葉植物には花が咲いていたんですね.暗くて分かりませんでした.テレビにはもちろん,ボクシングが流れています.でも,見ているニコラ(多分?)は浮かない顔.この理由がよく分かりません.分からないので,先へ.

 ↑のような会話が交わされるのですが,クロテールのママンも,クロテールのパパも,そしてパパも「いけ!」とか,「立つのよ!」とか,かなりエキサイトしています. 

 と思いきや,いつの間にか,「競馬」に変わっていました.大人たちは,またもや大興奮.何番が勝つかで興奮気味.その間にクロテールがお菓子を運んできて,「僕らはそれをテレビの前の地べたに置き,テレビを見ながらもぐもぐ食べた.」(p.56)だいぶ,お行儀が悪い.というか,まさに「野蛮ですな」.その間にまたもや番組変更で,サッカーのハーフタイム,その次は自動車のレースへ.

 ここでクロテールのパパが大人らしく,鋭くもない観察を披露します.


クロテールのパパが言ったんだ.「こんな自動車レースなんて,一体全体,何の役に立つのかと常々思っとるんですよ.人が危険を冒して命を賭けるなんて,まったく.」それを聞いて,パパが説明した.「いやはや,まさにそれですな,それなんです.大衆が喜ぶのは.人が自らの命を賭けるのが見たいんです.だから大衆なんてもんは,恐ろしいんです.」そこでクロテールのママンが「こんなものは,流しちゃいけないわ.いつも思いますのよ.どうして女性のドライバーのレースがないのかしらって.女は運転が下手だなんてよく言われますけど,そりゃ男性より上手いとはいいませんわよ.でも,やっぱり結構上手く運転するんですから.」これを聞いたクロテールのパパが笑い出した.(pp.56-57)


 ごもっともごもっとも.まったく,「大衆」ってやつは.人の死を見たがって,下劣この上ない・・・.って,そう言って見てるのはあんたらだよっ!って,絶対ツッコまれるところです.

 そうこうしているうちに,またもや番組変更で,今度はラグビー.自動車レースの結果はお預けで,ラグビーも同様.「だって,パパたちは次の番組に遅れちゃうから」だそうです.でも,次の番組はまだ始まっておらず,金魚鉢が映っていました.それでクロテールのママンは席を立つのですが,番組内で,金魚鉢が取り除けられたのでしょう.それをニコラのパパが知らせると,クロテールのママンは「走って戻って」きました.何たる執着!

 二人の男性が出てきて,一人がピアノを弾いていて・・・という場面で,クロテールとニコラは,クロテールがメメからもらった兵隊の人形を見にクロテールの部屋へ.しばらくして二人が降りてくると,テレビでは裁縫教室の放送が流れていました.

 番組が退屈だったのか,ザッピングに飽きたのか.パパはニコラを連れて帰ることにします.クロテールのパパは部屋の灯りをつけて,別れを告げます.


「どうも,ありがとうございました.」と,パパがクロテールのパパに言った.「時々ね,私もテレビを買いたいなと思うんですよ.ですがね,ほんとうのところ,子どものことを思うとなかなかどうして踏み切れんのです.」

「おっしゃる通りですな.」と,クロテールのパパが返した.「私もね,テレビを買って,しまった!と思うことがあるんです.子どもというものは,それはもう,画面を見たがってみたがって.何でもお構いなしにみたがるし,そんなことしていたら,おバカになりますからな.」(pp.58-59)


 相変わらずの,どの面下げて・・・的,大人の勝手な発言です.勝手なというより,見事なまでに,我が身を振り返ることのない,身勝手さ.このお話を通して読んできた人は,「何でもお構いなしにみたがる」のは,パパとクロテールのパパとクロテールのママンであったのを知っているし,「そんなことをして」いるので,「おバカに」なっているのでは?と思うような仕掛けです.

 『プチ・ニ』には,この手の,大人の身勝手と自省の欠如を笑いのめす話がいくつもあります.犠牲者はたいがいニコラのパパ.

 ところで,↑の部分の後に,後2行ばかり,さらなるオチが加えられています.


クロテールのパパはそう言って,そそくさと僕らに別れを告げた.なぜって,クロテールのママンが居間から,「連続ドラマが始まりますよー」って叫んだから.(p.59)


 まだ見るのか?!でも,それ以前に,すでに「おバカ」になってません?

 今回もイラスト3/3がついているのですが,今回のお話についた他のイラストと服装も違うし,よそでも使いまわされているし.このお話用ではないかなぁ.



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