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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(212)-3

« L'œuf de Pâques », HIPN., vol.3, pp.23-31(fin).


前回までのエピソード


1)ニコラ家の復活祭について

2)パパが卵に色をつける

3)パパが庭の芝刈りをしない理由

4)ニコラの友だちが来て,庭で卵探しをする.ついでにブレデュールさんの登場


今回のエピソード


5)ママンが子どもたちにチョコレートを振る舞う

6)虚脱状態のママンをパパが励まそうとする


5)ママンが子どもたちにチョコレートを振る舞う


 小ネタとオチの繰り返しがなければ,上のように全体を6つのエピソードに分けなくても済むので,あ〜めんどくさいと思いつつ,それでも,数行読むと笑いどころが必ず1箇所盛り込まれているので楽しくはあります.

 前回,パパは隠した卵を嗅ぎつけてやってきた犬と格闘し,次いでいつものように(このお話が記念すべき第1話なので,<いつものように>のいつもを作ったのが,まさにこのお話なのですが),パパをからかうブレデュールさんと小競り合いをしていました.すべてはかわいいニコラのため.の,はずですが,とはいえニコラはそっけない.


僕らはパパとブレデュールさんのケンカがどうなったのか知らないんだ.だってすぐにママンに呼ばれ,おやつを食べに行っちゃったからね.仕方ないから,庭は放っておいたんだ.まだ庭に残っていたのは大声で怒鳴り合っていたブレデュールさんとパパ,それにさっきのでっかい犬だけだった.犬はね,パパたちの隙に乗じて,僕らが見つけられなかった卵を探しに戻ってきたんだよ.(pp.27-28)


 だいぶひとでなしな感じがするのは,私だけでしょうか.それはともかく,うちに入ると,「チョコレート」があって,ママンが「チョコレートケーキ」を作ってくれていたので,もうチョコまみれ.イラスト5/6です.

 扉のところに子どもたちが勢揃い.テーブルの上には大中小のリボン付き卵型チョコレート,そして8脚ある椅子の前には,それぞれチョコレートケーキが並べられています.ん?子どもは7人なのに?それに,庭に放置されたはずのパパが何故か部屋の中に立っています.文とイラストに大きな違いが.第1話目から,二人の作家はだいぶおおらかに共同作業をこなしていたようです.


太っちょのアルセストはすぐに平らげ,一番に調子が悪くなった.それからみんな,調子が悪くなった.でも痩せっぽちのジョゼフだけは,大食らいのくせに,すごい技を持っているんだ.やつはお腹にサナダムシという虫を一匹飼っていて,やつの代わりにそいつが病気になってくれるんだ.(p.28)


 もうすでに相当数の『プチ・ニ』を読んで楽しんだ読者からすれば,衝撃的とも言える文章です.あの,デブのアルセストが,食べ過ぎでお腹を壊すとは!でも,「一番に」とありますから,食いしん坊という設定はもうすでに確定しているわけです.「痩せっぽちのジョゼフ」はこの話に登場するだけで,残念ながら常連(ニコラの学校の友だち)にはなれなかったようです.「サナダムシという虫を一匹」(un ver solitaire)の箇所は,「サナダムシ」(ver solitaire)と「一匹の独立した虫」(un ver solitaire)の掛詞(シャレ)です.消化管に寄生する虫が消化を助けてくれるのかどうかは分かりませんが,ともかく,ジョゼフの代わりをしてくれるから,大食らいでいられるという説明です.ほんまかいな?そういえば,こうした言葉遊びやダジャレは今後全くなくなるわけではありませんが(例えば(195)のvélo de course(s)),『プチ・ニ』ではこの方向で笑いをとることはあまりないようです.これが『アステリクス』との違いでしょうか.

 話に戻ると,ジョゼフ以外の全員の調子が悪くなったのをみたママンは大慌てで,子どもたちの親御さんに電話をします.子どもを迎えにきたお母さんたちは口々に,「こんな風にやたらめったら子どもに食べさせるなんて」(on n'a pas idée de gaver comme ça des enfants. p.28)と捨て台詞を残して帰ってゆきます.

 「やたらめったら食べさせる」はgaverという動詞です.ところで,世界三大珍味の一つであるフォワグラの作り方をご存知です?あれ,鴨の口に管をツッコんで,食べ物を強制的に詰め込むんです.これがgavage.gaverの名詞形です.ですから,gaverとは単に食べ物を与えるというよりは,「肥育する,太らせる,(deを)過度に食べさせる」という意味で,かなりどぎつい表現です.こんな単語も,今後あまり使われないようです.

 イラスト6/6は直前の5/6とセットで,事件前/事件後を表しています.



 すごい!まるで大量虐殺の現場に居合わせたようです.時すでに遅し.机の上にあったチョコレートは跡形もなく,きっと子どもたちが全部!平らげてしまったのでしょう.子どもたちは椅子にもたれ,テーブルに突っ伏し,あるいは床に転がっています.手前の女の子なんて,今にも吐きそうになりながら,お手洗いに突進している感じ.右側には迎えにきたママン.真っ青な顔の子の手を引き引き,明らかに怒っています.ニコラのママンが心配そうに,申し訳なさそうに送り出している.窓の向こうには,調子が悪くて,ぐったりと動くこともできない子どもを抱えて帰る別のママン.一刻も早く,この現場を立ち去りたい,な感じでしょうか.これ以降,こんな陰惨な場面には決してお目にかかることはありません.唯一無二の怖いシーンです.

 2つのイラストが連続した場面を表しているので,数年前に連載していたマンガ版を想わせます.マンガ表現(コマ割り)を用いずに時間の推移をどう表現したらいいか.サンペが当時,そんな関心を抱いていたのではないかと思えるのです.


6)虚脱状態のママンをパパが励まそうとする


〔みんなが帰った〕その後で,なんで友だちのママンたちが顔を顰めていたのか,僕にはその理由がわかったよ.ママンたちはさ,家に入るのに庭を横切らなきゃならないんだ.それでね,庭にはパパが芝生に腰掛けていたんだけど,シャツはボロボロ,鼻からダラダラ血を流し,それになんだかブツブツ罵っていた.ママンがいうには,僕が聞いちゃいけないような言葉なんだって.(p.28)


 それで「友だちのママンたち」は顔を顰めていたのですね.納得しました.普通に考えて,子どもの調子が悪いって聞いて駆けつけてきたら,庭にボロボロの服を着て,意味不明なことをブツブツ呟いている人がいたら,身構えますよね.っていうか,変な人だし,そもそも怖い.

 こんな出来事の後,ママンはぐったり,肘掛け椅子に座り込んでしまいます(ちなみに,今後肘掛け椅子はパパの専有物となるので,ママンが使っているのは珍しい).「目は焦点が定まっていなかった」そうです.よく観察しているな.それはともかく,可哀想なママン.「食堂はちょっとカオスだったよ.そこらじゅうにシミがあってさ.」(id.)もう,脱力以外のなにものでもありません.そんなママンを見て,パパはなんとか機嫌を直させようと努力します.そこで持ち出すのがパパの友だちの「クロッシュさん」ネタ.ニコラによると,「毎年使っているギャグ」だそうです.では,毎年,ママンの機嫌が悪くなっているということでしょうか.

 それはともかく,「クロッシュさん」ネタ.


パパにはクロッシュさんという名前の友だちがいてね,復活祭になると,パパはクロッシュさんに電話するんだ.「ローマには気をつけて行くんだぞ」ってね.それを聞いて僕が笑う.

 でも今年は,いつもみたいにはうまくいかなかったんだ.だってね,クロッシュさんは本当にローマに行くっていったらしいんだ.それを聞いたママンが泣き始めた.「どうせ私なんてどこへもいけないわよ.私がやれるのなんて,食堂のお掃除くらいしかないし,それにそれに,食堂なんてもうめっちゃくちゃ」だって.

 それでパパはママンをなだめようと,五旬節(聖霊降臨節)にはローマに連れて行くからと約束しちゃったんだ.(p.31)


 つまり,(211)-1で説明したように,復活祭には鐘(croche)がローマに旅行する.それで鐘と同じ名前の「クロッシュさん」に電話して,気をつけてね〜ってからかうのがパパの習慣だったわけです.クロッシュさんにしてみればいい迷惑.でも毎年の行事だから,おっ今年もかかってくるぞと心待ちにしていたりして.言わんや今年は,本当にローマに行くことにしていたから,悔しくもなんともありません.行ってきま〜す♪ってなものです.パパ,破れたり.

 ところが,単なる完全敗北では終わりません.これを利用して,ママンは(多分ケチな)パパに旅行に連れて行ってもらう約束をさせました.それにしてもパパ.犬に服を破られたり,時計を壊されたり,ギャグは滑るしおまけに散財まで.もう第1話から,パパは散々な目に遭っています.この後のパパの運命を十分に予想させる展開です.


本当にね!復活祭は面白かったよ.僕,この日のことはずっと忘れないよ.パパもね.だってパパは言ってたもん.「忘れんぞ!」ってね.読者の皆さんも,家みたいに楽しんでくれるといいな.だから,言っとくね.「楽しい復活祭を!」(p.31)


 これでお話は終わりなのですが,復活祭を楽しんだニコラと異なり,パパが発した「忘れんぞ!」(« Je m'en souviendrai! »)は,もちろん,「覚えてろよ!今に目にものみせてくれる!」という罵り言葉です.文字通りには「俺は忘れないだろう」という単純未来の表現なので,ニコラはそのように受け取っているのですが.この辺の,ニコラがKYで,文字表現を書き言葉の字義通りにしか受け取れないという設定は,この後のお話で何度も出てきます.直近では(211)-2のブレデュールさんの言葉の解釈がそれでした.私にはこれこそが『プチ・ニ』で最高に面白い,一番に重要な設定であるように思えるのです.


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