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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(211)-1

« Mes vacances de Pâques », HIPN., vol.2, pp.350-365.

 いよいよオーラス!『プチ・ニコラ 未刊行集 第2巻』(HIPN., vol.2:別名『赤ニコラ』)の最後のお話です.最終話だから,なのでしょうか.今回は通常の話のほぼ倍の長さがあります.でも,第2巻を締めくくるのに,わざわざ長い話を配置したというのが本当のところかもしれません.雑誌の掲載時期(初出時)は,相変わらずいつだかわかりません.

 さて,それでも通常よりも長いのは,おそらくこの話が復活祭の時期のために書かれたからだと思います.つまり初出時の雑誌を見ていないのでわかりませんが,復活祭のヴァカンスの特集号だったのかもしれません.本話の最後にも,「楽しい復活祭を!」(Joyeuses Pâques!)と書かれていますから.

 これまでにも何回か触れていますが,次回お話しする『プチ・ニコラ 未刊行集 第3巻』(212)の冒頭に置かれた「復活祭の卵」は,『プチ・ニコラ』の第1話だったそうですが,題名からわかるように,これも同じように「復活祭」を題材とした話です.

 同じ時期,同じ題材を扱うわけですから,想像するに,今回と次回の話の間には一年以上の隔たりがあったはずです.それでも二つの話には,書き方の点で一つ共通点があるように感じました.物語には大別して,一つのテーマだけを扱い,直線的に進みオチに至るものと,複数の話(小ネタ?)からなるものとがあると言えますが,今回も次回もどうやら後者のようなのです.一応,全体を貫く物語,いわゆるストーリーと言われるものがあるのですが,その物語を構成する幾つもの話があり,それぞれにオチというか,笑いどころがあるのです.今回の話で言えば,ニコラたちはメメのところで「復活祭のヴァカンス」を過ごすことになり,出発から到着,そして帰宅までが物語の大枠をなしています.この枠の中に,幾つもの笑いどころが用意されているのです.数え方にもよると思いますが,私が思わず吹き出した箇所(私にとって『プチ・ニ』を読む最大の理由)を列挙すると,以下のようになります.


1)復活祭の説明

2)メメの家で過ごす計画に関する,パパとママンの対立

3)車で立ち寄るレストランの話

4)パパが大事にしている,レストランのガイド・ブックの話

5)いざ出発!をお隣のブレデュールさんに知らせに行く場面

6)車中でのパパとママンの対立

7)渋滞を避けようとしたパパの失敗

8)ようやくレストランに到着

9)メメの家に到着

10)復活祭の卵探しについて

11)メメの家で,パパがこき使われること

12)ニコラがお腹を壊し,パパが怪我をすること

13)メメとパパの静かな対立

14)パパが昼寝さえさせてもらえないこと

15)パパが予定を繰り上げて,1日早く帰宅することにする

16)メメの僻み

17)帰ろうとしたら,車が故障していたこと

18)車の修理ができず,電車で帰ることにした

19)パパは来週末,メメの家に車を車を取りにいかなくてはならない


 と,まぁ,こんなにたくさんの逸話(エピゾード)でできているのです.そして各逸話にはそれぞれのオチというか,笑いどころが盛り込まれているので,読む方としては盛りだくさんを通り越して,お腹いっぱい,もう入らないとなりそうです.でも,裏を返せば,上の都合約20に分けた断片をつまみ食い,いや,拾い読みして楽しんでも良いわけで,それで今回はイラストに特化するのではなく,それでもいつものようにイラストの力を借りながら,2回に分けて,それぞれ思わず笑ってしまった箇所の説明をしていきたいと思います.


1) まずは1)復活祭の説明についてです.


僕ね,僕は復活祭が大好きなんだ.すごいお祝いの日だよ.学校はヴァカンスでお休みだし,チョコの卵をお腹いっぱい食べられるし,それにみんなが旅行するんだ.鐘みたいにね.でも,家はローマには行かないよ.僕らはメメのところへ行くんだ.メメは田舎に住んでて,家からはすっごく遠いんだ.(p.35)


 復活祭はイエス・キリストの復活を祝う祝日で,英語圏ではイースターと呼ばれています.春分後の最初の満月の後の日曜日ですから,毎年日にちが変わる移動祝日です.次の月曜日もlundi de Pâquesと言って祝日で連休となり,子どもたちの学校もお休み.つまりヴァカンスです.復活祭の前の聖金曜日から3日間,鐘が鳴りません.言い伝えでは,この間,鐘がローマに旅行し,復活祭の卵を持ち帰って空からばら撒く.それでフランスでは,大人が庭に卵型のチョコレートを隠し,子どもがそれを見つけるというのが恒例行事となっています.「学校が休み」で,「チョコの卵をお腹いっぱい食べられる」夢のような日ということになるのです.それから上に書いたようなことを知らないと,「鐘みたいに」,「みんなが旅行をする」というのが理解できません.ニコラの家も,空飛ぶ「鐘」に因んで,旅行をすることになりました.それも,パパの苦手なメメのところに.「鐘みたいに」旅行をするという無邪気な発言の笑いどころと,行先がメメのところという,パパの不幸を告げる不穏な始まりとが,この数行に凝縮されているのです.


2) メメの家で過ごす計画に関する,パパとママンの対立


 そんなわけで,復活祭は貴重な連休.パパの会社も休みですから,家族水入らずで,どこかに旅行して楽しむか,あるいは家でゴロゴロして,日頃の疲れを癒すか,どちらかにしたいところでしょう.それなのに,よりによってあの憎っくき(?!)メメのところで過ごさねばならないとは!

 とは思いつつも,パパはそれをストレートにはママンにぶつけられません.ニコラにはちゃんと見透かされてますが.


パパはね,僕が思うに,あんまりメメのところには行きたくなかったんだ.それでパパはママンに説明していたよ.家でのんびり過ごす方がいいなぁ.だって途中の道では時速90キロ以上出したら捕まるし,それじゃああんまり面白くないし,3日間も旅行をしていると,何かとお金もかかるしなぁ,だって.(pp.350-351)


 色々理由を並べ立てていますが,結局のところ「あんまりメメのところには行きたくない」だけのこと.それでママンはニコラを部屋に上がらせて,パパと話し合いという名のケンカを始めます.こういう場合,結局パパが折れざるを得ないようです.


3) 車で立ち寄るレストランの話


 ニコラの家では遠出をするときには,ほぼほぼママンがちゃんとお弁当を用意してくれます.どうやら,あんまりお金を使わないようにするためらしいのですが.それでメニューがいつも同じ.サンドウィッチにゆで卵にバナナ.今回もママンが用意しようとするのですが,せっかくのヴァカンスですし,小旅行なので,少しくらいは贅沢してもといったところでしょうか,パパが途中でレストランに立ち寄ることを提案します.そこでパパが「小さな赤いガイド・ブック」でレストランを選ぶことに.


ガイドには,どんなレストランか書いてあるんだって.星印とフォークの印がついていてね.でも,パパと一緒に,星のついたレストランには行ったことがない.だってパパはいっつも言うんだ,そんなレストランは目の玉が飛び出るほど高いし,それにガツガツ食らうのが目的だから,お飾りにお金を払いたくないんだって.僕にはパパが言っていることがわからないんだけど,パパはそういうといつも笑うんだよ.それにパパはよく同じ話をする.だから,きっと面白い話なんだと思ってさ,それで僕も一緒に笑うんだ.パパは」喜んでくれるしね.僕は,パパのことが大好きだからね.(p.351)


 おそらくはミシュランのガイド・ブックなのでしょう.星やフォークでレストランの格付けがされているのですが,でも,パパはそんな星のついたところは避けているようです.星の数で味や雰囲気のレベルが示されているのですから,星がついていれば,大体レベルが上の方で,当然高い.ですからケチなパパはそんなレストランを避けているようです.その意味では,逆説的に,格付けは立派に役立っていると言えます.

 ここで,そんなパパの吝嗇を明かしただけではありません.パパが星つきのレストランを避ける理由は,「ガツガツ食うのが目的だから,お飾りにお金を払いたくない」とのことです.いつもの負け惜しみというか,言い訳じみています.ところで,この部分のフランス語は« il refuse de payer le cadre pour casser la croûte »です.croûteとは元々,「パンの皮」など,表面を表す単語なのですが,casser la croûteは熟語で,「食事をする,食べる」のやや卑俗な口語表現となります.問題はpayer le cadreで,cadreは「枠,額縁」などの他,「管理職」の意味もあります.ここではおそらくは「額縁(お飾り)にお金を払う」という意味で用いられているのでしょう.つまり,パパの主張では,星つきのレストランなんてところへ行ったって,どうせ「ガツガツ飯を食らう」ことに変わりはないし,雰囲気だの飾りなどに凝って高級感を醸し出し,その分料金に上乗せしているんだから,そんなところにわざわざ余分にお金を払う必要などないということでしょう.一理も二理もありますが,それにしても,この場面でそれを言ってしまったら,本当は行きたいのに行けない,それで見栄を張っているようにしか聞こえません.ところで,私だけではなく,ニコラにも「パパが言っていること」はすぐにはわからなかったようです.それだけに,ニコラが素直にパパの言うことを信じ,もしかしたらパパの言葉をそのまま読者に伝えているのではないかと思わせます.わからないから,そのままおうむ返しに繰り返しているのかな,と.

 さらに,ニコラは「パパのことが大好きだから」と,わかったふりをしていることの理由を明かしています.つまり,本当はわかっていないのだけれど,表面上は話を合わせて,納得・同意しているふりをしていると言うのです.何てあざとさ!ニコラの優れた観察眼,無邪気を装った事実の暴露,読者を信じさせる文章技術,真実を見透かした処世術,どれをとっても思わずうまい!と感心してしまう箇所です.

 ここまでに2枚のイラストが挿入されていますが,どちらも後に出てくる6/8と5/8からの抜粋です.また後ほどみる見ることになりますが,とりあえず,6/8のみチラ見しておきましょう.

 一所懸命,ノコギリで木を切るパパの図.なのですが,どこか変,何か変.それは機嫌の悪そうな顔をしたパパが,ガウンを着て,ダブダブで縞々のパジャマを着て,外で仕事をしているからなのです.パパは何に怒っている?なぜにガウンにパジャマ?どうして木なんて切っている?その答えは,次回以降に明かされる!はず?

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