« Les invités », HIPN., vol.2, pp.302-307.
題名は「招待客」.知り合い,友だちを家に招待すると,会話に食事にと,日常を離れて楽しいひとときを過ごすことができます.でもその反面,人が来ると,あんまり散らかしているのも恥ずかしいというので,片付けなくっちゃならないし,食事が美味しくないのもちょっとどうかと気を使う.だから人を招待するのは一仕事というのもよくわかります.ニコラ家のように,比較的小さな子どもがいると,子どもに早めの食事をさせたり,早く寝かしつけたり.それにあまり夜遅くまでお客さんの相手もできないし.そんなこんなの事情は万国共通なのでしょう.でもそれはあくまで大人目線の事情で,子どもには子どもの意見があります.いつもながら,語り手ニコラはそこのところは非常に正直.言いたいことは,はっきりと,文章にして読者に訴えかけます.目の前のパパとママンには気兼ねして,直接には言わないようですが.
僕はね,パパとママンが夜,夕食後にお客さんをお迎えするのが結構好きなんだ.だってさ,そんなときには,パパとママンは家にいるし,それに次の日の朝には,お菓子の残りがあるからね.でも,チョコレートケーキだと,あんまり残らないんだ.
お客さんがいる時には,早く寝なさいって言われるのは,ちょっと嫌だな.それで今晩も,いつもどおりにそう言われちゃったよ.(p.302)
ニコラは仕方なく,言われた通りにベッドに入ります.でも,お客さんが来るまでは本を読んでいても良いことに.それで「斧を手にし,羽をつけたインディアンがたくさん出てくる」お話を読んでいたところ,ラフラムさん夫妻が来ました.ラフラムさん(Laflamme),すなわち「炎,眩い光」の人たちがきたのでは,目が冴えちゃっても,それも仕方ない.それにラフラムさんの奥さんの方は「コッテリ太った」人だったので,「こりゃ,明日の朝のケーキの残りは,もう絶望的」と得心しました.かわいそうに.
「コッテリ太っ」ているのが分かったということは,奥さんはニコラの部屋に顔を出したということです.これがイラスト1/4.
なるほど.やや丸みを帯びているのに,さらに毛皮のコートが印象に拍車をかけてます.ニコラの観察通り,「コッテリ太っ」ているようです.それにしてもニコラは,よほど早く,ベッドに追いやられたものと見えて,何冊の本を開いているのでしょうか.ベッド上にとっ散らかっています.
一通り挨拶が終わり,ニコラは寝ようとしますが,部屋が締め切られていて蒸し暑い.ニコラはママンを呼んで,窓を開けてもらいます.でも,ママンから言わせれば,そんなことで大人を呼ぶな.ここでも大人の事情と子どものそれとが食い違いを見せています.
呼ぶなと言われれば呼べなくなるのが素直な子ども.ニコラは次は喉が渇きますが,今度は大人を煩わせないよう,独り,抜き足差し足で台所へ向かいます.
だいぶ暗そうです.それに子どもの割にはかなり気を使う方でしょう.でもそんな気遣いが大人にとって裏目に出るのが,『プチ・ニ』の世界.ママンに見つかり,叱られ,泣き出してしまいます.こんなとき有難いのは,赤の他人の招待客の存在です.家の事情なんて,これっぽちも考えない(普通はそんなもの)お客さんは,ニコラにお菓子を与えてしまいます.イラスト3/4です.
ラフラムさんのおばさんはママンに,僕がお菓子を食べてもいいかって聞いてくれたんだ.
「だめよ」と,ママンが言った.「こんな時間に食べたら,悪い夢見るんだから.」
「まあまあ,今晩はそんなことないわよね,ニコラ?」と,ラフラムのおばさんが聞いてきた.(p.306)
子どもの教育は難しいですね.いくら親が厳格にしていても,孫に甘いメメや,そんな教育なんてとんと知らぬお客さんが甘やかしてしまいます.そういえば,伊丹十三監督の『タンポポ』という映画の中で,「この子に甘いものを食べさせないでください」と書いた看板を首から下げた子どもが出てきて,美味しそうにソフトクリームを食べているおじさんをじっと見ている場面がありました.おじさん,虫歯だらけで,本当は甘いもの食べちゃダメなのに頬張っている.でも,その首に下げた看板を見て,おじさん,思わず子どもに食べさせちゃうんです.私は別に厳しい教育に反対するつもりはありません.でも,そんなものです.あんまり厳しくルールを決めても,どこかに抜け道があるし,土台全てをコントロールすることなんて不可能.あんまり潔癖,完全主義になってはいけないと思うのです.
だいぶ脱線しましたが,ともかく,大人だけで楽しもうと,子どもを寝かしつけても,甘いものを食べさせないようにしても,どこかに綻びが転がっているものでしょう.
ともかくも,ケーキをもらって部屋で食べたニコラは,クリームのついたチョコレートケーキだったために手を洗いに降り,それから再びベッドに入りますが,今度は蛇口を閉めたかどうか不安になり,またもや下へ降りてゆきます.そこで,ラフラムのおじさんとばったり.おじさんに連れられ,大人たちが集う居間へ連れてこられます.イラスト4/4です.
「ほらっ.何を連れてきたかな?」と,ラフラムさんがみんなに言った.
パパとママンは一緒になって飛び上がった.
「ニコラじゃないか!」と,パパがすっごく怒っていたよ.「どこで見つけたんですか?」
「えーと,えーとね.あそこ,ほら,家の中ですよ.」(p.307)
イラストには,腕を組んで不満げなパパと,見〜つけたっとばかりにおふざけモードのラフラムさんの対比が描かれています.ニコラも叱られることが分かっているので,全く嬉しそうではありません.
それでもラフラムさん,流石にパパの剣幕に驚き,タジタジしているのが文ではわかります.それで,回答も「家の中」ですって.当たり前でしょ.それに,やっぱりお客さんは無責任な赤の他人です.パパとママンの事情なんてそっちのけ.でも,パパの剣幕で少しは反省したでしょう.
でも,その場を取り繕おうと,ラフラムさんのおばさんはまたもや,ニコラにケーキ一個を与えます.ニコラは喜んで平らげますが,パパの怒りはおさまりません.
パパはラフラムおじさんの手から僕を引ったくって,「寝るんだ!」と僕に言った.全然笑っていなかったよ.(p.307)
怖い怖い.そんなこんなで,ニコラは布団に入るも,「悪い夢」を見始めてしまいます.突然ニコラの夢の中の記述になったので,一瞬戸惑ってしまいました.
浜辺でインディアンが僕の後を追いかけてきたよ.斧で僕を切りつけようとするんだ.中でも,デブで羽をいっぱいつけてるやつが僕を揺さぶったものだから,僕は泣いたり叫んだりしたんだ.そこで僕が目を覚ましたら,目の前にパジャマ姿のパパがいた.「当たり前だ.あれだけケーキをガツガツ貪ったんだから,こうなると思ったんだ」だって.(id.)
ママンの予言通り,ニコラは「悪い夢」にうなされてしまいます.こうなることを見越して,パパとママンはちゃんと教育しようとしているんです.何も意地悪しているわけでも,単に大人の楽しみを優先したいだけでもなく,そこにはちゃんと教育と子どもへの配慮もあるわけで,そんなこと預かり知らぬと無責任に振る舞うのが,題名にある「お客さん」.
いつものように,発言がそのまま実現してしまうというパターンながら,今回はちゃんと,教育的配慮も滲ませています.それでも,最後はやっぱり『プチ・ニ』です.KYニコラがわかったような,それでもやっぱり理解していないような解釈をして締めくくります.
僕はね,ママンの言う通りだと思うんだ.家でお客さんをお迎えするのは一仕事なんだよ.次の日,僕の家では,パパとママンと僕と,三人ともくたびれきっていたからね.(p.307)
誰のせい?後先考えずに食い気を優先するニコラ?家庭の教育に無責任なお客さん?それとも,大人だけ楽しもうとしたパパとママンのせい?人と子ども,家の人とお客さん,お客さんと子ども.どこにでも対立が転がっていて,みんなの思惑がすれ違うので,きっと誰が悪いんでもないんでしょう,こう言う場合には.
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