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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(196)

« La corrida », HIPN., vol.2, pp.236-243.

私はスペイン語を勉強したことがないのですが,corridaはスペイン語で「闘牛」の他,「走ること」や,複数形ではアンダルシア地方の民謡などの意味があるようです.もっとすごい意味も・・・.それはともかく,日本語の中にカタカナを用いて英語を取り入れているように,フランス語でも外国語を取り入れて自国語化してしまうというのはよくあることです.我々に馴染みのmangaやharakiri,kamikaze, kakiなんかは日本語から入った例ですが,もちろんイタリア語やスペイン語からもフランス語に入る言葉がたくさんあります.corridaはスペイン独特の文化として,場合によってはスペインといえば,という風に,スペインの代名詞ともなる見世物です.動物愛護の観点から確かに残酷だし,<野蛮>といえば言えなくもない.それでだいぶ風当たりが強い.でも,ピカソやコクトーが熱狂的なファンだったことを思うと,無くなってしまったらやっぱり寂しいかも.

 まぁ,それはともかく,今回は休み時間にジョフロワが映画で見た「闘牛」をやってみようというお話です.それでいつもの通り,やる前に役割分担の段階でケンカになってやらないで終わりだろうなぁと思いながら読み始めたのですが,さにあらず,最後には若い生徒監のムシャビエールさんが「真の闘牛でした」とお墨付きまで与えちゃうほど真剣な遊びだったようです.

 アルセストのサッカーボールが没収されてしまい,何をして遊ぼうかと話あっているところで,ジョフロワが映画で見たという闘牛遊びをしようと持ちかけます.本話にイラストは計3枚.もうすでに1枚目から闘牛であることがわかります.



 実はこの場面,文にはないんです.闘牛をやろうって話になって,ようやく役割が決まって始めた時には,闘牛士(マタドールというんだそうです.ちなみにフランス語ではtréador)はジョフロワ,馬上の闘牛士(ピカドールというんだそうです)がニコラで,ニコラが乗る白馬はウード,何故か「審判」(いないって・・・)をジョアキムとリュフュスが争いますから.牛役がなかなか決まらなかったのですが,最後にはクロテールがなります.でも「黒牛」が黒いのが気に入らないようなのです.それでもジョフロワがクロテールの目の前で,赤色でもなくしかも超汚いハンカチを振ると,話の冒頭で「バカやろう」扱いされたアルセストが殴りかかってきます.じゃあ,↑の左の牛役はアルセスト???そうも見えませんが.

 ともかく,1/3にあるように,後ろでは役の奪い合いのケンカがなされているのは確かです.イラスト2/3はピカドール=ニコラが白馬=ウードに跨り,クロテールを殴っているところです.


 でもピカドールが槍で刺すのではなくて,白馬が手を出してる・・・.


「それなら僕は自分の馬は白いのがいいな」と,僕.

「じゃあ俺がおまえのために白馬になってやる」と,ウードが言った.ウードはいいやつなんだ.それにウードはケンカがすっごく強いから,馬にはうってつけだしね.

「それじゃ,俺も白がいいな」と,クロテール.

そうしたらジョフロワが大声を出した.「ダメだよそんなの.おまえは牛だろ?牛は黒いんだ.白い牛なんて見たことあるか〜?おまえがヴァカンスで見たって牛は白かったってのかよ?」

「はいはい」と,クロテールが返した.「ウードが白馬だってのに,俺は黒牛じゃなきゃいけないってのかよ?それなら俺は突進しないね.俺だって,どんなおバカやろうと同じくらい白くなれるんだからな.」

「鼻に一発食らいたいのか?」と,ウード.(p.240)


 馬が白で,牛が黒.馬が手を出し,ピカドールは「バキュン,バキュン」と,何故か鉄砲を撃って,カウボーイかおまえはって突っ込まれます.あ〜もう,グダグダ・・・.

 結局,まっとうな闘牛が始まる前に,ムシャビエールさんが走ってきて,ケンカを制止.全員整列させて,休み時間の終わりを告げます.イラスト3/3です.


一番後ろの子がかすかに笑い顔を浮かべているほか,みんなが不服そうに,列をなして教室へ戻ってゆきます.背後には睨みをきかせるムシャビエールさんと,やはり生徒監のブイヨンさん.これで闘牛をやらずに,一件落着です.でも休み時間の目的はみんなで騒ぐことですから,目的は達成されています.

 それでオチはどうなのかと思いきや,止めに入ったムシャビエールさんとブイヨンさんの対話がそれとなります.まずやっぱり闘牛がやれなかったジョフロワが捨て台詞を吐きます.


 僕らは仕方なく整列しに行ったんだ.ジョフロワはすっごく怒っていたよ.

「まったく,おまえらときたひにゃ,絶対に知的なお遊びってもんが出来なんだ.おまえらみんな,大バカやろうだ!そろいも揃って,な.」

 でも,ジョフロワが言ったことは,間違ってるよ.だって,教室に戻ろうと歩き始めたときに,もう一人の生徒監のブイヨンさんが言ってたんだ.ブイヨンさんはムシャビエールさんと話をしててさ,「一体何がどうしたんだ?」ってブイヨンさんが聞くものだから,ムシャビエールさんが答えて,「本物の闘牛でしたわ」だって.(p.243)


「本物の闘牛でしたわ」(« Une vraie corrida »)はムシャビエールさんの子どもたちを見ての感想ですが,この場合のcorridaは闘牛というよりも,そこから派生した「激しいケンカ,大騒ぎ」の意味です.ですから「ほんまもんの闘牛のような大乱闘でした」と言っているのですが,さすが,字句通りにしか受け取れないKYニコラのこと.「本当の闘牛でした」って,認定されたと思い込んだわけです.ジョフロワにも聞こえていたら,喜んだでしょうか,それとも,大人は闘牛について無知だな,フフンっと鼻で笑ったでしょうか.

 

 ちなみに,超のつくほど無関係な蛇足ですが,大島渚監督の名作フランス映画『愛のコリーダ』では,恐らくは主人公の女性を愛を勝ち取る「闘士」に見立てているのだと思いますが,これがフランスで上映された時の題名は,l'Empire du sens,つまり『官能の帝国』.やっぱり戦いのイメージは読み取ってもらえなかったようです.

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