« Le dentiste », HIPN., vol.2, pp.138-145.
今回のイラストも『未刊行集 第2巻』のために書き下ろされたものです(今のところ,(173), (174), (179), (183)).イラスト3/4の歯医者さんの治療室なんて,道具はたくさん置かれているのに,細い線のおかげでスッキリした印象を受けます.でも,一つのことしか伝えていないようで,ちょっと寂しい.貼ってあるポスターが根を張った木の絵(左)と歯茎(右)の2枚でシンクロしていて面白くはあるのですが.
『プチ・ニコラ』ではいつもママンは戦略に長けていて,パパはママンにしてやられる.そんなパターンが多いのですが,本話もやはりそれ.嫌がるニコラを歯医者に送り込むママンはついでにパパも行かざるを得ないようにしてしまいます.それで行ってみれば,なんてことなく終わったのに,ホッと一息ついたところでまた甘い物というのは,普遍的ともいえる歯医者ネタです.
ある日の昼食後,ニコラの学校がないところを見ると,恐らくは木曜日のことでしょう,ママンはパパにニコラのために歯医者の予約をしたことを伝えます.ニコラが怖がるといけないからでしょうか,わざわざ,「d, e, n,t,i s, t, e」なんて,アルファベットを1文字ずつ発音します.これがパパには通じない.でも,ニコラがすでに情報を得ていて,パパの前で泣き言を言ったため,パパは急に怒り出します.
そしたら,パパはテーブルをバンっと叩き,大きな声を出したんだ.「ニコラ!恥ずかしくないのか!そんな泣き言は聞きたくない.もう赤ん坊じゃないんだ.一人前の男として振る舞いなさい.歯医者さんは痛くしない.優しくしてくれて,おまけに飴までくれるじゃないか.だから,勇気を出しなさい.ママンと大人しく歯医者さんへ行くんだ!」(p.139)
実に男らしい(死語でしょうか?),毅然とした態度でニコラを叱りつけています.ママンの戦略とも気づかずに・・・.
それからママンが言ったんだ.「歯医者さんにニコラを連れてゆくのはパパですよ.だって,パパの予約も入れておきましたからね.」これを聞いたパパはびっくりしていた.それで「仕事に行かなきゃ」って言い出したんだけど,ママンは「今日の午後はお休みでしたわよね?」と念を押した.「ですから,歯医者さんの予約をわざわざ今日にしたんですよ.」だって.パパはか細い声で,「僕の歯はもう痛くないようなもんなんだ.だからもう少し後にしてもいいんじゃないかなぁ」と言った.パパはママンをチラリとみ,次に僕の方を見た.なんだか,パパも今にも泣き出したさそうに見えたよ.(p.139)
ち〜ん・・・.やっぱりママンは何もかもお見通し.イラスト2/4です.心なしか,目と口元が薄ら笑いを浮かべ,勝ち誇った様子です.ママンといえば,料理という設定もいつも通り.パパの逃げ道は塞いでいます.先ほど偉そうにニコラに説教させたのも戦略.パパに連れて行かせるのも戦略.今日という日を選んだのも戦略.それにしても,これだけあの手この手を尽くさないといけないほど,手が焼けるんですかねぇ.ニコラはともかく,パパよ,子どもか,あんた!
二人は仕方なく出発しますが,車中二人は全然笑いません.そのうち,真剣そのものの顔をしたパパがニコラにある提案をします.
「ニコラ,男同士の話し合いだ.このまま歯医者をブッチするのはどうかな?一周して,ママンには何も言わない.どうだ,面白い冗談だろ?」(pp.139-140)
パパ,この期に及んで・・・.しかし「そんな冗談,ママンが笑ってくれないよ」と,ニコラは一蹴.パパはため息をついて,悲しそうに,「冗談だって・・・,はぁ・・・」.そしてさすがはKYニコラ.見事な観察を書き留めています.
パパってば,本当に感心しちゃうな.だって困っている時にも,冗談を言うなんてさ.(p.140)
「冗談を言うなんてさ」は原文をそのまま訳せば,「冗談を言う勇気を持っている」となりますから,パパは実に勇敢だと惚れ惚れ感心しているのです.でも,本当に冗談だったのでしょうか.ちょっと本気だったようにも.
歯医者に着くと,駐車スペースがちょうど一台分空いていました.そこで今度はニコラが提案.「その辺をもう一周してくれば,きっと帰ってきたときには,その場所が埋まっているよ.」でもすでに諦めモードのパパは「賽は投げられた.もう行くだけだ.」(id.)呼び鈴を鳴らしますが,誰も出てこないので,「また出直してこよう」と言うニコラの口車に乗って帰ろうとしたところで案内嬢が登場.中に入ります.
中には椅子と暖炉と銅像が1つに他の患者さんが一人.置いてある雑誌は歯に関係のあるものばかり.
ちょっと脱線しますが,置いてある雑誌が歯に関係のあるものばかりと言うのは理解できますか?私が子どもの頃も実はそうでした.歯の解説とか,写真とか,何が面白いんだろうと言う雑誌が何冊かと,絵本しか置いてありませんでした.絵本もたいがい,かこさとし(加古里子, 1926-2018)さんの歯科関係のもの.かこさとしさんのものでも,例えば『だるまちゃんとてんぐちゃん』とか,『からすのパンやさん』は,私は今でも手元に置いていて時々読み直すのですが,そんな楽しい絵本ではなくて,純粋に歯の話のものだけなんです.でも,最近はどうやらファッション雑誌やら新聞やらが置いてあるのと,それから予約しても長く待たされることは無くなったようなので,このときのニコラの感想を理解してもらいたいと考えた次第です.
さて,それでもニコラは「黄色のジャージ姿のロビックが表紙」の雑誌を見つけました.「ツール・ド・フランスで優勝したばかり」のロビック選手の紹介が掲載されていたそうです.ツール・ド・フランスではでは,各段階の所要時間を合計して最も少ない選手が「マイヨ・ジョーヌ」と呼ばれる黄色いジャージを着用します.最終段階で着る権利を持っていた人が優勝者となり,すごく尊敬されます.ジャン・ロビック選手(1921-1980)は1947年に優勝した選手なのです.戦後初の大会だっただけに,フランス人の熱狂も凄かったでしょう.ロビック選手はまた,ツール・ド・フランス史上初めて,最終段階でマイヨ・ジョーヌを奪取したこともあって,彼の人気もそうした雰囲気の中で伝説化されたようです.
ところで!あれれっ?すると,このお話は1947年頃に書かれたものでしょうか.文章版の連載開始は1959年だったような.おそらくは,歯医者さんに置いてあった雑誌が古かったのだと思います.他の雑誌を見て,ニコラは「他の雑誌は結構古くて,破れていた」(p.140)と言っていますから,そんな古臭い雑誌の一つがロビック選手の特集雑誌だったのでしょう.
話に戻ると,控室で知り合ったおじさんはニコラたちににこやかに話しかけてきて,緊張をほぐそうとしますが,二人の顔は強張ったまま.いよいよニコラたちの番がきます.
「次の方どうぞ!」と,歯医者さんが叫んだ.「お願いですから,早く入ってください.今日は予約でいっぱいなんですから.」
「そ,それじゃわれわれは後日またお邪魔するとして.」と,パパが言った.「またお時間に余裕があるときにでも.お邪魔したくありませんから.な,ニコラ?」(p.142)
未だ往生際のとっても悪いパパです.それでも説得されたパパは仕方なく,「何にも心配なんてしてませんよ,私なんて戦争も経験してるんですからね.」と言って,「僕の背中を押して,歯医者さんの方へ突き出した.」(id.)それって,大人のやること?もうっ!
さらに誰から始めるかと聞かれ,パパは「チビからお願いします.私は時間がありますから」だそうです.それを聞いたニコラが,「別に僕だってたっぷり時間があるのに」と言いたくなったのも諾なるかな.
それで歯医者さんがニコラの腕を取って治療椅子に座らせます.イラスト1/4はおそらく治療室に入るところでしょう.文章にはニコラが恐る恐る中を除く場面はないのですが,心情は察してあまりあります.この警戒感に満ちた様子ったら!
治療室の風景は↑のイラスト3/4にある通りです.でもニコラの治療はすぐに終わります.歯医者さんは優しくて,終わったらキャラメルをあげるなんて約束もしてくれます.ニコラの治療中に,ドリルの音を聞いて思わず叫び声を上げたのはパパでした.ニコラはよく耐えたどころか,あまりにあっさり終わり,キャラメルももらえて,大満足です.
イラスト4/4を見ると,確かに歯医者さんはすっごく優しそう.ニコニコしていて.背後のポスターもニコニコしているし.やっぱりシンクロだ.そんな歯医者さんに↓のような脅迫じみた言葉を吐かせるのですから,パパ,よほどのことをしたんでしょう.さてさて.
次はもちろんパパの番.「もう遅い時間だし,買い物もたくさんしなきゃならないし」なんて,まだ逃げようとしますが,そうはいきません.治療を始めても,2度も「口を開けなさい!」なんて注意されるし,治療中には何と,歯医者さんの手を咬んだようです.「今度また私の手を咬んだら,どれでもいいから歯を一本,引き抜きますからな!」(p.144)その後も,ゆらゆら揺れたり叫んだり.歯医者さんに注意されまくっています.
それでもニコラの観察によれば,「パパもそんなには時間かからなかったよ.それにすっごく上手くいったんだ.ただ,パパは歯医者さんの膝を足蹴りしちゃってたけどね」(p.145)だそうです.ですから,本当にすぐ終わったんでしょうね.と言うことは,そんなに短い,ほんの一瞬の間に,動いたり叫んだり足蹴り入れたりしたわけで,それって騒ぎすぎでしょ.それなのに!
「よし,ニコラ.」と,パパが言った.「俺たち男らしく振る舞ったよな?」
「うん!もちろんさ,」
「男らしく」,ね・・・.↑の情けない様子は全てなかったことになるようです.そして最後のオチは.
それから僕ら,歯医者さんを出てきた.パパと僕はすっごく鼻高々で,二人ともキャラメルを舐めたんだ.(p.145)
懲りない人たちだ.それにそもそも,「鼻高々」になる理由は何処?
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