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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(173)

« La composition d'arithmétique », HIPN., vol.2, pp.70-77.

 「算数の試験」.compositionが動詞composer「組み立てる,制作する」から派生したのは一目見ればわかりますが,どうしてこの名詞が「試験,試験答案」の意味で用いられるようになったのでしょうか.音楽(「作曲」)とか文学(「作文」)のように,作ること,一つの全体を構成することという意味で,数字を組み合わせて答えを導く算数にも使われるのでしょうか.語源辞典では,動詞に「この語は特に,限られた時間内で整理,総合する課題をこなす,学校教育の訓練に関係する」*とありますから,物事の全体を捉えたり,整理して把握する能力を養うための訓練に用いられるから,というのが一応の答えでしょうか.

*Le Robert Dicitionnaire historique de la langue française(Alain Rey dic.), « composer ».


 本話では二回驚きました.一つ目はいつもならカンニングしている生徒をチクるアニャンが(それでよく「汚いチクリやろう」(sale cafard)なんて言われます),今回はカンニングの手助けをすること,二つ目はおそらくは新しく付されたイラストであったこと,この2点です.二つ目の方は,作者ゴシニの娘アンヌ・ゴシニがこの『未刊行集 第2巻』(赤ニコラ)のために執筆した序文に次のようにありますから,本話のイラストはそれに該当するのでしょう.


それにしてもニコラはスターですから,スターとしての扱いを要求してきました.それで,ジャン-ジャック・サンペは再度筆を握り,もう挿絵が使えなくなっていた,10ばかりの私の父のお話に,この度新たにイラストをつけたのです.(p.10)


 他のお話に付されたイラストと見比べると,線がだいぶ細くさっぱりしていて,サラッと描かれたような印象を受けます.でもシンプルな線でありながら,即座に奥行きや立体感を把握させる,ほんとうに見事なイラストだと思います.例えば1/5.学校のテストが嫌で,布団から出ず,何とか試験を受けないで済む口実はないかと考えている様子がよく現れています.


 目はベッドの足元の先のほう,おそらくママンの「もう起きなさい,時間ですよ」という声が聞こえるほうを見ているのでしょう.でも学校へ行きたくないから,毛布を被り,枕にしがみついている(「今朝,僕は学校へ行きたくなかったんだ.」(p.70)).起きる時間になっているのはサイドテーブルに置かれた時計からもわかります.本が散らばっているのは,試験勉強をしようとしていたからなのか,試験が嫌で現実逃避していたからなのか.何のことはない日常の一コマなのですが,足元のベッドの枠と頭上の枠の角度から,ベッドが斜め下側から描かれていることがわかります.この視点から眺めないと,顔の表情も含めたニコラの姿全体を表すのが難しい.上からか見下ろしたら不自然だし,,真横から眺めたら横一直線で表情が見えなくなるし.どうもうまい構図になりません.

 ニコラが学校へ行きたくなかった直接の理由は,「だって算数の試験があるから」というものですが,ニコラはさらに,「試験」が好きでない理由を列挙しています.1)「だって2時間も続く」し,2)「休み時間が一つなくなるし」,3)「試験前にすっごく勉強しなきゃならない」し,4)「勉強しなかった問題が出る」し,5)「成績が悪いと,家でママンに叱られる」し,5)「パパはパパで,「そんなことじゃ,将来ろくなことにならないぞ」とか,「パパがお前の歳の時にはいつも一番で,パパのパパはいっつもパパは自慢の息子だ」なんて言っていたぞというんだから.読者のパパもそうでしょ?」(pp.70-71)だそうです.4)までは正当な理由として,5)はゴシニがよくやる,フランス人男性への皮肉となっています.確かに,自分のことは棚に上げるか超誇張して(あるいは嘘を並べ立てて),自慢を交えながら偉そうに説教する人っていますよね.どうも彼は,そういうフランス人成人男性を貶めるのが好きなようです.

 ニコラ曰く,「それで,算数の試験がある時には,僕らみんな病気になって家にいようとするんだ.」(p.71)でも,「ママンは耳を貸したがらない.学校に行けって送り出される」そうです.そりゃそうだ.しかしそれで起こる悲劇もあります.


一度,ジョアキムのママンはジョアキムが病気だって言ったのに,嘘おっしゃい!って信じようとしなかった.ところがジョアキムはおたふく風にかかっていたから,復活祭の時期のヴァカンスに僕らのクラス全員がおたふくにかかっちゃたんだ.(pp.71-72)


 これはママンが悪いのでしょうか,それとも算数の試験があるたびに「病気になる」子どもたちのせいでしょうか.う〜ん・・・.

 というわけでズル休みは通用しないようです.学校へ来て,ニコラたちは対処法を考えます.まず思いつくのはもちろんカンニング.ウードのお兄さんはかつて,「小さな紙の切れ端に家で回答を書いておいて,ポケットに隠しておいた」そうですが,すかさずクロテールが鋭いツッコミを入れます.


「それで算数は?算数はどうやっていたんだ?」と,クロテールが聞いた.

「アニキはビリだったよ.」と,ウードが答えた.(p.72)


 計算をしなければならない算数には,あらかじめ答えを用意しても無駄というわけです.ちなみに算数(数学)のカンニング方法なら,『ザ・カンニング IQ=0』という傑作映画に出てきますので,お勧めします.


 みんな困ったような,煮詰まったような目つきをしていて怖〜い.ヒュー,風も吹いて,落ち葉も舞っています.寒いし,荒んだ雰囲気です.

 ところが想像力は豊かな(その割にいつも言葉をそのまま字義通りに受け取る)ニコラがアニャンに協力を求めます.最初は聞く耳を持たず,ウードの脅しにも屈しなかったアニャンですが,ビー玉という賄賂に心揺さぶられます.クロテールが「回答を渡してくれたらビー玉10個!」というと,「ほんの少し考えた風をして」,でも拒否.「13個!」はアルセストの提案.アニャンはメガネを外して拭き始めます.最後は「とってもお金持ちのパパのいる」ジョフロワが「32個!」と競り上げて,ここで取引成立.ジョフロワが手持ちの28個を渡し,その他が残りを支払いました.イラスト3/5です.


 ジョフロワの顔が怖〜い.ジョフロワの後ろの方の一人は拳をつくって怒っている様子です.後ろの友だちに止められているのかな.でも,「アニャンは僕らに問題の解法を書いた紙を渡すって約束したんだ.みんな大喜びした.」(p.74)

 これで一件落着,あるいは半ば落着なのですが,ジョアキムがツッコミを入れます.


「僕らみんなが一番になるな.」(id.)


フランス語ではex aequo「同順位に」というラテン語の慣用表現が用いられています.つまり,クラスで1番のアニャンの解答を写すわけですから,みんな揃って「同順位」,すなわち1番になるというわけです.


クロテールはそれどんな意味ってジョアキムに聞いたんだ.ジョアキムは,つまりな,自転車を取り上げられないってことさと,答えた.(id.)


 翻訳ではなりませんが,ジョアキムにとっての意味はそうなります.他の人には同じ意味を持ちませんが.

 いよいよ試験が始まり,アニャンはいかにも得意そうに解答を書いています.




 周りはハラハラ.だって1番か0点かがかかっていますから.それにしても,実際にみんながアニャンと同じ回答だったら,まず不自然ですぐバレます.それに,みんながアニャンと同じ1番だったら,みんな1番かみんなビリのどちらかとなるのですから,あまり意味がないのでは?

 でも,さすが担任の先生.回覧された紙を見つけて,アニャンを一括.アニャンは泣きながら退場となりました.イラストの5/5です.


 先生,コクトーの『美女と野獣』に出てきた彫刻のように冷ややかで怖〜い感じです.アニャンは大泣き.これまでこういう場面なら,個人的な印象で言えば,教室に必ず一人か二人は「ざまあみろ」といった感じで,笑ったり冷やかしたりするやからがいたような気がしますが,今回は全員が怒ったり,困ったり,ショックを受けたり,かなり深刻そうです.つまりほんとうに文字通り「みんな」がアニャンをあてにしていたということなんでしょう.そんな話にのらない子もいそうなものですが.吹き出しはジョアキムの幻滅を表しています.


「ああ,俺の自転車が去ってゆく.」(p.77)


« V'là mon vélo qui s'en va. »実感のこもった,切ない独白のようですが,「僕の後ろに座っていたジョアキムが,低い声でつぶやいた」とありますから,ニコラが観察していたんですね.しかしニコラたちはそのまま受験し続けるよう指示されます.


それで校長先生が来て,僕らに試験の結果を返したんだ.校長先生は,「何年も教職に携わっているが,こんな結果は見たことがない」だって.

 僕らみんな がビリだったんだよ!(p.77)


もちろん,ex aequo「同順位」でビリだったのです.トップの解答を用意したアニャンは「順位から除外」されたし.預言通り,ex aequoとは自転車とお別れするという意味になるようです.ジョアキムにとっては,ですが.

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