« Chez le coiffeur », HIPN., vol.2, pp.54-61.
chezはフランス語学習を始めて最初に習う前置詞の一つで,「〜さんのところで,誰々の家に」という意味です.つまり,chezの後には必ず人を指す表現が来ますと習います.例えば,chez moiなら「僕ン家(に)」,chez toiなら「君の家(で)」となり,また人を表す表現であれば良いのですから,le coiffeur「髪を切る人」,le boulanger「パン屋さん(=人を指す)」などをおいてchez le coiffeur, chez le boulangerとなります.この他,パン屋さんには店舗を表す表現boulangerieもありますが,これはchezと組み合わせては使えない.それで「パン屋さんに(パンを買いに行く)」なら,chez le boulangerとà la boulangerieの2通りの言い方があるのです.
と,まあ初級文法で習うのですが,これはフランス語を母国語とするフランス人でもやっぱり早い時期に学習しなければならないことのようで,今回のお話では« CHEZ le coiffeur »とわざわざ大文字で,それも2回強調して書かれています.
「ママン,僕,床屋さんちのところ行きたくないよ.」(« je ne veux pas aller au coiffeur. »)
「床屋<へ>,でしょう!ママンを怒らせたくなかったら,すぐに行きなさい.」(« CHEZ le coiffeur, m'a dit maman, ... », p.54)
床屋さんが僕に聞いた.「坊っちゃん,床屋さんちへくるのは好きかい?」(« tu aimes bien allez au coiffeur ? »
「床屋<へ>,だよ.」(« CHEZ le coiffeur, je lui ai répondu. », p.56)
というわけで,今回はニコラたちが床屋さんへ行くお話ですが,これには元ネタ(と言っても良いでしょう)があります.このお話の数年前に書かれたマンガ版です.
Sempé et Goscinny, Le Petit Nicolas la bande dessiée originale, IMAV éditions, Paris, 2017, p.13.
マンガ版は,「ニコラちゃん」がお店に近づいてくるのを床屋さんが見つける場面から始まります.ニコラはママンに連れられてきますが,どうやら髪をいじられるのが大嫌いなようで,必死に抵抗しています.それでも床屋さんは何とかこの危機を乗り切り,無事送り出したと思いきや,すぐに今度は髪を切りたいパパに連れられて戻ってきます.床屋さんはそんな短期間に2度なんてとんでもない!と,モノを投げつけ,パパとニコラの入店を拒否します.そんな事情に通じていないパパは,「えっ?一体どういうこった?この床屋のやつ,完全におかしいな?!」と,何が起こったのか全く理解できない様子です.
(題字を1コマと数えて)マンガ版の2コマ目と11コマ目の床屋の反応(「え〜?!ない,そりゃない,いやありえない!」)は,文章版でも同じ台詞が使われています(p.55).それにニコラがどうも髪を切られるのが好きではないという設定も同じです.マンガ版では中で抵抗をしますが,文章版ではクラスメートたちと勘違いといたずらの限りを尽くして,床屋さんを嫌がらせるというのも似ています.最後に文章版のイラスト2/3では,床屋のマルセルさんが「子どもお断り」と看板を書き直していますから,とにかく子どもに拒否反応を示しているという意味で,やはり二つに共通点が見られます.
しかし,マンガ版では1)ママンが嫌がるニコラを連れてきて,自分はさっさと買い物に行ってしまい,託児所のように使っている,2)床屋さんでのニコラと床屋の戦い,3)事情がわからずとばっちりを受けるパパ,と少なくとも3つの要素が12コマの短いお話の中に盛り込まれているのに対して,文章版はニコラがアルセストたちと床屋に行き,床屋さんを困らせるという点に焦点が絞られていてスッキリしています.パパが出てこない代わりに,迷惑を被って,もう子どもなんて懲り懲りと感じている床屋さんを,ニコラが早くまた慰めてあげようというオチに持っていっているため,ニコラのKYぶりが際立ち,いわば『プチ・ニ』らしくなっています.もちろん,『プチ・ニ』なんですけどね.つまり,いつものパターンにうまくはまり込んでいるということです.
今回は,伸びてしまったニコラの髪を見て,もう「大きいんだから,一人で床屋へ行ってきなさい」(p.54)とママンが言うところから始まります.「一人で」というのがミソで,つまりマンガ版のように,買い物にゆきたくて託児所がわりに床屋を使ったちゃっかりママンという設定ではないわけです.ニコラが床屋が好きではない理由は長々と説明されていますが,確かにどれもなるほど,と.「白い服を着ていて,歯医者みたい」だとか,「ハサミとか剃刀とかバリカンがヒヤッとして」とか,などなど.
それでもイヤイヤ床屋に行くことにしたニコラは道すがら,アルセストとリュフュスとクロテールに会い,みんなで床屋に乗り込むことになります.
到着すると,「床屋さんたちは目を大きく見開いて,そのうちの一人が「え〜?!ない,そりゃない!」と言い,もう一人が「ま,がんばれ,マルセル」と答えます.」(p.54)ということは,ニコラは常連で,すでに床屋さんたちの間では面倒なガキと認知されているということでしょう.かわいそうに(誰が?).
ニコラたち相手に床屋さんがいかに苦労するかはイラストの1/3を見れば一目瞭然です.
髪を切ってもらうのはニコラだけですから,台に座って切ってもらっているのはニコラで,その後ろでハサミを振り回して遊んでいるのが,アルセストかリュフュスかクロテールです.彼らの椅子の下には切り刻まれた雑誌が散らばっています.ニコラの髪を切っているマルセルさんは不愉快そうに横目でアルセストたちを睨み,ニコラも友だちの方を見ているので,マルセルさん,さらに切りにくそう.マルセルさんの同僚のルイさんも子どもたちの方に目をとられています.髭剃りの途中ですから,危なっかしいったらありゃしない.何も起こらなきゃいいけどと思いましたが,起こらないはずもないので,ルイさんのお客さんは髭を半分だけ剃ったところで,残り半分は残したまま怒って帰ってしまいました.
マルセルさんとルイさん,そして大方の読者の予想通り,マルセルさん,やはりなかなか思うように髪を切れません.マルセルさんはまず,アルセストたちを追い出そうとして失敗.ニコラが出て行こうとしてしまいます.もうこの時点で負けは目に見えています.
「おじさんが僕らに出て行けっていうんなら,僕,パパに言いつけちゃうよ.パパは警察官なんだから.」
「僕はね」と,アルセストが続けた.「僕は僕のパパに言いつけちゃうよ.パパはリュフュスのパパの友だちなんだ」から.」
ここでもう一人の床屋さんが近づいてきて言った.
「お静かに,お静かに.いてもいいよ.いいんだけど,大人しくできるよね?」(p.56)
髪を切り始めようと,マルセルさんは,ニコラの機嫌を取ろうと話しかけます.「僕はすっごく頭がいいんだねぇ.2x2はいくつだい?」ここでマルセルさんは,質問を間違いました.難なく答えられることを証明したニコラが調子に乗って,4x3=12,7x5=35と続けると,リュフュスとアルセストも暗算をし始めました.クロテールはできませんでしたが(だってクラスでビリだから.特に計算はダメ).「もういい!いいから,静かにしてくれ!」と怒鳴っても後の祭り.もうすっかりニコラたちのペースに呑まれています.
ようやくどんな髪型にするか聞くことができたマルセルさんに,今度はアルセストたちが答えて.
「頬にかかるくらいすっごく長くして.カウボーイ風にね.」と,リュフュスが言った.
「ダメダメ,丸坊主にして.テレビに出てくるプロレスラー風に.」と,クロテール.
「うるさい!君らには聞いてないんだよ!」と,マルセルさんが怒鳴った.
「僕,何も言ってないよ〜.」と,アルセスト.
「機転だ,マルセル,機転を利かせろ.」とルイさんが声をかけた.
「お前は黙ってろ!」とマルセルさんが返した.
「耳が出るようにして.前髪は短く.」そう僕が言った.
「な,何だって?」とマルセルさんが言ったけど,もはやどうも状況が把握できていないって感じだった.(p.58)
もうダメなようです.マルセルさん,集中力ゼロ.イライラしまくっています.後ろでアルセストとリュフュスとクロテールが雑誌を切り刻んで遊んでいる音に気が散り,ハサミを取り返し,バリカンで雑誌を切ろうとしているクロテールからバリカンを取り返し,横では他のお客が怒り,ニコラからは「髪の毛を切ってくれないの?」と催促され,ようやく切り始めれば,アルセストたちの観察とコメントが気になって仕方ない.
そんな緊迫した(?)状況の説明にイラスト2/3は挟まれています.
脚立にのって「床屋 男性・女性 子どもお断り」と「子ども」に大きく❌をつけています.このような場面は文にはありませんが,きっとニコラたちが帰って一番最初にした事でしょう.でも,切りたくてもなかなか進められないマルセルさんの心情を一言で,否,一目で表すとまさにこれ.絶妙な挿入で思わず笑ってしまいました.
横で切っていたお客は途中で帰ってしまい,担当のルイさんは思わず,子どもたちの方へと向かっていきます.相当怖い顔をしていたことでしょう.今度は逆にマルセルさんに「機転だ」と宥められます.
それでもマルセルさんはついに任務完了.無事,ニコラの髪を切り終わりました.背後では「リュフュスがクロテールにスプレーで水を引っ掛けて遊んでいて,ルイさんはアルセストからタルカムパウダーを取り上げようとして」いましたが・・・.
*talc「滑石,タルカムパウダー」:あせもやただれ防止に使う粉末だそうで,そういえば私も小学生の頃に通っていた床屋さんで,パフっとかけてもらったような覚えがありますが,あれなんでしょう.
「みんなそろって,すっごく楽しそうにしていたよ.」(« Ils rigolaient tous drôlement »)の「みんな」には,ルイさんも含まれているのでしょうか?状況から考えると,どうも楽しんでいるのは子どもたちだけで,大人は迷惑しているのではないかな〜?と思うんですが,そこはKYニコラ.私たち読者とは違う解釈をしているようです.
ルイさんもマルセルさんも,きっといつもはあんまり面白くしてないんだね.だって,僕らが帰るとなったら,すっごく寂しそうにして,お客さんの椅子に腰掛け,鏡で自分のことを見ていたよ.何も言わずにね.かわいそう.(p.61)
イラスト3/3です.
ニコラたち(なぜに三人?)が清々しい顔をして立ち去るのに対し,中のルイさんの顔にはどことなく憂愁が漂い,マルセルさんは汗をふきふき,やっとのことで任務終了と座り込んでいます.イラストを見る限り,二人は疲労と脱力で茫然自失,動けないというのが正解では?
でも,思わず「かわいそう」と呟く心優しいKYニコラは,そんな二人を想い,解決策を考えているようです.
またすぐに来ないと行けないね.慰めてあげなきゃ!(p.61)
気遣いの人というか,余計なお世話というか・・・.(足元の敷石を思わず投げちゃう熊のような心境かしら?)
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