« Le gros mot », HIPN., vol.1, pp.606-611.
形容詞のgros, -seには「太い,丸々とした,大量の」などの意味がありますが,「激しい,ひどい,粗野な」など否定的なニュアンスで使われることもしばしば.この意味での派生的表現には,例えばgrossier「粗野な,無作法な,下品な」があり,その名詞形はgrossièretéとなります.フランス語では形容詞は名詞の後ろにつけるのが普通と習いますが,前につける場合には後ろの名詞と合わせて一語のようにみなされているようですとは以前にも書きましたが,ここでも,名詞motと組み合わせて,「汚い言葉,下品な言葉」を表します.辞書を引かない人ならいざ知らず,これを「太った言葉」とか「厚い語」とか訳す人はいませんがね.意味わかんないし.
今はだいぶ印象が変わってきたような気がしますが,私が子どもの頃(1970年代)には,やっぱり教育の一環として,言葉に関する注意が多かったように思います.汚い言葉を使ってはいけないとか,ごはん中に汚い話(トイレのこととか)をしてはいけないとか.私に子どもがいないせいで気がつかないのか,今はテレビとかネットとかユーチューブでそうした言葉が溢れていて,そんな言葉をめぐる禁忌というのが薄れているのかなぁと思うことがよくあります.ある種の言葉に出会うとドキッとしたり,ハッとしたり,思わず口を押さえてしまったり,そんな経験が少なくなってきたような.気のせいですかね.
ちなみに本話では題名に「汚い言葉」とありますが,そんな言葉は一度も出てきません.イラストは2枚ついていますが,両方とも,吹き出しの部分に「使用禁止」の貼り紙がなされ,言葉が隠されています.見てみましょう.イラストの1/2です.
「僕,📵と言ったんだ」と,使用禁止の部分が隠されています.でもそんな言葉を使っているニコラの顔は普段と変わらず,それを聞いているママンが目を丸くしています.つまり,ニコラには善悪の区別がついていないという設定なのでしょう.
今日の午後,休み時間にウードが汚い言葉を使ったんだ.学校では時々,下品な言葉が飛び交うんだけど,ウードが言った言葉は初耳だったよ.
ウードが僕らに説明をした.「俺の兄ちゃんが今朝この言葉を言ったんだよ.軍隊で将校している兄ちゃんだよ.今は休暇で家にいるんだ.顔を剃っていたら肌を切っちゃってね.それでその語を言ったんだ.」(p.606)
ウードのお兄さんは使ってはいけないと言われている罵り言葉を口にしたようですが,どうも「汚い言葉,下品な言葉」というのはしっくりきません.ここで「使用禁止の言葉」とか,「使ってはいけない言葉」と訳すとしかし,子どもたちはすでに「使ってはいけない」とされている言葉をあえて使っていることになり,それでは平然とママンの前でその言葉を口にしたニコラの無邪気さというか,未だ社会性を備えていないところが曖昧になってしまし,場合によっては反抗しているみたいに聞こえるかも.でもそうじゃなくて,今回は「羊の膝肉」を犠牲にしてまで,ニコラに言葉の教育を施すお話ですから,ニコラがもうそんなことは知っているよ,というのでは文字通りお話になりません.それでは「汚い言葉を使ったんだ」という表現を,どうしたらより自然でノリの良い日本語に置き換えられるのでしょうか.
上のウードの発言に対して,ジョフロワがツッコミを入れますが,それも「汚い言葉」についてではなく,お兄さんの仕事についてでした.続いて,↑のイラストにある,ニコラとママンの会話となるのですが,ここに至るまでに「汚い言葉」(gros mot(s))というのが,8回も使われています.それでも,実際の汚い言葉の用例はもちろんなし.徹底しています.ちなみに,本話では「📵と言ったんだ」と言葉を伏せて,代わりに「汚い言葉」と入れている箇所がたくさんあります.ですから,実際には「📵」の部分に「ちくし○う!」とか,「く○くらえ!」とか,「し○じまえ!」とか,そんな想像をしながら読む必要があります.イラスト2/2もその類です.
「📵なんて言っちゃダメだって,わかっているだろ!」とパパは怒っています.文では会社から帰ってきてすぐにママンから聞いて怒り始めているので,新聞を手にして肘掛け椅子に座る余裕なんてなかったのですが,くつろいで新聞を読んでいるところで,大変な言葉(📵)を聞いて飛び上がったという方が,驚きが伝わってきます.
学校教育についてひとしきり嘆いた後で,パパはニコラにこんこんと説教をします.
「お前は恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいよ・・・」
「その通りだ.恥ずべきだ.ニコラ,今お前が受けている教育でお前の人生が決まるんだ.お前のずっと先の将来もだぞ.お前の仕事がうまくいかなくて,汚い言葉で罵るようなら,お前はずっと人生の落伍者となるんだ.人様に後ろ指されるような負け犬だ.お前が聞いて,意味もわからないまま鸚鵡返しにしている汚い言葉に意味なんかない,楽しいじゃんと思っているだろう.ところがね,それは大間違いだ.ひどい間違いとしか言いようがない.社会に汚い言葉は必要ない.・・・(pp.610-611)
今回のパパは真剣そのもの,えらく真っ当です.『プチ・ニ』らしくないと言えばらしくないのですが,それでもパパは立派な「社会」人であり常識人なのです.時にパパの常識が非常識になるから笑えるんですが,ここでは至極真っ当な大人で,立派な教育理念を説いています.ニコラも大人しく聞いて,大まかには理解したようです.「汚い言葉を使っちゃいけない.だって,お家に呼んでもらえなくなるから.」(p.611)かなり省略形ですが,理解はしています.
以上で,教育は大事とか,汚い言葉は使っちゃいけないとか,いいお話で終わりそうだったのですが,もちろんそうならないのが『プチ・ニ』の良いところです.パパも,ママンもニコラもみんなで抱き合って和やかな雰囲気になったところ・・・
パパは笑いを止めた.クンクン匂いを嗅いで,台所の方を眺め,大声を出した.
「焦げてるぞ!羊だ羊!」
そうしたらママンが📵と叫んだんだ.(p.611)
さて,ママンは何と言ったのでしょうか.それから,焦げて食事ができなくなったパパの言葉は?
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