« La dent », HIPN., vol.1, pp.582-589.
「歯」という,非常にシンプルな題名です.通常フランス語では数えられる名詞を一般化するには定冠詞をつけた複数形,数えられない名詞なら定冠詞をつけた単数形で表します.ですから,一般名詞としての歯なら(歯というもの)les dents,一本の歯ならune dent,特定の歯(「あの歯,その歯,この歯」)ならla dentとなります.ちなみに数えられない名詞というのは例えばコーヒーのように,1つ,2つ・・・と数えられない物(液体とか気体とか勇気のような気質とか)で,コーヒーというもの(一般名詞)が好きですというなら,le caféとするわけです.この規則は大体守られるのですが,時に,l'hommeのように,人一般(「人間というもの」)を指すのに定冠詞・単数形が用いられることもあるのでややこしい.もちろん,les hommesでも一般名詞としての「人間」を表すことが可能です.この題名はどうなのでしょうか.「歯」というものなのでしょうか,ある特定の条件を伴った「その歯」でしょうか.
今回のお話は題名同様非常にシンプルで,ニコラの上の歯(乳歯)が一本抜けた.フランスでは抜けた歯を枕の下に入れて寝ると,ネズミが来て持っていくついでにコインを置いて行くという言い伝えがあるようで,ニコラがそれを期待する.それだけのお話です.
ちなみに日本では上の歯なら屋根に,下の歯なら縁の下に投げるものと言われています.私もそう聞きました.そして素直だったのでしょう,疑いもせずに,そうしました.でもコインが手に入るみたいないいことはありませんでした.だからと言って,捨てて損した!と親に食ってかかったりしませんでしたが.
お話に戻ると,ニコラは初めての経験に思わず泣き出してしまうのに,パパやママンはむしろ嬉しそう.ニコラは歯が抜けてビビって学校へ行かないといい出したのに,パパはまたもや「一人前の男」を持ち出し,何とか宥めて送り出します.ニコラは落ちた「歯」をポケットにしまい,学校へ向かいます.ここでパパとママンがネズミの言い伝えを想い出していたら後々問題にならなかったのですが.
今回私が不思議に思ったのは題名とイラストの関係です.題名が「歯」を表すことについてはすでに上で説明しました.でも,それが「歯」一般を指すのか,抜けた「歯」を指すのかどちらかは俄には決め難い.さてどちらだろうと思いながら読み進め,イラストを見ていました.まずはイラスト1/6を見てください.
ニコラは抜けた歯が気になっているのでしょうか.もしくは歯が抜けた部分が気になってしょうがないのでしょうか.歯は無くなったのですから,その歯が並んでいた部分に何も無くなって,何となく口の中が落ち着かない.すぐに慣れるといえばそうなのですが,今まであったものが無くなると,無くなった物それ自体ではなく,無くなったことが気になって気になって・・・という経験はありませんか?イラストの方はむしろ,抜けた歯より,抜けた空洞に関心があるようです.
ニコラは抜けた歯をポケットに入れていて,アルセストにあった時にも,それを取り出して「僕の歯を見せた」と言っているのですが,その後でさらに「僕は口を開け,アルセストが口の中を覗いた」(id.)とあります.ですから文とイラストに齟齬があるわけではないのですが,イラストの方は特に抜けた箇所を強調しています.イラスト2/6です.
次にニコラたちはクラスメートに会います.アルセストは教室に入るなり,こう言います.
「ニコラは抜けた歯を持っているんだ!」(p.584)
原文は« Nicolas a une dent qui est tombée ! ».邦訳では「ニコラは,歯が一本ぬけたんだ!」となっていて,確かに日本語としてはこちらの方が自然ですが,イラストと比べて文の方はポケットに忍ばせた「歯」を見せる場面が多いようですし,題名も定冠詞付きの「歯」であったことを考えれば,やっぱりアルセストはニコラの持っている「歯」に注意を促したのではないでしょうか.
クラスメートと一緒に寄ってきたブイヨンさんは文章でも「僕の口の中を覗いた」となっているので,イラスト3/6はかなり正確です.
このイラストは面白いですね.コの字形の構図がよくできているのと,いつもなら自分の目の中をよく見るように促すブイヨンさんが,生徒の口の中を不思議そうに眺めているので,立場が逆転しています.
イラスト4/6は吹き出しに「これが僕のでっかい歯だよ」とありますので,ここでは「歯」に注意を向けています.
聞いているのはアニャンのようですが,今回の文には登場しません.それにそんなセリフもありませんし.でも,文では相変わらず,「ポケットから歯を取り出してジョフロワに見せた」(p.585)と,「歯」の方に注意を向けています.
イラスト5/6は反対に口の中.
これは順序から言えば,最初にアルセストと一緒に口の中を見せた場面ではないでしょうか.すると,3番目(3/6)がちょうど良い位置かと思います.それは次の6/6も同じです.
みんなに口の中を見せている場面.こちらも3番目か4番目が妥当かと.いずれにせよ,イラストの方は4/6以外は全て口をあんぐり開けて見せているんですね.無いはずの「歯」を.くどいようですが,文では担任の先生に叱られそうになった時にも,歯自体を見せて説明しています.口を開けたりしていません.やっぱり文とイラストと関心がズレていませんか?
学校帰りに,ジョフロワから教えてもらった「ネズミ」の交換の話を信じて疑わないアルセストはニコラに無くさないように,コインをもらったら一緒に美味しいものを買えるからと親切に(?)助言します.ところがニコラは,それは僕の歯だから,なぜ手に入れたコインで買うものを分けなきゃいけないんだと怒ります.それを聞いたアルセストも怒ります.一触即発状態.普段は親友なのに.食べ物が関わると怖いものです.
ところが翌朝になっても,枕の下に入れた歯はそのまま.コインもなし.泣きながらパパとママンの寝室に駆け込むニコラ.言い伝えを想い出したパパは機転を利かせて,「おバカなネズミ」だったことにして,パパの枕の下に「50サンチーム」コインを一枚置いて行ったことにします.本当に人さわがせなネズミだこと.それにしても,この話を教えてくれたジョフロワが手に入れたのは「20サンチーム」だったのですから,それ以上の成功を収めたわけです.
僕はすっごく嬉しかったよ.アルセストは友だちだし,ケンカしたままじゃ嫌だから,次に会ったら,アルセストに僕の歯をあげようと思うんだ.そうすれば今晩枕の下に置いて置けるからね.(p.589)
予定の2倍以上手に入れたから,2人で分ける分が買えるというかと思いきや,自分の歯を貸してアルセストに儲けさせてやろうと考えるとは!う〜ん,せこいんだか,賢いんだか.いずれにせよ,友だち想いなのは確かです.
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