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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(161)

« Un vrai petit homme », HIPN., vol.1, pp.574-581.

 フランス語には名詞の前に置くのと,後ろに置くのとで意味が異なる形容詞があります.例えば,un homme grandなら「大きな人」,un grand hommeなら「立派な人,偉人」とか.今回の題名のun petit hommeはもちろん今挙げた例にあるun grand hommeをもじった言い方です.「真に立派な大人,誠に立派な一人前の男性」の一字を入れ替えれば,「真に立派な子ども,誠に立派な一人前の小さな男性」となるでしょうか.通常あまり使われる表現ではありませんが,フランス語を習った人なら,即座にダジャレに近い,人を揶揄うような滑稽な言い回しであることが理解できるでしょう.

 いつも3人一緒で,滅多に離れ離れにならないニコラ一家ですが,今回はパパの出張で珍しくニコラとママンの二人で一晩過ごすことになりました.冒頭を読んでいると,まるで未来永劫,もう一生会えないみたい.愁嘆場です.


今日家では,僕らみんな朝早くに起きた.なぜって,パパがパパの会社の社長さんのムシュブムサント出張に出なくっちゃならないからなんだ.

 3人ともピリピリしていたよ.だって普通は,パパもママンも僕も絶対に離れ離れにならないからなんだ.一度だけ僕はパパとママンを残して,夏のヴァカンスの臨海学校へ行ったことがあったけどね.その話はまたいつかするよ.

「気をつけてね,あなた」すごく心配そうにママンが言った.

「気をつけなきゃいけないほどのこともないさ.車じゃなくて電車だからね.」

「だからって気をつけなくていいわけじゃないでしょう.向こうに着いたら電報を送ってちょうだいね.」(p.574)


 翌日のお昼には戻って来ると言うのに,エライ騒ぎです.そんなにベタベタ,いつも一緒なんですかね?おまけに・・・


それからパパはママンにキスをした.それもず〜と長く.まるで結婚記念日の時にするみたいに.(ibid.)


 そりゃね,何があるかわかりませんよ,離れていれば.でもね.たった1日ですよ.たった一晩ですよ.そんなに長くチューしなくても.

 パパはタクシーで駅へ向かうと言うので,ニコラを学校で降ろしてくれます.車中,パパはニコラに留守中の注意を与えます.それによると,「ママンはお前に任せるからな,パパがいない時には,お前が一家の主人なんだぞ」(p.574)だそうです.

 「一家の主人」(l'homme de la maison)と言うのはそのまま訳すと「この家の男性」です.いつもならパパとニコラ,2人の「男性」(hommes)がいるのですが,パパがいなくなればニコラはたった1人の「男性」(homme)となります.そしてこの文脈ではもちろん,単なる「男性,男」と言うのではなく,「大人の男性,一人前の人」のニュアンスが加わります.それで「主人(あるじ)」と訳せるわけです.パパはニコラがKYであるとか,ニュアンスを無視するとか,言われたことをそのまま真に受けるとか,そんな風に考えたことはないようですが,『プチ・ニ』の読者ならよく知っている事実です.ここでもニコラは「男,人」(homme)を「一家の唯一の男性」,「一人前の男性」,すなわちニコラ家ではパパのことを指すと理解(誤解)したのです.ま,理解自体はさほど間違っていませんが,パパを参照項においたのがそもそもの間違いというか.

 パパと別れ,タクシーから降りてきたニコラは既に勘違いの顔をしています.イラスト1/2です.


 タクシーは学校の前につけました.パパが中から手を振り,ニコラを送り出しています.ニコラは一角(ひとかど)の人物であるような,得意げな顔をして歩いてきます.クラスメートたちは,ニコラがまるでお金持ちで運転手付きの(ジョフロワのような)自家用車から颯爽と登場したかのように,目を丸くして驚いています.そうそうあることじゃありません.特にニコラには.でも,一人前の男ですから,そのくらいのことがあったって当たり前って顔をしています.鼻高々.そんな印象を裏付けるのがイラスト2/2です.


これはおそらく,お昼に帰ってきた時の様子です.ニコラは先程と同じすまし顔をして新聞を読んでいます.文章では実際には「カウボーイや仮面の男」が出てくるお話が載った本なのですが,パパの真似をして偉そうにふんぞりかえっているのがわかればいいのです.足まで組んでいますし.料理を運んでくるのは女=ママン.まるで男は食べるだけって感じです.一家の主人とは,男尊女卑の風潮が作り出した変な役割分担なのですね.

 ママンが入ってきて,ニコラは早速,食卓で読み物を読んでいるのを咎められます.でも,「パパはいつも食卓で新聞を読んでいるじゃないか.」(p.575)「パパが僕に言ったんだよ.パパがいない時には,僕がパパの代わりだ,僕が一家の主人なんだって.」(id.)

 ところでニコラはわざとやっているのでしょうか.つまり,パパの発言を逆手にとって,偉そうにしている?それとも,単にパパの発言を真に受けているだけ?

 午後の授業が終わって寄り道して帰ってきたニコラは,それを咎められると,今度は「パパが会社から遅くに帰ってきても,ママンは怒鳴ったりしないじゃないか!」(p.578).

 次は言うに事欠いて,「レストランで外食して映画でもみようじゃないか?」(id.)やっぱり調子にのっているというより,単にパパの真似をしているだけなんですね.だって,「パパはパパがいない時には僕が一家の主人だって言ったのに,ママンはパパがするようには僕に何もさせてくれないじゃないか!」やっぱり単なるKYでした.「一家の主人」として振る舞うのが目的じゃなくて,「一家の男性」である「パパのように」しなくちゃいけないと真似をしているのです.実に素直で,理屈も通っています.ママンには理不尽に思えるとしても,です.でもそんな意味のhommeじゃなかったんだって.

 「パパは僕に代わりを務めるようにって行ったんだ.それだけだよ.」(p.579)これを聞いて,いつも戦略的で聡いママンは全てを理解しました.それで「ママンは笑って,それから言った.」「男性様,こんばんはチョコレート・ケーキをご用意いたしました.殿方にはお気に召すケーキと存じます.かくも良きチョコレート・ケーキに恵まれぬレストランに赴くよりは,これをご賞味あらせられるよう家に留まることといたしましょう.その後に,お札ゲームでもいかが?どうでござる?」(p.579)

 ニコラ,敢えなく籠絡.さすがママン,「男」の扱いには慣れています.翌日には学校へ行くのを渋るニコラをママンはやはり説き伏せます.

 ニコラがお昼に帰ってくると,パパはもう帰ってきていました.これで家で唯一の「男」ではなくなります.でもニコラは最初から「パパの代わり」をすることが目的だったので,別に唯一の男,主人として女性を支配したかったわけではありません.素直に,パパの帰還を喜びます.でもママンはそんなニコラを怒るでもなく,パパに言いつけるでもなく,ちゃんと理解していました.聡い人です.


パパはママンに聞いたんだ.

「それでニコラのやつ,お行儀よくしていたかい?」

ママンは僕を見て,笑いながら言ったんだ.

「ニコラはちっちゃいけど立派な殿方として振る舞いましたわ.真に立派な小さな男性としてね.」(p.581)


 横暴な男性としてとか,「あなたの真似をして」男性として振る舞いましたとは言わないんです.「小さな」「男性」としてつまり,小さなパパとして振る舞ったと暗に仄めかしたんです.KYニコラにはもうとう分からなかったでしょうが,多分パパには,ちっちゃい版あなただったわよという皮肉は通じたのではないでしょうか.いや,大きい版ニコラのパパにはそれも通じなかったかも.いずれにせよ,ママンの頭の回転の速さと機智に富んだ発言には脱帽です.それをママンの発言として書いたゴシニの筆力にも.

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