« Comme un grand », HIPN., vol.1, pp.559-565.
「一人前の大人のように」.『プチ・ニコラ』を読んでいると,「大人のように」なる,大人のように扱われると言うのが執筆された当時の一つの価値であったことに思い当たります.私は自分を振り返って,大人になることに憧れはなかったし,尊敬したり憧れたりした人はいても,「大人」一般に憧れ,早く自分も大人になりたいとは思わなかったんですが.今の子どもたちも似たり寄ったりではないかなぁと言うのが私の周りを見ていての感想です.ニコラにしてみれば,一番身近な大人はパパであり,ママンであり,お隣りのブレデュールさん,友だちの親たち.それから学校の担任の先生に,校長先生,生徒監のブイヨンさん,買い物へ行くお店の人なんかでしょうが,ニコラはそれらの大人たちを見て,そんな大人になりたい,「大人のように」扱われたいと考えていたわけですから,さぞかし立派な,模範的な大人だったのでしょう.もちろん,意地悪なゴシニとサンペは,そんな偉ぶる大人の失敗を存分に描き,権威をなからしめるのが,どうやら目的のようなのですが.おそらく一番の犠牲者はパパです.
今回は「新しいお隣さん」であるマリ−エドヴィージュちゃんと庭で二人仲良く遊ぶお話です.「新しい」とされているところを見ると,(58)や,特にマリ−エドヴィージュ一家(クルトパイユさん)が引っ越してきた(119)よりも後に掲載されたお話なのでしょう.やっぱり掲載順が気になるところです.いつか,当時の雑誌を調べてみたいと思います.
「今日」はクルトパイユさん夫妻はマリ−エドヴィージュが外で遊ぶのを許したレアな(?)機会で,ニコラは一緒に庭で遊ぶことにしました.ニコラは「ボール遊び,ビー玉遊び,電気機関車遊び」を提案するも,もちろん全て却下.マリ−エドヴィージュはお人形を使い,「パパとママンごっこ」をしたがります.ニコラは気乗りしませんが,大人の男ですからね.ちゃんとマリ−エドヴィージュを立ててあげます.ニコラが人形遊びをしたがらない理由はイラスト1/2をみれば一目瞭然です.
上部,吹き出しの中はニコラとマリ−エドヴィージュがお人形さんごっこをしているところに,ニコラのクラスメートが集まってきて,からかう場面です.マリ−エドヴィージュは楽しそうに,人形にご飯を食べさせていますが,ニコラは後ろ目で級友たちの方をみて,気にしています.アルセストを筆頭に,みんながニコラを指さしたりして大笑いしています.あぁ,ニコラ,立つ瀬なし.下部では,そんな妄想を抱きながら,ニコラが顔を顰めている様子が窺えます.それでも,マリ−エドヴィージュに気に入られるように,しっかり人形は手に持っています.あぁ,そういえば小さい頃は,女子と遊ぶのが妙に照れくさいと言うか,恥ずかしかった覚えがありますね.
それにしてもマリ−エドヴィージュの演出は完璧です.彼女はまず,舞台設定をします.
マリ−エドヴィージュがいったんだ.「いいわね,ここが食堂ね.そこに食卓があって,あっちが食器棚よ.上に,レオンおばさんの写真が飾ってあるわ.時間は夜で,私は真っ赤な洋服を着て,ママンがいつも履いている踵の高いスリッパ姿ね.あなたが仕事から帰ってくるの.さぁ,帰ってきて!」(p.559)
ニコラは何度も何度もダメ出しされながら,それでもマリ−エドヴィージュの用意した通りにセリフを言い,パパ役を務めます.それにしても,喋るのはマリ−エドヴィージュばかり.ニコラはどうみても付き合わされてる感じです.大人なんだから我慢しないとね.
話はそれますが,子どもというのは家庭内のことをよく観察しているものですね.ニコラの観察眼にはいつも感心しますが,ここでのマリ−エドヴィージュのそれも本当に見事なものです.そこでみて覚えたものをシナリオにして,自分たちで再現しているわけで,そうすると,いかにも大人の世界がとるに足らない,バカバカしいものに見えてきます.パパとママンを演じているニコラとマリ−エドヴィージュですが,実際に家庭内でもパパがママンにやり込められているのだろうなぁと想像すると,パパの権威なんてないも同然に思えてきます.やっぱりゴシニもサンペも意地が悪いのです.
一所懸命,一種のおままごとに付き合っていたニコラですが,さすがにお人形さんにお帰りなさいのキスをするのは憚れました.だってアルセストに見つかったら,次の日学校で笑い者にされてしまうからです.1/2の妄想が続いています.ところが,それを聞いたマリ−エドヴィージュが私より友だちをとるのかとキレてしまいます.これが2/2です.
そんな怒鳴ることないでしょう???それに,ニコラだってずっと不平も言わず付き合ってきたじゃないですか.それにそれに,何も友だちと秤にかけなくたっていいじゃない?!
ニコラは話をはぐらかして,別の遊びをしようと提案しますが,やっぱり却下.「友だちと遊ぶのがいいなら,その人といればいいじゃない!私はママンのところに帰るわ!」捨て台詞を残して,マリ−エドヴィージュは帰ってしまいました.ヒュ〜・・・ニコラに冷たい風が吹きます.今までの努力はいったい何だったんでしょうか.
僕は一人,庭に残ったん.ちょっと泣きたくなったよ.でもパパがニヤニヤしながら家から出てきたんだ.
「窓からお前らが見えてね.あれでいいんだ,よくやった!お前は強い男だったよ.」
それからパパは肩に手を置いて言ったんだ.
「そうさ,女ってのはみんな同じだよ.」
それで僕はすっごく嬉しかったんだ.だってパパが,まるで僕が一人前の男のように話してくれたんだから.それにマリ−エドヴィージュはやっぱりとっても可愛いからね,明日になったら,謝ろうと思うんだ.一人前の大人のようにね.(p.565)
「そうさ,」と訳したところ,原文ではAllez mon vieuxという呼びかけです.Allezは「さあさあ,ねえ」など,相手に呼びかけ気を引く表現,mon vieuxというのは直訳すると,「私の老人」で,大人の間で相手に愛着を持って呼びかける表現です.ですから,ニコラは大人と同等に扱われたと考え,嬉しくなったのです.
それでここの部分を考えてみると,パパはキッパリとマリ−エドヴィージュより友だちを選んだニコラのマッチョさを褒めて仲間意識を持ちました.ニコラはそんな男の絆を嬉しく思いながらも,やっぱりマリ−エドヴィージュが可愛いからと,翌日には謝りにゆくことを決めます.ニコラにしてみれば,きちんと謝れるのが「一人前の大人」の姿ということでしょう.見栄を張ったり,歪んだ男性観を振りかざすよりも.
さて一体どちらが大人なのかしら???
本話にはもう一枚,かなり大きなイラストがついていますが,これは3/2ではないと思います.その理由は1/2の吹き出し部分のみを独立させた絵だからです.これが3枚目だとすると,ニコラが実際に友人たちに見つかって笑い者にされたことになりそうですが,文章にはそんな記述は全く見当たりません.二人が遊んでいたのをみたのはパパだけです.ニヤミスにしてはあまりにも大きく,物語を変えてしまいます.『プチ・ニコラ』では時折,抜粋が独立した絵として提示されていますが,今回の3枚目はあまりにも紛らわしい抜粋で,しない方がよかったでしょう.
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