« Le voyage en Espagne », HIPN, vol.1, pp452-457.
「スペイン旅行」.あれっ?ニコラたちはヴァカンスでブルターニュに行ったはず?!と思いきや,パパの会社で会計をしているボングランさん一家が,ヴァカンスをスペインで過ごしたそうです.ボングランさんといえば(54)で登場した,郊外に一軒家を購入して,何かにつけて自慢しまくっていた「エゴイスト」のおじさんでした.さて,今回はどんなキャラで描かれるのでしょうか.
今回はイラストが1枚だけなのですが,見開き2ページにわたる大判なのでスキャンするとどうしても真ん中がうまく取り込めません.本を切り裂いて自炊,なんて昨今珍しくもないのですが,私はどうも,本が傷んでしまうのは仕方ないとして,本を傷めるのはちょっと・・・.それで今回,真ん中に当たる映写機が見えなくなってしまいますが,いつものようにイラストの一部が切りはりされて挿入されていますので,映写機だけきれいに複写できました.
現在ではもう,こんな風に写真とか8ミリとかを映写する機械を所有している御宅もないのでは・・・と書きかけて,はたと思いました.そういえば今はプロジェクターが大分お安くなって普及しているし,ホームシアター(何で英語?)とかでウーファーとか使って映画館のように大音量で見ることもできるのでした.我が家が遅れているだけでした.
でも1950年代だと,やっぱりそんな機械がある家も多くないでしょうし,人を招待して一緒に見て楽しむなんてのはハイソな感じがしたんでしょう.つまり,ここでもボングランさんはやっぱり,自分たちがヴァカンスでスペインに行ったことを自慢し,その様子を写真に撮ってお客さんに見せびらかしたいのです.どうせそんな魂胆なら,ニコラ一家はそんな自慢を聞きにいかなくてもいいのにと,私は思ってしまうのですが.
ニコラたちはある日の午後,ボングランさんのお家にお茶にお呼ばれします.
ママンとパパと僕が到着すると,ボングランさんが僕らにびっくりさせるものがあるって言ったんだ.「お茶の後に,ヴァカンスでスペインに行った時に撮ったカラー写真をお見せしよう」だって.(p.452)
それで上映会に移る前に,お三時の様子がほんの申し訳程度に挿入されています.ほんとにちょっぴりだけ.
おやつはおいしかったよ.ちっちゃなケーキがたくさんあってね.僕はいちごがのったやつを1個,パイナップルのやつを1個,チョコレートのやつを1個,アーモンド付きを1個食べたんだ.さくらんぼうのケーキは食べられなかったよ.だってママンが「そんなに食べてばかりいたら,病気になっちゃうわ」って止めたんだ.これには驚いちゃったよ.だっていつもさくらんぼう食べても,お腹を壊すことはまずないからね.(p.452)
だから〜.ママンが止めたのはさくらんぼうが理由じゃないんだって.相変わらずニコラは目の前のことと結びつけて,いわば近視眼的に解釈するわけです.
それでいよいよ,上映会になります.
お茶の後で,ボングランさんが写真を映す機械と映画のスクリーンを持ってきたんだ.スクリーンはピカピカ光って,かっこよかったよ(chouette).(pp.452-453)
ニコラのchouetteが出たので,きっとピカピカの最新式,それも新品のスクリーンだったのでしょう.もしかしたら,こんな風に招待客に自慢するために,というより,今回自慢するために買い揃えたのかも.
ボングランさんの奥さんはブラインドを閉めて部屋を暗くした.僕は子ランタンを手伝って,スクリーンの前に椅子を並べたんだ.それから,僕らみんなが席についた.ボングランさんだけは座らないで,写真のいっぱい入った箱を横に置いて,機械の後ろに立っていた.あかりを消して,さぁ,いよいよはじまりはじまり.(p.453)
これが唯一のイラストです.
ボングランさんはちょっと怖い顔をして立っています.そのすぐ後ろにはニコラのママンがいて,その横にボングラン夫人,その横ににこやかな顔をしたパパがいます.反対側にニコラが座り,ニコラの前にはコランタンが手で口を押さえながらしゃがんでいます.スクリーンに映し出されているのもコランタン.全く同じ格好,同じ仕草で笑っています.全く同じなら,何も写真でスクリーンに映し出さなくてもいいんじゃない?って思っちゃいました.でも,スペインに行った時に撮ったという記憶と「想い出」が大切なのです.スクリーン上はコランタンだけが写っていますが,実はボングラン夫人の回想を示す吹き出しの中をよく見ると,車を修理しているボングランさんの横に,同じ顔と同じ仕草をして笑っているコランタンがいます.つまり,写真はあくまで部分で,撮影時の出来事はボングランさんやボングラン夫人が話で補っているのです.
それで何と!本話は,ほんの少しニコラが上映会の様子を差し挟む程度で,実はほとんどがボングランさんとボングラン夫人の発言と会話で成り立っているのです.あの時はどうだった,この時はああだった,その時は・・・.とにかくず〜と,二人で話しています.イラストにあるように,ニコラもニコラのパパもママンもほとんど話しませんし,ほとんど存在すらわかりません.いるんだかいないんだか.語るのは写真・・・じゃなくて,ボングラン夫妻.
ボングランさんがパパに言った.「わかるかい?道すがら,コランタンは牛のようにわめき続けていてね.クレールは私に膨れっ面しっぱなし.ありゃ,忘れられないよ.」
次に大笑いしているコランタンの顔が大きく映った.
「これこれ,これは私が撮ったのよ.」ボングランさんのおばさんが説明した.「エクトールがタイヤを修理しているところね.これが最初のパンクだったわ.」(pp.455-456)
↑ですな.説明聞かなきゃまったく状況はわかりません.わかるのは大写しでコランタンが笑っていることだけ.それにしても,そんな,スペインに到着前の,車の修理をしているときの,横で見て笑っている子供の大写しの写真なんか,家族以外に何か意味があるのでしょうか.う〜ん・・・.彼らは想い出に浸って面白いかもしれませんがね.
お話の最後までこの調子です.それでママンがそろそろお暇をというのですが,さほど退屈したようでも怒ったようでもありません.パパも同様です.不思議だ.いつものパパなら,軽い悪口となりそうなのですが.
ボングランさんは玄関までついてきて,パパに聞いたんだ.「ヴァカンスの写真を持ち帰ろうなんて考えないのかい?」パパは「いやいや,考えたこともないね.」だって.
そうしたらボングランさんがパパに言ったんだ.「だめだなぁ.写真があれば素晴らしい思い出になろうってものなのに.」(p.457)
ちょっと今回はわかりにくかったんですが,思うに,写真を補うどころか,あれだけ想い出(souvenirs)を喋りまくっていたんだから,写真はなくてもよかったんでは・・・?って,皮肉でしょうかね???
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