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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(142)

更新日:11月6日

« Papa a des tas d'agonies », HIPN, vol.1, pp.428-435.

 受験勉強というと詰め込み方式で,その後の大学でのお勉強にも,その後の人生にも役に立たない知識ばかり機械的に覚えるもの・・・そんな固定観念,ありますよね.例えば710大きな平城京,794ウグイス平安京なんて,年号を覚えるだけの知識については,私もそうは思わないでもないのですが,それでもそんな知識がぽつっ,ぽつっと役に立つこともあるもので,今回も題名のagonieの語を見て,受験英語でagony(顎に)苦痛のアッパーカットと覚えたなぁと想い出しました.ですから,題名は「パパ,多難」あるいは,「パパには苦痛がいっぱい」と即座に思いました.『プチニ』ではパパはいつも災難を被る役なので,今回はどんな風に災難を託つのだろうとワクワクしながら読んでいるうちに,もしかしたら,受験英語で覚えたagonyとフランス語のagonieとは意味が異なる(ズレる)のではないかと思い始め,辞書で確認しました.手元にある辞書をパラパラっとめくってみると,


(英語)agony 1.(通例長く続く肉体的・精神的な)激しい苦痛(pain),2[時に〜ies]死の苦しみ(『ジーニアス英和辞典』(第3版))


(フランス語)agonie 1.臨終,断末魔の苦しみ.entrer en 〜死の苦しみが始まる.être à l'agonie死にかけている,臨終である.2(帝国などの)最期,末期.(『Le Dico現代フランス語辞典』(第2版))


 と,ありました.すると,フランス語ではどうも「苦痛」の度合いが大きいようで,例文として挙げられている表現でも,死に至るほど深刻な痛みを表すようです.アッパーカットどころじゃありません.いえ,それも痛いでしょうが.

 すると,『プチニ』でパパが死んでしまうはずもないので(『プチニ』にそんな不幸は似合いません),どうも英語のagonyに近い意味で使われているような気がするのです.最初の私の英語に引きずられた誤解の方がどうやら正しいような気がしてきました.すでに知っている英単語に引きずられて全く違う意味に理解しないようにと,かつての先生から授業で教わったことがあるのですが*,今回ばかりは逆でした.とはいえ,フランス語の用法もできるだけ正確に把握するのが大切ですから,今回は読みながら意味の振れ幅を把握したいと思います.

*いわゆるfaux-amis(「偽の友」)と呼ばれるもので,同じ単語でも意味が全く異なる語を指します.例えば,英語でcarは「車」,フランス語では「長距離バス」ですし,libraryは英語で「図書館」,librairieはフランス語で「書店」といった具合です.


今朝,僕はすっごく悲しかったよ.だってパパがすっごい病気だったからね.風邪をひいていたんだ.(p.428)


「すっごく悲しかった」(très triste),「すっごい病気だった」(drôlement malade)と冒頭から書かれていたら,重体で死ぬ間際の状態を想い浮かべてしまいますが,「風邪をひいていた」んだとくるので,な〜んだと安心しました.ニコラは小さいから,パパが風邪だ風邪だと大袈裟に騒いでいるのを間に受けたということなんでしょうが,それにしても,わざわざ死を想わせる書きぶりであるのは確かです.意地悪いですね.

 パパは会社に電話をして「何日か」休むと伝えますが,ママンは「その通りね.健康はすっごく大事ですからね.」と結構そっけない.しかも付け加えて,「折角家にいるんですから,ガレージの壁を塗りなおしてくださいな」なんて頼むんですが,パパはそれどころじゃないと断ります.


ママンはパパに付け足して言った.「折角家にいるんですから,ガレージの壁を塗りなおしてくださいな.」でもそれに対してパパが返した.「俺は本当にすっごく気分が悪いんだよ(se sentir vraiment très mal).」するとママンが「あら,それならいいわ」というと,パパは少し気分が良くなったように見えた(se sentir mieux).(p.428)


 なんか,ママンにはズル休みにしか見えていないようです.ニコラが「少し気分が良くなったように見えた」と観察しているので,あ〜ママンに見透かされているな,と思える場面です.信じてもらえないパパがかわいそうなのか,やっぱりママンが正しくてズル休みしようとしているのか.いずれにせよ,ママンがどうせいるなら,何か家の中のことを手伝わせようと策を練っている様子が伺えます.

 まずパパの最初の「苦痛」はニコラの宿題手伝って攻撃.これがイラスト1/4です.



 これは予想できました.パパはすごい厚着して肘掛け椅子に座っています.机の上にはおそらく風邪をひいた時にフランス人がよく飲むgrogでしょうか.つまりラム酒の瓶が置いてあります.演出バッチリです.しかしパパは宿題を拒否します.ママンが台所から出てきて,手伝ってやってくださいと頼むと,パパ曰く.


「僕は臨終に近いんだよ.家族はみんなわかろうとしてくれないがね.」リンジューに近いってどんな意味なのか僕にはわからなかったけど,きっとパパは風邪をひいているって意味なんだろうね.(p.429)


 ここで初めてêtre à l'agonie「死にかけている,臨終である」という表現が出てきます.先ほどのフランス語の辞書にもそのまま同じ表現がありました.ニコラには難しい単語であったらしく,「風邪をひいている」という意味に理解していますが,パパとしては死ぬほど苦しんでいる,今にも死にそうなくらい辛い思いをしているという意味でやや大袈裟に言ったわけです.この大袈裟な表現がパパに災難を呼び込むことになります.

 宿題を手伝ってもらえなかったニコラは泣きながら庭に出ます.そこでお隣のブレデュールさんに会い,理由を聞かれます.


僕はブレデュールさんに,「パパはリンジュー」で,宿題をやってくれないって言ったんだ.そうしたらブレデュールさんは真っ青になったんだ.すっごく風邪が怖いって感じでね.でも,おじさんにパパのリンジューはそんなに大したことないって言う間もなく(...)(p.429)


 「リンジュー」(être à l'agonie)って本当に臨終,つまり死ぬ間際って意味なんですね.agonieが「苦痛」どころではない重篤の状態であることがわかります.それにしても,いつもはパパをからかって楽しんでいるブレデュールさんですが,やっぱりパパのことを心配しているのですね.もつべきは,喧嘩のできる友人です.

 誤解はすぐに解けて,ブレデュールさんはカンカンに怒って帰ってしまいます.事態を理解できていないパパは,「奴は医者に診てもらわんとな」なんて呑気に言っています.ついでにニコラにも「お前も風邪をひくといけないから,家に入りなさい」と言ったようです.実際にこの部分は,間接話法,つまり語り手であるニコラが第三者にパパの言葉を伝える文体で書かれています.


Et il m'a dit de rentrer, parce qu'il avait peur que j'attrape une agonie, moi aussi.


つまり,文字通りには「agonieをひくといけないから」と言ったというのでですが,パパはおそらく「風邪を」(rhume)と言ったはずで,ニコラがrhume=agonieと勘違いしているので,そのように聞こえたのです.つまりニコラは誤解に基づいて解釈しています.ですから,ニコラの解釈に合わせて訳すなら「お前もリンジューするといけないから家に入りなさい」となるはずです.う〜ん・・・ニコラの聞こえたように(解釈)訳すべきか,パパの言ったように訳すべきか,迷うところです.

 二つ目の災難(ブレデュールさん)を経たところで,ようやくニコラの宿題を手伝い始めたパパですが,ママンがやってきて,家計簿の計算をしろとか,ランプのコンセントの修理をしろとか,もう休んでいる暇などありません.イラスト2/4ではやはりブスッとした顔をしていますが,サイドテーブルの上の飲み物は増えています.


 これを第三の災難とすると,第四の苦痛はママンのママン,すなわちニコラのメメの登場です.メメからの電話で指示を受けたママンがパパに薬を飲まそうとすると,パパが拒否.もちろん,すぐに夫婦喧嘩で,ママはいつもの通り「実家に帰ります」を繰り出します.するともしかしたら↑の2/4はメメご推薦の薬が並んでいるところなのでしょうか.ちなみに,その薬,よほどまずかったらしく,パパは「ウェー!」を三度も繰り返しています.まさに苦痛.

 さらにママンに水道の修理を頼まれずぶ濡れになり,服を着替えたパパですが,そこへ実際にメメがやってきます.そんなに近くに住んでいたんだ?!?それで注射ですと???


 「注射を持って下がれ,下臈!」(p.433)なんて時代がかった拒否も効きません.注射を打たれてしまって,まさに苦・痛.痛っ!

 注射を打ってもらって上の部屋から戻ってきたパパは,なんだか「歩くのがやっとな感じ」でした.それを見て,かどうかはわかりませんが,「メメはすごく嬉しそうだった」.

 それにしてもイラスト3/4.変でしょう?パパは相変わらず肘掛け椅子に座っているし(諦め顔),サイドテーブルがあって,やっぱり薬やら何やらゴタゴタのっているのに,注射は上の「パパの部屋」で打ったことになっているんです.ま,ニアミスですな.


「婿殿はすぐによくおなりですよ.よく効きますからね.注射を打つ時に動いたりしなかったら,痛くもなかったのに.ともあれ,お昼を食べたら,今度は吸角をして差し上げるわ.効果てきめんですことよ.」(pp.434-435)


 「吸角」(ventouse)と言うのは初めて聞きました.電球のようなガラス瓶を肌に当て火をつけて,血を吸い出す治療法だそうです.イラスト4/4でメメが手にしたお盆の上に並んでいるのがそれのようです.それを見る前に,上の引用の続きを読んでおきましょう.


 でもメメはパパに吸角をしてあげられなかったんだ.だって昼食を食べたらパパは会社に行っちゃったからね.

 パパが言うには,「こんな状態では家になんていられない」だって.(p.435)


 


ママンもニコラも目を丸くしています.メメの顔は険しく,パパはといえば・・・.顔も隠れるくらい服を着込んで厚着して,しかも雨降りしきるなか出勤するところです.「こんな状態」では会社に行けない,だったはずなのですが,「こんな状態」では家になんていられないに変わってしまいました.

 それにしても,たくさんの精神的・肉体的agoniesを受けて,最後には耐えかねた可哀想なパパ.でも,ズル休みだったなら,同情の余地はないのですが,真相はどうなのでしょうね.

 それにしても,フランス語のagonieは英語に近い「苦痛」なのでしょうか,それとも,パパが感じたのは,大袈裟でなく「死ぬほどの」痛みだったのでしょうか.ほんたうのところは,私たちが読みながら想像するしかありません.

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