top of page
検索
執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(131)

« Le gros z'éléphant », HIPN, vol.1, pp.344-351.

 フランス語をちょっとかじった人なら,z'éléphantという単語が存在しないことはすぐにわかります.それにこの単語がéléphant,つまり「象さん」に関係していることも.それでも,ちゃんと調べてみようと,生真面目な人は辞書を引くかもしれませんが,それでもやはり出てきません.今はインターネットがあって便利です.大概ことは何でも調べられますし,ヒントくらいは出てくるものです.そうなんですが,もっと原始的に初心に返って,声に出して読んでみれば良いのです.ル・グロ・ゼレファン.なんだ,ただのリエゾンか〜と.このお話では歌が出てきて,その歌詞に« C'était un gros éléphant, z'éléphant, z'éléphant...»とあります.要するに,最初のgros éléphantの部分で,リエゾンでzの音が出てきているので,それをリフでそのまま繰り返し,表記しようがないので,z'とつけたというわけです.意味は「でっかい象」.でっかいゾー.

 今回ニコラが文法で8番の成績を取ったと報告すると,パパは大喜びで,帰りにご褒美を買ってきてくれることになりました.

 この冒頭を読んでいて,つらつらと,あぁ今とだいぶ変わったんだなぁと思いました.それは子どもが学校で良い成績をとったことに親が狂喜乱舞するのかとか,8番くらいで当時は喜んだのかとかではなく,パパがニコラの話を聞いて,「今晩,ご褒美をもって帰ってきてやるゾ」と言ったからなのです.パパがニコラに直接「言った」とすれば,二人は一緒にいたのです.それも「今晩」とありますから,パパはこれから会社に行くので,今は朝か昼です.8番を取ったことを報告しているので,きっとそれは午前中の出来事だったのでしょう.するとニコラもパパもお昼に帰って一緒に食事をしていたと考えられます.私の家庭ではそんなことは絶対にありませんでしたし,そもそも大体いつも給食がありました.給食があったということは,お昼を家で食べることもなく,また帰れるほど学校や職場が近くにないということでしょう.単なる,過ぎ去った習慣のことかもしれませんが,何か,私の小さい頃の生活とは全然違う前提で,お話が構成されているのが感じられました.でも,相変わらず,『プチ・ニコラ』は楽しめるんですけどね.

 ニコラは前から欲しかった「ヘッドライトが点滅する赤い自動車」を期待していたのですが,パパはそれには「薄っぺらすぎる」ものを持ち帰ります.これが« Le Gros Éléphant »のシングル・レコードだったのです.おぉ!羨ましい!!!と思わず身を乗り出してイラストを眺めたのは,きっと私だけで,今の人はレコード自体に萌えないでしょう.それに恐らくはプレーヤーももっていないのでは.1990年代の一時期なんて,レコード,何それ?,食べられるの的な感じでしたし.イラスト1/4です.



 簡易式のレコード・プレーヤーで,スピーカー内蔵型のようです.吹き出しはスピーカーからの音を拾っています.あんまり音は良くないですが,最初はこれで十分.私が中学生の時に買ったのもこんな感じでした.ニコニコしながら,ニコラが聞き入っています.床にはジャケットが立てかけられています.ほとんど一筆書きのように,線を縦横に這わせただけのようですが,一目で象とわかるのが心憎い.

 本話の題名に戻って,レコードの題名と比べてみてください.レコードの方は正式な綴りのフランス語です.それなのになぜ,本話の題名にはz'éléphantとしたのでしょうか.

 プレゼントが予想と異なっていても,ニコラは即座に「すっごく嬉しくて,自慢できるよ」と思ったそうです.「僕だけのレコードなんて,初めてだ!」.ママンもわざわざ台所から出てきて一緒に喜びます.パパも冥利に尽きるというものです.

 と,ここまでならごく幸せな家庭の一コマですが,『プチ・ニコラ』ですから,そんなに幸せに終わるわけがない.それにそうだったら,ここでお話終わってしまうし.どうせ,パパが良かれとしたことでしっぺ返しを食うといういつものやつでしょ?との予想はズバリそのもの.もう予想がつきますよね.あの,ラッパを買ってあげた(123)のパターンです.

 ニコラは大喜びでレコードを聴き始めますが,1回目には「もちろんだよ,僕のうさちゃん(mon lapin),聞くのに買ったんだからね.良いよ,僕がかけてやろう.」(p.346)と上機嫌のパパも,3回目をかけてアルセストに聴かせたいというニコラには,「う〜ん,しかたないなぁ.どうしてもっていうならな」と答え,夕食の直前の4回目には「ダメだよ,ニコラ.夕食の時間なんだから,レコードはそっとしておきなさい」と断ります.

 食事中はレコードはかけなくても,もうすっかり覚えてしまったニコラが大合唱.イラスト2/4です.


 「でっかい象,でっかいお鼻,バカでかい鼻,チンチン♪」ってな感じで,良い気なものです.パパはすでに眉間に皺を寄せて,顔をしかめています.ここでもう,我慢の限界.パパに怒鳴られます.「ニコラ!黙ってスープを食べなさい.」(p.348)

 デザートが終わると,ニコラはすぐにプレーヤーのほうへ.イラスト3/4です.


 パパと新聞と肘掛け椅子と.いつものくつろぎタイムですが,背後には,パパと肘掛け椅子をひっくるめたくらいの大きさの吹き出しに,やはり「でっかい象,でっかいお鼻・・・」が.

 こうしてやっぱり自分のプレゼントにパパは苦しめられることになります.でも,自業自得とはちょっと違うような.これだけ人に喜んでもらえるなんて,そうあることじゃないですし.

 ところで,さきほどの疑問に戻ると,本話の題名はz'éléphantと,わざわざ口語風にリエゾンを見えるようにしたんですね.パパの耳には,レコードの歌か,ニコラの声が食事の前も食事中もくつろぎタイムもずっと,リエゾンをした音で響いているからです.もううんざりというのも頷けます.

 イラスト4/4です.

 パパにしてみれば,家から象を追い出したい.そんな妄想が浮かんできてもしかたないでしょう.同情の余地,十分にありです.パパは「ピッチフォーク」というのでしょうか,熊手のようなものを左手に持ち,右手ではレコード・プレーヤーや,ちょうど同じ部屋に置いてあった調度を片っ端から投げつけて,象を追い出しています.象の体躯の方が家のドアより大きいとか,細かいことはいいっこなしです.そんな妄想を抱くパパの顔は深刻そのもの.両手をポケットに入れ,思い詰めた様子です.

 結局,レコードをかけさせてもらえないニコラは大泣き,ママンが出てきてパパとケンカ,パパがママンを慰めて仲直り.寝る前にもう2度ばかりディスクをかけて,みんなで大合唱して一件落着です.

 と,ここまでならいつものパターンなのですが,「翌日の夜」,つまり文字通りの後日談がありました.次の日の夜,パパが会社から帰ってくると,ニコラは居間の絨毯に寝そべって,絵本を読んでいました.それでパパがレコードは聴かないのかと聞くと,ニコラは日中に3回も聞いたから,「象たちには飽き飽きしちゃった」(p.351)と答えます.「象たち」(leurs éléphants)と複数形になっているのが重要です.3回も聞いて,何十匹も象が登場していたからでしょう.しかしこれを聞いたパパが顔を真っ赤にして怒りだします.


「今時のガキどもったら,お前らみんな同じだ!せっかく良いものを貰っても,次の日には飽きちゃうんだ.喜ばせようなんて,もう懲り懲りだ!」(p.351)


 あれっ?うんざりしていたんじゃなかったの,パパ?大人は身勝手です.それはともかく,最後の「喜ばせようなんて,もう懲り懲りだ!」はフランス語では,« C'est à vous dégoûter d'essayer de vous faire plaisir ! ».dégoûterという単語は,どう訳したらしっくりくるかと,辞書を何冊かみてみました.通常ですと,この語の意味としては「〜に嫌悪感を抱かせる,〜をうんざりさせる」などがすぐに見つかります.ですから,ここでも,「お前らガキどもを喜ばせようとするのは,お前らをうんざりさせることだ」,つまり,「喜ばせようとしても,お前らはすぐにうんざりしてしまうんだ」と訳せます.それでまずまず,まぁ,こんなものかと思ったのですが,白水社の『Le Dico』という辞書では,ここの用法と全く同じ« C'est à vous dégoûter de qn/qch »が慣用表現として掲載されていました.「とても...する気にならない,...はもうこりごりだ」.すごい!例文として,


Tous ces scandales, c'est à vous dégoûter de lire le journal.「こうスキャンダルが続くと新聞を読むのが嫌になる.」(第2版, p.426)


とあります.上で書いたようにdégoûterは「〜をうんざりさせる」というのが元々の意味ですから,文字通り当てはめると「お前らをうんざりさせる」となりそうですが,日本語の主語を「私」として「〜する気にならない,〜が嫌になる」と言い換えたら,すっと理解できます.なかなか,こんな訳はできるようになりません.少なくとも,訳の苦手な私は,ですが.

 脱線しましたが,お話+イラストに戻ると,上のイラスト4/4はもしかしたら,頭の中が象でいっぱいになり,うんざりして追い払おうとしたパパの図・・・ではないのかもしれません.そうではなく,ニコラ,あるいは「今時のガキども」にすぐに飽きられてしまったのをみて,昨晩,妄想とはいえ追っ払おうとしたのは可哀想だったかも,と反省しているようにも見えるのです.そう思ってみると,ともかくも複雑な顔をしています.「もう,ここから出てけー!」だったと思っていましたが,もしかしたら,「俺が追い出してしまったがために,・・・〔奴らからもじゃけんに扱われて〕・・・」とか,それとも,「昨日はあんな風に追い出してしまったが・・・〔ちょっとかわいそうだったかなぁ〕・・・」とか,かも.

 イラストも置き場所によって,見え方が違ってくるものです.


閲覧数:4回0件のコメント

Comments


bottom of page