« Sylvestre », HIPN, vol.1, pp.330-335.
「シルヴェストル」は,ママンの友だちマルセランさんの子どもの名前です.マルセランさんは久しぶりにママンに会いに来ます.なぜ久しぶりかというと,
マルセランさんは近所に住んでいるんだけど,しばらく会わなかった.マルセランさんは病院に赤ちゃんを迎えに行っていたらしい.(p.331)
「迎えに行っていた」を「迎えに行った」ととってはいけないでしょう.おそらくここでは,ニコラが子どもが生まれる仕組みを知らず,パパとママンから「迎えに行っている」と聞いていたので,病院に取りに行っていたと勘違いしているのだと思います.つまり病院では赤ん坊を配布していて,もらいに行ったのだと.「しばらく会わなかった」のは,ですから,実際にはマルセランさんが出産のために入院していたためです.是非とも,ニコラの子どもらしい発想を読み取りたいものです.
さて,ニコラは折角の木曜日の休みの日で,友だちといつもの空き地で遊ぶ約束をしています.しかも誰かが空き地に「箱を何箱も」捨てていったらしく,それを使って「バスか電車を作ろう,そうしたら面白いじゃん」と話をしていました.しかし,ママンはそれを無下に却下.どうしても行かせてくれません.しかも,ママンのお友だちのマルセラン夫人が子どもを連れて来るので,お相手をしろと.ニコラが泣いても喚いても無駄です.
イラスト1/2です.ニコラは左手で乳母車を揺すり,マルセランさんの子どもであるシルヴェストル君をあやしながら,顔は不機嫌そう.だって頭の中は,いつもの空き地で泥だらけになりながら遊ぶイメージですから.「箱」が描かれないのは玉に瑕かも.オチに関わりますし.
それはともかく,今回ママンの発言はことごとく的外れというか,否定されます.例を挙げると.
「まぁ可愛い女の子ね.」と,ママンが言ったんだ.
「男の子よ.」と,マルセランさんが返した.「シルヴェストルというの.」
「そ,そうよね,もちろん.あなたそっくりじゃない.」
「あら,そう思う?義母はね,どちらかというと夫に似てるですって.確かにジョルジュみたいに青い目をしてるしね.だって私の目は栗色じゃない.」
「で,でも,目の色って時間が経てば変わるものよ.よく栗色になるのよ.それにあなたと顔つきがそっくり!」(p.331)
最後の「顔つき」については,後にニコラが「マルセランさんには似てないと思った.でも,口の脇に泡をつけているからね.なんとも言えないよ.」(p.333)と,否定しています.これはもしかしたら,ママンとおしゃべりの止まらないマルセランさんも,「泡」を出しているという観察に基づいているのかもしれません.それならすごい皮肉です.「なんとも言えないよ」(c'était difficile à dire),つまり,似てないって思ったけど,「泡」が出ているから,「そう(=似てない)断言するのは難しい」.つまり,似ているって言いたいのか?!?
話をママンの発言に戻しますが,ニコラが赤ちゃんを見ようとすると制止しますが,マルセランさんに否定され(「見せてあげましょうよ.」),ニコラがペタンクを始めれば心配しますが,それもマルセランさんからダメ出しをくらいます(「ニコラちゃんは気をつけてくれるわよ.」).よくママン怒らなかったなぁ.
ところで,乳母車に手をかけて赤ちゃんを見ようとした時の記述が↓です.
僕は赤ちゃんを見ようと近づいた.乳母車がすっごく高かったから,つま先で立たなきゃならなかったんだ.でも,そうしても,よくは見えなかったんだよ.
そのとき急にママンが叫んだ.「触っちゃダメよ!」(p.331)
でも,イラスト1/2を見る限りでは,つま先立ちの必要,あります〜?イラストの2/2を見ても同様の疑問が浮かびます.
結局ママンたちが家に入っておしゃべりしている間,ニコラはシルヴェストル君と二人きりになります.「僕は乳母車に近づいて,端に手をかけてもう一度シルヴェストルを見ようとしたんだ.そうしたらシルヴェストルは目を大きく見開いて僕を見たかと思うと,泡を引っ込めて,口を開けて泣き始めた.」(p.334)
もちろん,ママンたちはびっくりして出てきます.ママンがニコラに「何をしたの!」と,怒りますが,もちろんこれもマルセランさんによって否定されます.ダメ出しばっかり.ママン,立つ瀬なし.
帰り際にマルセランさんはニコラに「ニコラちゃん,あなたのママンにシルヴェストルのような弟を買って欲しくな〜い?」(p.335)と,質問します.するとニコラは「もちろんだよ.そうだったらいいな〜.」と,答えます.それでママンとマルセランさんは声を上げて笑い,みんなお別れします.
ママンとマルセランさんが笑ったのは,こんなにかわいい「弟」が欲しいでしょう?というのと,子どもを「買って」欲しいでしょう?という質問にニコラが「もちろん」と答えた様子が無邪気でかわいかったからでしょう.もちろん大人の解釈としてはそうなのでしょうが,ニコラには「もちろん」別の理由があったようなのです.だって,ママンが「弟」を買ってきたら,それに合わせて乳母車も買ってくれるでしょう?それで,空き地へ行けば,「すっごいバス」を作れるからなんです.
乳母車のタイヤと今空き地にある箱を使えば,みんなですっごいバスを作れるじゃないか!(p.335)
大人のジョークなんて面白くもなんともないし,弟を買って来るなんてナンセンスです.それに対して,ニコラの思考は冒頭から首尾一貫しているのです.さて,ママンたち大人とニコラ,どちらがより現実的でしょうか?
Comments