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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(107)

« Le cirque », HIPN, vol.1, pp.168-173.

 「サーカス」.各地を巡業していた時代ならいざ知らず,今ではあまり見かけなくなった印象があります.今では,なんて書くと,まるで私の子供の頃にはよくあったのかと思われるでしょうが,私は生まれも育ちも東京の真ん中の方だったので,サーカスに接する機会はありませんでした.大人になってからも,映画で見たり(フェリーニの『道』とか),お話で読んだり(エンデの『サーカス物語』とか),それからここ数年は私の住む岡山市の郊外に近いあたりでテントで興行がなされたりとか,そんなに身近に感ずることはありませんが,それでも何か,旧時代的な懐かしいものを目にするような気がしてしまいます.でも私が直接見たサーカスは,結構ハイテクを駆使して洗練されたものでしたが.それでサーカスに特に思い入れも,さほどの関心もないのですが,それでもやっぱり行くと楽しい.驚きがあります.ここ最近は,街中の映画館に行くのでもビクビクしているので,夢のまた夢になってしまいましたがね.

 「すっごいんだよ!木曜の午後に,クラス全員でサーカスに行ったんだ.」(p.168)とのっけからニコラは興奮しています.なんでも,サーカスの興行主がニコラの学校の1クラスだけ招待してくれたそうです.そりゃ嬉しいに決まってます.担任の先生だけはそうでもなさそうですが.


訳が分からなかったんだけど,担任の先生は今にも泣き出しそうな顔をしていたんだ.どうしてかな.先生が僕らの引率をしなくちゃだから,先生だって招待されているんだし.(p.168)


 ご招待は誰だって嬉しい.ニコラはそう考えています.だから,何で担任の先生が泣きそうな顔をしているのか分からない.仲間はずれにされたわけでもないのに.先生だって招待されているんだよ,と.まさにそこ.先生も普通のご招待なら嬉しいんです.ニコラたちを連れてゆくのでなければ.

 今回イラストは2枚.もちろん,一見してサーカスと分かるようなイラストです.なのですが,文章の方では,中に入ってからのサーカスの説明はジョアキムが魔術師(おっと,魔術師と手品師という呼び名についてもウードとアニャンの間で一悶着ありました)に呼ばれて舞台に上がったことと,猛獣使いがライオンとトラの口に頭を入れたことばかり.後はもちろん,いつもの悪意ない子どもたちが引き起こす揉め事の観察です.毎度のことですが.

 まずは2枚目の魔術師とジョアキムの図です.観客の一人が箱に入って,消えて,また戻ってくるというアレです.


 生徒たちに翻弄されていたせいか,担任の先生は何故か協力を申し出て勝手に舞台に上がったジョアキムを来週の木曜日の登校(居残り)の罰を与えます.それにしても見ものは担任の先生の狼狽ぶり.もう,これは!というほど,うろたえています.原因はもちろん,ニコラたちなんですが.例えば,ジョアキムが先生の許可なく舞台に上がったときのこと.


ジョアキムは舞台に立って,魔術師の横にいた.魔術師が「素晴らしい!この小さな男の子の勇気を讃えようではありませんか!」と言ったんだ.先生はすっくと立ち上がって,大きな声で,「ジョアキム!戻ってらっしゃい.すぐにです!と叫んだ.(p.171)


 もう舞台に上がっちゃったんだし,いいじゃないですか?それに,別にただのマジックですから,ほんとうに消えちゃうわけでもあるまいし.以前に読んだジャン・コクトーの小説では,こうした手品を経験した子どもは,経験前と別人になってしまうと書かれていましたし(『大胯びらき』),私もそう思いますが.とはいえ,他方でやっぱりただのマジックなんです.それなのに先生の慌てぶりったら.


魔術師はジョアキムを箱の中に入らせ,蓋を閉めてから,「ホイ!」っと言って箱を開けると,ジョアキムはもう箱の中にはいなかった.「きゃあーーーーー!」と先生が叫んだ.(p.171)


 先生,面白すぎます.もうハマりすぎ.後ろの座席では今回のお話の盛り上げ役である「男性」が「魔術師があんたらのクラスごとまとめて箱に入れてくれたら良いのにな」とクールなツッコミをして,ケンカの種を蒔いています.

 つまり今回は,ニコラたちに翻弄される担任の先生が主役というわけです.それで1枚目のイラストを見ましょう.


 先生,ほぼ真ん中に位置しています.いつものようにガキどもがウヨウヨ,あちらこちら走り回り,一向に整列する様子が伺えません.先生は声を枯らして,呼びかけています.右の方で大きな口を開けた子どもが手にしているのが「わたあめ」.フランス語では「パパの口髭」を意味する,barbe à papaと呼ばれるお菓子です.このわたあめをめぐるいざこざだけで2ページ以上になりますから,相当ゴタゴタしたわけです.でも,このイラストには,そんな先生のシワを増やす苦労ばかりが描かれているわけではありません.先生の背後で,大きなライオンが2頭います.檻の中には猛獣使いのおじさんがいます.この絵だけ見て,おじさんがどんな様子か考えてみると面白いかも.おじさんは,左手を顎に当て,先生の様子を観察し,何やら感心しているようです.騒々しい子どもたちとは対照的に,檻の中のライオンは眠っているかのように大人しい.いい子たちです.おじさんと先生が前と後ろでほぼ同じ姿勢をしているのですが,先生の方がやや前傾姿勢であるようです.なぜより前に傾いているかといえば,きっと必死になって生徒に注意をしているからではないでしょうか.おじさんが相手にすべき動物は全然獰猛な獣(猛獣)じゃないのです. そしてまさにこれがお話全体のオチなんです.エンディングを見てみましょう.ニコラたちのテンションが上がってきて,段々と手に負えなくなった先生はいよいよ途中で帰ることにしました.


僕らが送迎バスに乗るところで,猛獣使いのおじさんが先生の方にやって来た.

「私はライオンたちに芸をさせている間じゅう,あなたをみていました.それでね,大変感心しまして.あなたのようなお仕事をこなす勇気は私にはまるでありません.」(p.173)


 すると,子どもたちは手に負えない猛獣で,先生は猛獣使い?やっぱり先生はすごい.


 イラスト1は明らかにサーカス小屋に入る前の外の風景で,「芸をさせている間」に観察していたという言葉とは矛盾しますが,それもいつものニヤミスで,大切なのは,猛獣使いのおじさんが猛獣使いの先生に感心している様子を伝えることなんです.




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