« Un souvenir qu'on va chérir » dans Sempé-Goscinny, Le Petit Nicolas, Editions Denoël, 1960(< folio >, 2011).
−以下の引用文と挿絵は全てこの書から.
「今朝,ぼくらはみんな,ワクワクしながら学校にきたんだ.クラスの集合写真をとるんからなんだ.そうしたら一生大切な記念になるって先生が言うんだよ.それに,ちゃんとした格好をして,髪もとかして来るんですよって.・・・」こんな始まりのお話です.
題名は直訳すると,「これから大切にすることになる想い出」.今は興味がなくても,写真を撮っておけば,大きくなってからも「一生」懐かしく想い出せる.ですから,クラスの集合写真は一生の大切な記念になるはず,でした...
この話には3枚の挿絵がついています.しかし,お話を読んだ人はすぐに気がつくことですが,その3枚とも,私たちが文章を読んで理解する内容とは少しずつ異なるのです.
まずは,①記念撮影のためにみんなが集合する場面.集まってはいるのですが,そこはニコラのクラスメートたちのこと,やんちゃというか,みんなバラバラでふざけ合っています.左端では喧嘩,右端では小突き合い,おしゃべりに悪ふざけ.先生の目を盗んで脱走しかけている子までいます.ごちゃごちゃ,なかなか整列できない様子がよく表れています.
先生は遅れてきた子に,早く来て座るように呼びかけているのでしょうか.遅れてきた子,名前は書いてありませんが,『プチ・ニコラ』の読者ならすぐに分かります.いつでも何か食べているアルセストです.
写真機を覗いている子もいます.みんな揃わず,撮影がなかなか始まらないので退屈して,好奇心からカメラを見にきているのでしょうか.
写真家のおじさんは,きっとこんな場面は慣れっこなんでしょうね.木に手をかけて,先生が子供たちをしずめ整列させるのを気長に待っています.準備万端,足まで組んで.
①
お話の方では最後に到着したのはニコラです.で,ニコラが着いたとき,先生はジョフロワを叱っている最中でした.
そして脱線.ニコラによる,いつもの友達紹介が入ります.「ジョフロワは・・・アニャンは・・・」
ここで文章に戻ると,先生がみんなを並ばせるのに苦労している姿が描かれます.いつものように,可哀想な先生はいうことを聞かないで騒いでばかりいる子供たちに,オロオロ,そして真っ赤になって怒っています.それを見た写真家のおじさんは,先生の苦労なんてどこ吹く風,「まぁまぁ落ち着いて,落ち着いて」,わたしゃ子供の扱いには慣れてますからな,なんて余裕かまします.
大人の思惑通りには行かず,偉そうにしゃしゃり出てくる上から目線の大人が恥をかく.写真家のおじさんの態度は,『プチ・ニコラ』の読者にはお馴染みのパターンを予想させるものです.
②ではなかなか撮影に入れない様子が,マンガのコマのように幾場面にも分けて描かれています.
②
写真家のおじさんが腰掛けて先生と子供たちのやりとりを眺めていたり,写真機に肘ついて騒ぎがおさまるのを待っていたり,いざ撮影と布を被ったところで横槍が入ったり,整列させようと指示したり.この②で描かれている場面は実はどれも,文章の方には出てきません.それでも,おじさんが退屈している様子,困っている様子,なかなか捗らない様子が4枚の挿絵から伝わってきませんか?
最後に③は,誰かのアルバムに貼られた記念写真です.今私たちはスマホかデジカメで撮影して,パソコンのフォルダ内に保管しておいて,見たい時にカチカチっとクリックするようになりましたから,写真を写真機で撮影し,ネガを紙に焼き付けアルバムに貼り,忘れないように日時と出来事を添えておく習慣はもう過去のものかもしれません.
そこで証拠写真があるのですから,兎にも角にも撮影は成功したことになりそうなものですが,終わりの文章を読めばそうではないことがわかります.
「でも,僕らが一生涯大切にするはずだった想い出は失敗しちゃったんだ.だって,写真家のおじさんはもういなかったんだ.何も言わずに,帰っちゃった.」
ですから,③は別の日の記念撮影ということになるでしょう.いずれにせよ,文章と挿絵がずれていて一致しないということがおわかりいただけると思います.
ところでこの③の写真には説明が添えられています.
「上段,左から右へ.マルタン(動いた),プロ,デュベダ,クシニョン,リュフュス,アルドベール,ウード,シャンピニャック,ルフェーヴル,トゥーサン,シャルリエ,サリゴー.
中列.ポル・ボジョジョフ,ジャク・ボジョジョフ,マルクー,ラフォンタン,ルブラン,デュボス,デルモン,ド・フォンタニェ,マルチノ,ジョフロワ,メプレ,ファロ,ラファジョン.
座席[前列].リニョン,ギュイヨ,アニバル,クルセフ,ベルジェス,先生,アニャン,ニコラ,ファリボル,グロジニ,ゴンザレス,ピシュネ,アルセスト,それからムシュヴァン(帰らされたところ)」
文章からは兄弟らしき二人,貴族みたいな名前,読者にはお馴染みの名前が読み取れます.おおかたは変な,というかかなり個性的な名前です.登場人物たちがおかしな名前をしていることについては,サンぺの証言が残っています.ゴシニはわざとそんな名前を生み出したのです.
さて,説明文には二人だけコメントが付いています.マルタンとムシュヴァン.動いたマルタンはピンボケ.騒いでいたからでしょう,先生に退場を命じられたムシュヴァンは右端で上半身だけ描かれています.説明文に登場する先生は識別できませんし,そもそもニコラも,アニャンも,ジョフロワも,ウードも,アルセストも顔では判別できません.
文章には登場しない写真.存在しないはずの写真.
それでも冒頭で先生がおっしゃったように,一生大切な記念になる写真の想い出が文章で表現されていると言えるのではないでしょうか.
こんな写真だからこそかえって,顔がよく見えてみんながちゃんと整列した写真よりも,良い想い出になりません?
③
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