Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.74-p.75.
「その名もニコラ」(Il s'appelle Nicolas)
『プチ・ニコラ』の題名のついた最初のイラストは,『ムスチーク』誌の1954年6月13日号に掲載されました.それが,↓こちら.
「いやはや,もう呑んでしまわれましたか.見事なコニャックでしょう?さあさあ,もう一杯,いかがです?」(p.74)
前回,「ニコラ」の名がワイン会社に由来するという種明かしがありました.それで,最初のイラストは,そんな由来への目くばせなんでしょうか?
ニコラのイラストは,未だ,後の,私たちがよく知るニコラとはだいぶ異なるようです.
「プチ・ニコラにはまだ,特徴らしきものは何もなかったね.他の子たちと同じように描いていたんだ.ただし,しましまのランニングシャツは着せたけどね.」(p.74)
つまり,この時点では,この後伝説的に有名になる「風になびく髪の毛,ブレザーにネクタイ」姿ではありません.これはゴシニが手伝い始めてからの姿だそうです.ママンを除く大人の登場人物も,一定したキャラではなかったといいます.
サンペは1955年9月までに34枚のイラストを残しています.その間に『ムスチーク』誌からマンガを描かないかと申し出がありました.
「マンガを描くだって?『思わず,顔が引きつってしまったよ.だってマンガは,うまくやれないジャンルだったし,どうもあんまり好きになれなかったからね.マンガはね,何もかもたった一枚のイラストで表現するユーモア・デッサンとは全然違うんだ.それで僕は,ルネ〔・ゴシニ〕にシナリオを書いてくれるよう頼んだ.「やってくれない?僕にはできそうもない」ってね.それでルネが「プチ・ニコラ」のシナリオを書き始めたんだ.』」(p.74)
こうしてサンペは友人のゴシニにお願いしたのです.そうなのですが,さてさてサンペはこの時点で,将来,「〔フランスで〕最も有名なシナリオライター」となる人物と共同作業を始めたなんて,果たして想像していたでしょうか.
いくらあまり興味のないマンガ形式とはいえ,差し当たりサンペには拒否権なんてものはありませんでした.
「マンガなんて,僕には全然,向いてなかったんだ.それなのに,僕は申し出を受けたんだ.だって僕は,『ムスチーク』誌と契約を交わしていなかったからね.それが人生で初めての契約だったんだよ.契約すれば,たぶんこのカツカツの生活からも,今住んでいるみすぼらしい女中部屋からも抜け出せると考えたんだ.」(id.)
サンペは1955年6月に契約書にサインをしてから,ヴァカンスに出かけます.のんびりお休み.逆に,仕事の提案を受けたゴシニの方は,生真面目だったんでしょうね,きっと,さっそく仕事に取り掛かったのです.
『ムスチーク』誌1955年9月18日号に掲載された,サンペによるマンガ版の予告.
「読者のみんなさん,
次ゴーからみなさん,毎週,サンペが絵にしてくれる僕の冒険を読んでくらさい.
プチ・ニコら」(p.75)
Comments