top of page

『「プチ・ニコラ」大全』(78)

  • 執筆者の写真: Yasushi Noro
    Yasushi Noro
  • 2 時間前
  • 読了時間: 5分

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p. 36-41.


「読者を笑わせるデッサン」


 デビューはしたけどデッサンが売れない,「困難な」時代のサンペのお話,続きです.今回はp. 36-41と5ページに渡り,とにもかくにも,さまざまな雑誌にデッサンを掲載して<いただいて>いたサンペの初期の仕事が紹介されています.

 新規開拓しては,編集者にデッサンを置いて帰り,後日取り戻しにくる.それでありとあらゆる雑誌社を回っていたようです.


「とてつもなく大変だったよ.続けるには,他のことは一切何もしないようにしなきゃならなかった.」(p. 36)


 それでも当時は新聞・雑誌がどんどん増えていた時代(そのほとんどが今は消えてなくなってしまっているのですが).イラストレーター(dessinateurs)とユーモア・デッサンにはたくさんの紙幅を割いて,仕事を提供してくれていました.サンペはその頃に,自分のスタイルを磨き,個性を出そうとユーモアの調子に磨きをかけていました.そんな中,1952年4月サンペは若いイラストレーターの登竜門となるカリゼ賞(le prix Carrizey)を受賞します.アルテール(Altère),ベリュス(Bellus),デュブー(Dubout),エフェル(Effel),ガッド(Gad),ギュス(Gus),ペイネ(Peynet)など,錚々たる審査員の面々を見れば,以降の活躍を十分に予想させる受賞であったと言えるでしょう.


アルテール(Altère):本ブログ(75)でも登場しましたが,実はこの名前のイラストレータについてはよくわかりません.そのうち調べがついたら紹介します.


ベリュス(Bellus):Jean Joseph Robert Bellus, dit Jean Bellus(1911-1967).1950年代に活躍したユーモア画家.France-Soirほか,多くの雑誌に風刺画を残している.「社会風刺イラスト」の第一人者とみなされている.映画化もされた(1963年 Clémentine chérie*)「クレマンチーヌ・シェリ」というキャラクターの原作者としても有名.

*何と!Youtubeで全部見れます!


デュブー(Dubout):Albert Dubout(1905-1976).シュールレアリストのフィリップ・スーポーに見出された.数多くの新聞・雑誌に投稿するばかりではなく,かなりの書籍の挿絵も担当している.パニョルの映画ポスターのイラストを見たことがある人もいるでしょう.


エフェル(Effel):François Lejeune, dit Jean Effel(1908-1982).本名のF.L.のアルファベ読み(エフ・エル)に由来する筆名.17,000点以上の作品を残している.ソ連,チェコとの文化交流にも積極的でレーニン平和賞を受賞している.


ガッド(Gad):おそらく,Claude Georges Gadoud(1905-1991)を指す.1930年代から60年代にかけて多数の商業用ポスターを制作している.


ギュス(Gus):Gustave Erlich, dit Gus(1911-1997).ポーランド出身.ストラスブールの装飾美術学校卒業.フランスのテレビ局であるアンテンヌ2(Anntenne 2)でニュースをイラストにして解説していたことでも知られている.小説家でもある.


ペイネ(Peynet):Raymond Peynet(1908-1999).日本でも「恋人たち(Les Amoureux)」で知られている. 私の住む岡山県の美作(みまさか)にもペイネ美術館が<あった>みたい.今は美作市作東美術館に改称?して,しかも休館中.やれやれ,箱物政策.


 サンペはまだ,現在知られる,場の雰囲気を伝えるような作品ではなく,主にギャグ,つまりショートなお笑い,ユーモアの作品を描いていたようです.本節の題名にもなっているように,「読者を笑わせる」デッサンです.未だ成長過程にあった「サンペ的」世界では当時の雑誌の調子を反映した,ちょっとやんちゃなデッサンで,大人向けに子供っぽいギャグを描いていました.後に第1作目となる,『単純なものなど何もない』(Rien n'est simple)の詩的な世界とはほど遠い作品群です.当時の一コマギャグでは騒々しい子どもたちの行列を,『Samedi-Soir』,『Noir-et Blanc』といった「パパ向け」の雑誌に登場させていました.『プチ・ニコラ』とニコラの仲間たちを予告するような絵ですが,お笑いとギャグ,無名の子どもたちを舞台に載せてはいても,中心となるような主人公が欠けていたのです.コマとコマを結びつけるようなスケッチや物語性にも.デッサンを入れた紙挟みを小脇に抱え,雑誌社を回るうちに,やがてサンペは人生の転換点となるような出会いをします.それについては次節で明かされるということでしょう.


「出版してくれるっていうから,本当にびっくりしたよう.まさに門戸が開かれた感じさ.それで絵でやっていこうって決心がついたんだ.絵がダメでも,どうせバイトならたくさんあるし,苦労はつきものだからって思ったんだよ.」(p. 36)


p.42には『プチ・ニコラ』に描かれるような子どもたちのイラストが4枚掲載されている.

「お宅のお子さんがうちのに言ってたのよ.ダンナさん,魔法みたいに不思議なお話をたくさんご存知で,子どもたちがすぐに眠ってしまうんだって?」(« Vos enfants ont dit aux miens que votre mari connaît des histoires merveilleuses pour les endormir... »)


p. 36 サンペの署名が入った最初のデッサン(『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙(1951年4月29日号)に掲載)


p. 37 官能を売りにしていた『ル・リール』誌(Le Rire)でもデビュー.(1952年1月〜7月のデッサンが紹介されています).ペイネ,デュブー,ベリュスらと合わせて掲載されている.

p. 38 三面記事の中でも,特に官能に焦点を当てた情報を掲載していた週刊誌『Radar』.1953年3月1日号のデッサン.

同ページ下部には週刊『Samedi-Soir』誌1959年10月の第266号からのデッサンが掲載されている(省略).

p. 39 「パリの主要週刊誌の中でも最もパリの雰囲気を持つ」(おそらく宣伝文句)『Ici Paris』誌.編集者にも記事の執筆者にも著名人はいない.本誌の主役はイラストレーターで,中にはその後名が知られるようになる人が含まれている.サンペの他,デュブー,ベリュス,テチュ,ジャック・フェザン(のちに『フィガロ』で大活躍),キラズ(Kiraz)(『Jours de France』に掲載された「パリの女性たち』(Les Parisiennes)が大ヒットする)が寄稿していた.


キラズ:Edmond Kirazian(1923-2020).アルメニア系,エジプト出身の風刺画家.1946年に渡仏.「パリジェンヌ(パリの女性たち」で知られる.


フェザンについては本ブログ「『プチ・ニコラ大全』(53)」などを参照.


テチュ(Tetsu):Roger Testu(1913-2008).ユーモア・デッサンで知られる.1955年カリゼ賞受賞.1964年グランヴィル・ブラック・ユーモア賞受賞.


p. 40 『France dimanche』誌に掲載されたサンペの作品(1959年10月,第510号).「イラスト入り週刊誌」を謳い文句とした『フランス・ディマンシュ』紙は,英語圏のタブロイド,すなわち大衆向けの娯楽・ゴシップ紙に触発された新聞で,当時は100万部の発行部数を誇った.


 
 
 

コメント


© 2018 par lui-même

contact : yas_edo[a]hotmail.com

bottom of page