『「プチ・ニコラ」大全』(77)
- Yasushi Noro
- 2 日前
- 読了時間: 4分
Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p. 32-35.
『大全』目次
ゴシニとサンペ 優等生と劣等生 .......................... 11
運命の交差 .......................... 33
友情 .......................... 55
『プチ・ニコラ』,最初の一歩 .......................... 67
超ナイスなクラスメートたち .........................119
『プチ・ニコラ』,雑誌『ピロット』でアステリクスと同時掲載 ........................159
『プチ・ニコラ』,フランス文学の古典になる .........................179
永遠のヒーロー .........................221
『プチ・ニコラ』刊行一覧 .........................241
『プチ・ニコラ』関連年表 .........................252
あれから彼らは・・・ .........................253
『プチ・ニコラ』書誌 .........................254
謝辞 .........................255
(目次には掲載されていませんが.図版一覧 .........................256)
今回から第二章に入ります.これまでは二人の作者の子ども時代の話でした.本章では二人が仕事を始めた頃の話となります.と,その前に,各章冒頭の前のページはいつものように,赤地に白文字で書かれた発言の抜粋が置かれています(p. 32).
「すごく大変だったね.デッサンを置かせてもらおうと思いつく限りの新聞社,雑誌社を駆け回ったよ.」(サンペ)
「デッサンの入った書類ケースを脇に抱えて,ドアからドアへ編集者を尋ねて回るのは,拷問のようでした.」(ゴシニ)
第二章:運命の交差
サンペがデッサンの仕事を始めたのは19歳のときのこと.ワインの仲買人であるジョヴェッティのところで働きながら,電話機を拝借して(私的流用!),雑誌社や新聞社に電話をかけまくっていました.そしてついに,大手の地方紙である『シュッド・ウェスト』での面会を取り付けます.こうして『シュッド・ウェスト』紙の経営陣の一人であるアンリ・アムルーが初期のサンペのデッサンを掲載することになります.当時のサンペの筆名は「ドロ」(Dro).「英語でデッサンを表すドロー(draw)*」をもじったネーミングです.
*英語のdrawは,実際には「引く,描く」を意味する動詞ですよね.日本語にも「線描画」を表す「ドローイング」という表現が入っています.
しかし『シュッド・ウェスト』での仕事は単発的なものに終わったようです.それでも,1951年4月には初めて実名「サンペ」の署名入りのデッサンが何枚か掲載されています.
その後サンペは,兵役のためにパリに上京します.到着してすぐに,同郷出身ですでに名の知られていたシャヴァルのもとを訪れました.シャヴァルは同郷の青年を励ますと同時に,惜しみない助言を与えてくれました.
「シャヴァルはたくさんの新聞社,雑誌社の連絡先を教えてくれたんだ.地下鉄の乗り継ぎ駅までね.僕は何度も間違えたよ.それでも二つの雑誌社にデッサンを渡してきた.受付に,だったけどね.デッサンを入れた書類ケースの上に,連絡先を書いておいた.ヴァンセンヌの兵営,とね.それから僕は午後の4時ごろに兵営に着いた.そしたら翌日の朝8時に呼び出しをくらってね.営倉入りだ.パリでは何でもかんでも驚くほど迅速だ*.」(p. 35)
*Sempé, catalogue de l'exposition réalisée à Caen, éd. Denoël, 1984.
それでもサンペ曰く,デビュー当時は「とてつもなく大変だった*」そうです.
*Sempé, Itinéraire d'un dessinateur d'humour, Marc Lecarpentier, éd. Martine Gossieaux, 2019.
サンペは20歳でクリスチーヌと結婚します.未だ兵役中でした.これがサンペの初婚で,クリスチーヌとは1956年にジャン−ニコラが生まれました.この名前と生年を聞いて,んん?と思った方もいるでしょうが,サンペによると,あの「ニコラ」とは無関係だそうです.サンペ夫妻は何度も引越しをしたそうです.あるときはパリ郊外のコロンブへ,次いで日払いの宿屋や,週借りの部屋などを転々とします.一時的に,モンマルトルのトゥールラク通りの小さなワンルーム(studio)で暮らしたことも.デッサンを売って家賃を払う.サンペはパリの隅々を移動していたのです.
宿から宿へ,彷徨い歩く中で,サンペはまた別の大物に会っています.
「フランスで最良のデッサンを書いたのは,シャヴァルとボスクだ.ボスクはほんのちょっとの題材でもって,最高におかしく厳密に知的な状況を完璧なまでに描き出していた.僕がボスクに会ったのは1953年,ラ・ペ通りでだった.彼が30歳くらいの頃だった.『サムディ−ソワール』誌にデッサンを届けたところだった.僕らはよく一緒にデッサンを届けに行った.大小さまざまな出版社にね.1枚受け取ってもらえると,僕らは,早く掲載されないかとそわそわしながら待つんだ.それで実際に掲載されたのをみると,一部カットされていたり,あんまり小さくされてしまってしまって,たいがい文字が読み取れなくなっていたものさ*.」(p. 35)
*Sempé, op.cit., catalogue.

筆名Droの署名入りデッサン(p. 35)
*
シャヴァル(Yvan Francis Le Louarn, dit Chaval, 1915-1968).ボルドー出身のユーモア画家 (dessinateur).1942年にボルドーの対独協力紙『ル・プログレ(Le Progrès)』に多くの半ユダヤ主義的なユーモア・カリカチュア(風刺)を掲載する.1953年に国際最優秀イラストレーター(dessinateur)賞を受賞.この頃から,複数の新聞,雑誌にデッサンを掲載している.ちなみに,シャヴァルの筆名は有名な「郵便配達シュヴァル」の誤記に因む.複数の短編映画の監督でもある.1968年にパリの自宅でガス自殺.
(2026年2月21日参照)
ボスク(Jean-Maurice Bosc, 1924-1973).フランス,ドイツ,イギリスではかなり認知されていたイラストレーター.3000枚以上のデッサンをフランス内外の雑誌等に掲載し,複数の画集を刊行している.
(2026年2月21日参照)



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