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『「プチ・ニコラ」大全』(75)

  • 執筆者の写真: Yasushi Noro
    Yasushi Noro
  • 3 時間前
  • 読了時間: 5分

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p. 28-29.


子どもの頃の読みもの


 2ページ見開きで,様々なマンガやほんの少しの小説の写真が掲載されています.コナン・ドイル,マルセル・エメ(エイメ),モリス・ルブラン,アルフォンス・アレ,ジェローム・ジェローム,ディズニーの『白雪姫と七人の小人』(すべてフランス語版)などと一緒に,レコードやミュージシャンやチャップリン(『黄金狂時代』),ローレルとハーディの写真,日本ではおそらくあまり知られていない『Zig et Puce』や『Le hérisson』,『ターザン』というマンガ(とアメコミ)が,とにかくゴタゴタと広げられています.どうやら,サンペとゴシニが子どもの頃に熱中した文学やマンガを紹介しているのですが,これらすべて,彼らの所有物,つまり原本かどうかはわかりません.でも,傾向は掴めそうです.で,その傾向は・・・ないでしょ!大衆文学・大衆文化,以上.な感じでしょうか.いいですよね,まさに1980年代のサブカル的な.むしろ,親近感が沸きます.

 それでは少し説明を読んでいきましょうか.


ゴシニ

「僕は12歳の時に,『ピエ・ニクレ』のアルバム一冊,セリフも絵もまるごとコピーしたんだ.」


 ゴシニはその他,『Zig et Puce』や,いわゆるアメコミの『Terry and the Pirates』,『Steve Canyon』,『Tarzan』,『Superman』,そしてラウル・トマンの『シャルロ』*を貪るように読んでいたそうです.

*Raoul Thomen(1876-1950):ベルギーのアントウェルペン生まれで,フランスで活動したマンガ家.『シャルロ』(Charlot)は,言わずと知れたチャップリンの愛称.チャップリンの映画,キャラクターに霊感を得た作品は世界各地で作られたが,フランスでは1921年から雑誌に掲載されたトマンの作品が大人気を博しシリーズ化されていた.


 初期のマンガが大人から危険視,白眼視されていたのはよく知られています.1970年生まれの私でさえ実体験として,マンガを図書館に入れることの是非を大の大人たちが真剣に議論していた,あるいは反対していたことを覚えています.1970〜80年代でさえ,なお!そうなのですが,本項の説明によると,そうしたマンガが誕生・普及する以前,「絵入りの本」が,比較的寛大に認められていた時代もあるようです.これは驚きですが,ともかくも,ゴシニの両親は自由に読ませてくれていたようです.そもそもゴシニのお父さんはバスター・キートンやチャップリン,ローレルとハーディといった無性時代のコメディや『ポパイ』などのマンガが好きであったため,ゴシニも自然とその趣味を受け継いだとのこと.いいなぁ.私の家とはだいぶ異なります.


「私はウォルト・ディズニーを尊敬している.ディズニーの作品を見て,子どもの頃からアニメを作りたくなったのだし,それに,この仕事をしたいと考えるようになったのも,ほとんど彼の作品のおかげなんだ.」


 マンガやアニメ,映画ばかりではありません.ゴシニはフランス語の書籍を扱う,ブエノスアイレスのセリート通り(la calle Cerrito)にある書店の本を買い漁っていたそうです.アルフレド・ジャリ,マルセル・エメ,フロベール,ユゴなどなど.そうなのですが,著者によると「将来の『プチ・ニコラ』の作者」に一番影響を与えたのは,バーナード・ショー,ジェローム・K・ジェローム,ベンチリー(Robert Benchley, 1889-1945),マーク・トゥエイン,O・ヘンリー,ジェームズ・サーバー(James Thurber, 1894-1961)など,英語圏の作家でした.


サンペ


 学校よりもラジオと雑誌から多くを学んだというサンペ.自宅に本がなくて,買うお金もない.手当たり次第,読んでいたとのこと.


「僕はどこでも至るところ探し歩いた.ある時,『イリュストラシオン』(絵入り新聞)を綴じた本に出くわした.それでドレフュス事件に夢中になってね.僕は叛逆の徒だったんだ.」


 さらに,お母さんの友だちが定期購読していた『Nous Deux』*のような雑誌まで読んでいました.

*1947年創刊,ロマンフォト(写真物語)で有名な女性向け週刊誌.


「手に入ったものはなんでも読んでいたよ.以前に女性向け雑誌『コンフィダンス』**で,読者の手紙を読んだことがある.その女性は息子が上手にフランス語を綴れるようになるにはどうすればいいのかと質問していた.その回答は,広告でも薬の注意書きでも,とにかく何でもいいから読めるものは何でも読ませなさいって.僕は何が何でも綴り字に強くなりたかったんだ.自分の惨めな境遇から出たいという強迫観念にいつでも取り憑かれていたからね.それでその回答を文字通り実践したってわけさ.そしたらいつしか絶対に間違いをしなくなったんだ.(省略)12歳くらいだったかな,アルセーヌ・リュパン(ルパン)に出会ったんだ.たぶん,友だちの家だったと思うよ.それで小説にハマったんだ.小説ってやつはさポケットに入れて持ち運べるし,途中でやめて少し拾い読みして,また出歩くなんてできたからね.常に持って歩くってのが気に入っていたんだ.コナン・ドイルも大好きだったよ.少ししてから,スタンダール,バルザック,モーパッサンなんかすべてを同伴してね.」

**1938年創刊の女性向け週刊誌.1986年廃刊.AIさんによると,「恋愛・人生物語中心の大衆雑誌」(2026年1月31日(土)検索)だそうです.


 サンペがユーモア・デッサンに出会うのはもう少しあとだったそうですが,それでも,『Le Hérisson』***(ハリネズミの意)や『シュッド・ウェスト』(フランス南西部で刊行されている日刊紙)を読んでいたために,そこに掲載されていたベリュス(Jean Joseph Robert Bellus, 1911-1967),アルテール(Altère),シャヴァル(Chaval, 1915-1968)などのユーモア作品や風刺画には触れていたでしょう.

***1936年創刊のユーモア,風刺,イラストを掲載していた週刊誌.合併,廃刊を経て,2015年からデジタル版として復活.(とのこと.AIさん,有難う)


p. 29より


 
 
 

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