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『「プチ・ニコラ」大全』(63)

  • 執筆者の写真: Yasushi Noro
    Yasushi Noro
  • 4 分前
  • 読了時間: 6分

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.220-239.

『大全』第8章

永遠のヒーロー .........................220

第8章第1節「お宝,再発見」(Un trésor retrouvé) p. 220-227


いよいよ本書の最終章に入ります.例によって,前章と本章の間に,作者の言葉の引用が置かれています.前章がゴシニの冒険の終わりについての章だったからでしょうか,本章の前の言葉はサンペの言葉です.


p. 220

「『プチ・ニコラ』の住む世界(l'univers)は理想の世界(un monde)だ.誰もが夢見るような子どもたちの世界を見事に作り上げたのはゴシニの才能なんだ.ニコラの生活には惨事など決してありえない.」(p. 220)


 そしてこの言葉の下のイラストでは,ニコラたち,あるいは複数のニコラが,みな嬉しそうな顔をして走っています.「誰もが夢見るような子どもたちの世界」では,憂い顔をした子がいるとしても(そりゃ,子どもだって子どもの悩みがあります.ジョアキムだって,ニコラだって「憂うつ」を持つのですから),それでも惨事と言わざるをえないような深刻な出来事は決してないのです.それこそが子どもの世界だから.たとえそれが「理想」であったとしても.ちなみに「理想の」の原語はidéal.つまり,idée「頭の中の考え,像」で,もう少し難しくいえば「観念」で,通常は「現実」との比較で用いられる語です.要するに,われわれが暮らしている現実世界ではなくて,頭の中で,もっといえば,「夢」で「見るような」,現実にはない世界という意味です.そんな世界の住人だからこそ,本章の題名のように「永遠のヒーロー」となるのでしょうか.永遠に理想の世界に生き,理想の状態を保つ子ども.そんな大人の妄想とも願望とも言えるような像を二人は作り上げたんだなと深読みしておきましょう.



p. 221-227

「お宝,再発見」とくると,『プチ・ニコラ』の出版の経緯を知っている人なら,おそらくもう内容が想像できますよね.況や,前章の最後でゴシニの死によって,二人の作者の協働作業の再開が望めなくなったことに触れられていましたから.

 要するに1964年に単行本第5巻が刊行されて以来,二人は『プチ・ニコラ』を離れ,それぞれの関心に従った活動をしていたのですが,ゴシニとしては第6巻を刊行すべく用意を始めていた.でも1977年11月5日にゴシニは亡くなってしまい,書籍化も協働作業もすべてが終わってしまった.ところが!「お宝」が「再発見」されるのです.「お宝」とは,『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙や『ピロット』に掲載されていながら,書籍に収録されていなかったお話の数々.それを,ゴシニの娘のアンヌ・ゴシニが偶然発見したのです.その経緯について,もう少し詳しくみてゆきましょう.

 『プチ・ニコラ』の新しいお話が出なくなってからも,ドノエル版,ガリマール社の<フォリオ>版,<ジュニア・フォリオ>版(Folio junior)を合わせて,30年の間常に,おおよそ年間25万冊の『プチ・ニコラ』が売れていたそうです.恒常的な人気に加えて,子ども世界へのノスタルジーが機能していたとは言えると思います.テレビ化,アニメ化,映像化などがなかったのに,この人気の持続は驚くべきことかもしれません.

 1999年,アンヌ・ゴシニ父親の書類を整理していて,「ハードカバーのフォルダー」に入った数十編のタイプ原稿を発見します.調べてみると,どのお話もドノエルから刊行されたどの既刊本にも含まれていないお話であることがわかりました.つまり,1959年から1964年に『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙に掲載されていながら,単行本に収録されていなかったお話です.「既刊の5冊には86話が収録されていたが,つまり残り126話は書籍では出版されていなかった.」(p. 222)アンヌさんはどのお話もまるで知らなかった,以前にも書きましたが,やはり雑誌や新聞などの媒体は束の間流通しても読み捨てられてしまう.家族さえ読んだことがなかったとは.書籍には別の使命があるというわけです.


「既刊のお話と同じくらいよくできたお話でなかったら,私はこの未収録のお話を表に出さなかったでしょう.」(Ibid.),とアンヌさん.


 そこで彼女はまず,ピエール・マルシャンという編集者に意見を求めます.ガリマールで働いていて,その後アシェットに移った編集者だそうです.原稿を読んで興奮したマルシャンさんは,サンペに打診しますが,元々の発行元であるドノエル社以外の刊行はダメといったそうです.サンペはアルバムの全てを同社から刊行していますから,気を使ったようです.

 4年後,アンヌさんは『プチ・ニコラ』だけではなく,父親の残した膨大な未刊行作品の刊行を目指して,出版社を立ち上げる決心をします.


「お父さんが一番力を入れていたのはニコラだと私は思う.お父さんは私に子ども時代を語る時間がなかった.そんな子ども時代を私に書いてくれているように想像しています.私は二人の子どもに恵まれましたが,二人に亡くなったお祖父さんのことをどうしても知ってほしいと思ったのです.」(Ibid.)


 アンヌさんはお話を刊行するために,当時の『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙に掲載されたイラストを集め始めました.そして書籍の原型を作り上げ,サンペに見せて書籍化の計画を話します.するとサンペは,今度は大賛成.サンペは長いこと,ゴシニ不在の状態でそれらのお話に手をつけることを躊躇っていたようですが,編集者ではなくゴシニの娘さん主導ということで心を動かされたようです.


サンペは語る.「ある日,僕は納得させられたんだ.僕は過去を呼び起こすのに以前からためらいを感じていた.それを押しのけたんだよ.それで,ダメなんて言うのはやめた.ダチのゴシニが死んだんだから,感動的だろ?僕は心を動かされている.逆に,これらのお話を再読したら,すごく面白いんだ.『プチ・ニコラ』のイラストでも貧弱なのはあるよ.でも,当時はできる限りの力を尽くしたんだ.文体に関していえば,僕はいつでも,ゴシニは作家だったと思っていた.これらのお話を読んでいて,確信したよ.でも,まるで僕ら,つまりゴシニと僕が作ったものではなかったようにこれらを眺めているんだ.」(p. 223)


 サンペは新しく描き直す必要はないと感じたそうです.今の技術で当時の新聞からかなり精度の高いイラストを復元できることがわかり,胸を撫で下ろしたそう.


「もし僕が今イラストを描くなら,自分を風刺すると思うね.自分で自分のスタイルを真似してね.もっと上手く描くだろうけど,よくはならないね.」(Ibid.)


 サンペの同意も得られ,さぁ,書籍化へ向けての作業が始まりました.「ゴシニの編集方針」を探りながら・・・だそうです(個人的には,ここで発表年代順を採用して欲しかった!)(続く)

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