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執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(6)

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.82-p.83.


「ゴシニのシナリオ」(Scénario Goscinny)

 今日はゴシニのシナリオのお話です.

 几帳面なゴシニは誰と仕事をするのでも,常に同じやり方を採用していたそうです.特に変わった秘訣があったというのではありません.まず道具は,アメリカから持ち帰った,愛用のタイプライター一台.ロイヤル・キーストーン・モデル,Qwerty配列,携帯用なので移動可能.本書p.133に,そのものズバリゴシニの愛機が掲載されていますので,そちらから転載.



ゴシニの愛用タイプライター(p.133)



 タイプライターについては何も知らないもので,すぐに検索にかけて探して,おそらく同じモデルだろうと思われるものを発見しました.これ↓です.



 調べていてよくわからないのが,これが1904年にニューヨークのブルックリンに店舗を構えたロイヤル社の製品なのか,それともペンシルヴァニア州のキーストーン・タイプライター社の製品なのかということ.でも↑のサイトでは,確かに製品名がロイヤル・キーストーンとされていますし,本書の説明でも「ロイヤル・キーストーン・モデル」(modèle Royal Keystone)となっています.でも,後ろの表示では,この型では« Royal Typewriter CO. INK. N.Y.»となっているようなので,ロイヤル社製ではないのかなぁ・・・.


 ゴシニはタイプライターの前に陣取ると,それはそれは見事にタイプを打ったとのことです.


サンペ:「実際,僕らはそれぞれの場所で別々に仕事をしていた.僕はタイプライターで打たれた,修正の一切ない原稿を受け取っていたよ.」(p.132)



 パソコンあるいは,ワープロ・ソフトを使い慣れた今の人には,ちょっとの説明と想像力が必要でしょう.まず,タイプライターでは,ワープロのように書き直しができません.物理的にできないのです.それで修正するには修正液を使ったり,文字の上に線を引いたり(見え消し)して,間違いを表示するしかありません.もちろん,すぐに誤りに気づけば,単語を打ち直すこともできますが,前の単語が消えるわけではありません.ですから,基本的にタイプライターでは間違ってはいけないのです.

 ゴシニは「キーボードの達人」で,それこそ「理解し難いようなスピード」で原稿を仕上げていったそうです.おまけに「修正が一切ない」だなんて.本当に驚異的としか言いようがありません.

 1955年の夏,つまり前回(4)の,サンペのヴァカンスの時期ですが,ゴシニはシャンゼリゼ通りのすぐそばの,ピエール・プルミエ・ドゥ・セルビ(Pierre-1er-de-Serbie)通りの部屋で,独りタイプに向き合い,原稿を仕上げていったそうです.


「ゴシニは,カーボン紙と薄葉紙〔オニオンスキン紙とも〕が重ねた用紙一枚をタイプライターに挿入します.それはイラストレーターに送るのに,タイプ原稿の複写を保存するためなのです.」(p.82)


 天才的なタイピストであるばかりか,本当に気のつく,細やかな配慮のできる人だったのでしょう.

 ゴシニの「タイプ原稿」(tapuscrit*)は次のようなものでした.

*tapuscritは『Le Dico 現代フランス語辞典』では「ワープロ原稿」という訳語しか見当たりませんが,当たり前のことながら,ワープロのない時代であったことを勘案する必要があります.



『プチ・ニコラの冒険』の最初の原稿用に書かれたルネ・ゴシニのタイプ原稿(p.82)


 『プチ・ニコラ』用の原稿は常に同じ形式でタイプ打ちされていました.まず一枚を右と左の半分に分けて考えます(diviser en deux colonnes).左には,コマ毎にマンガのためのイラストの指示,右には吹き出しに挿入するセリフが書かれています.イラストを入れる原稿(planche)はどれも全てほぼ正方形の12コマで作成されるので,それに合わせて1コマ目(case 1),2コマ目・・・と分けられているのです.こうして,マンガ版『プチ・ニコラ』の文字部分(textes),そして物語(展開)の全体はゴシニによるものということになります.

 一例を挙げましょう.1コマ目の指示と会話です.


(左)1コマ目 ニコラの両親に暇を告げるご婦人がいる.去り際に婦人はニコラに大きな箱をプレゼントする.

(右)婦人:「それでね,これはあなたへのプレゼントよ.ニコラちゃん.」

ニコラ:「わーい,ありがとう,おばさん.」

父親:「こんなにまでしていただかなくてもよかったですのに・・・」


(左)2コマ目 前景.ニコラが興奮して箱の包装を破る.箱から太鼓を取り出す.粋な太鼓だ.ニコラうっとり.逆に父親は恐縮する.

(右)ニコラ:「すごい!太鼓だ!」

父親:「太鼓ですって!?!こんなことまでしていただかなくても・・・」(p.82)


 ここで実際に刊行されたヴァージョン↓と比べてみましょう.1コマ目では,ニコラのセリフがなくなっています.代わりに,パパの言葉に「ニコラ,こんなときには何て言うんだっけ?」と,教育的配慮が付け加わっています.2コマ目で重要なのは,パパは中身がわかってから,恐縮した点です.文章でそう書いてありますが,パパの表情を見ればすぐにわかります.パパが「こんなことまでしていただかなくてもよかったですのに・・・」を二度繰り返しているのは,ちょっとくどいかも?ただ,中身が判明する前と後で同じセリフがくると,その意味内容が変わってくる.それに合わせて,表情も全然異なる.パパの現金さの表れかもしれません.


『ムスチーク』誌1955年9月25日号に掲載された『プチ・ニコラの冒険』の初回原稿(p.83より一部抜粋)


(マンガ版)

1コマ目

婦人:「それでね,これはあなたへのプレゼントよ.ニコラちゃん.」

父親:「こんなにまでしていただかなくてもよかったですのに・・・.こんなときには何ていうんだっけ?」


2コマ目

ニコラ:「キレイな太鼓をありがと,おばさん,っていうんだよ.」

父親:「太鼓ですって!?!こんなことまでしていただかなくても・・・」(p.82)


 サンペは物語は気に入っていたようです.それでも,12コマに同じイラストを描き続けるというマンガの必然というか制約には最後まで違和感を感じていました.


「僕はどうもうまく乗り切ることができなかったんだ.いつもいつも,同じイラストを繰り返し描くなんて,ね!」(p.82)


 違う姿勢の同じ人物,同じ装飾,同じ肘掛け椅子,複数のコマに登場する同じ空を書くのは,サンペには苦痛で仕方ない.シナリオに忠実であるのは,技術上必要な制約だったのですが,それは彼のイラストに対する姿勢とは,まさに正反対と言えるようなものだったのです.それに,他人が思い付いたイラストや物語を描かねばならなくなると,サンペ独自の想像力が発揮できません.


「あのままだと,僕は気が狂ってしまっていたよ.僕は元来,そんなに安定した人間じゃないんだ.だから,さらに,ね.ひどくなっていただろうね.マンガというジャンルが気詰まりだったんだ.」(p.82)


 さしあたりサンペは,ゴシニのプロに徹した仕事に鼓舞されて,なんとか仕事をこなしていました.ゴシニはといえば,この登場人物の子どもを面白がり,サンペにシナリオを提供していたのです(id.).


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