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『「プチ・ニコラ」大全』(5)

  • 執筆者の写真: Yasushi Noro
    Yasushi Noro
  • 2023年3月15日
  • 読了時間: 4分

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.76-p.81.


「サンペはヴァカンス中」(Sempé en vacances)

 さて,人生初の契約を交わしたサンペは,奥さんのクリスチーヌさんと一緒に,南仏でヴァカンスを過ごします.ヴェスパ(スクーター)をレンタルしてのんびりと.初契約ですからね.お祝いしなくっちゃ,な感じだったんでしょう.その間ゴシニはパリで,タイプライターの前から一歩も離れず,シナリオ執筆の仕事に追われています.そして,サンペに仕事を提供したブリュッセルの『ムスチーク』誌編集部の面々も,連載開始に備えてすでに大わらわ.三者三様の9月を過ごしているのですが,この間の事情を伝えてくれる手紙が残されています.

 まずは9月5日にサンペはゴシニに,長文の手紙を送ります.その内容ときたら・・・1.財布を紛失,2.失くした財布の内容一覧,3.今現在レンタルしているヴェスパの代用車,4.車の登録証を紛失.それも(どういうわけか?)2枚も,5.滞在先のホテル・パルマの受付について(「パルマ」ホテルだけに,「パ・マル」(「悪くない」)のシャレつき,6.奥さんのクリスチーヌさんが転んだこと,7.ヴェスパでサン-ポル-ドゥ−ヴァンスを散策,途中でヴェスパが故障した,8.友人たちと近くを散策,9.(これが結論です)「お仕事,がんばって!」.5頁にもわたって,これらが書き連ねてあったそうです.

 普通なら,これはかなりムカつきます.でも,フランス人にとってヴァカンスは命より大切ですから,仕方ありません.それに,ゴシニは気にもしていないようです.人格者だわ.

 ゴシニは9月9日に,パリから返信を認めています.ゴシニはまず冒頭で,サンペの一連の災難に同情してから,本題に入ります.どうやらこの間,ゴシニはブリュッセルの編集部と何度もやりとりをしていたようなのです.それによると,サンペはヴァカンス前に編集部と進め方を決めており,最初の数回分はすでに提出していました.ところが写真製版を(6週間前までに)作成する関係で,編集部では前もって続きを入手しておかねばなりません.編集者は大慌て.事情を把握したゴシニは非難するでもなく,冷静沈着,サンペに事情を説明し,「あと10日以内に2枚の原稿を編集部に渡してほしい」,と手紙に書いています.そうすれば,「残りのヴァカンスは放っておいてもらえる」から,と.そして,自分の書いたシナリオまで,わざわざ再度同封するという念の入りよう.どんだけ丁寧なんだ!?


1955年9月9日付のゴシニからサンペへの手紙(p.77)


 『大全』の説明では,このゴシニの手紙に対して,サンペは9日に「返信」しているようですが,パリから南仏まで1日で手紙が届くのでしょうか?それはともかく,整然とタイプされたゴシニの丁寧な手紙とは対照的な,手書きで不平と脱線満載のサンペの手紙が届きます.冒頭は,次の通り.


「クソッ,何てこった,クソッタレのバカやろう!」(« Putain de merde de nom de Dieu de con de merde ! », p.79)


1955年9月10日付,サンペからゴシニへの手紙(p.78)


 罵り文句から始まるサンペの手紙では,テーブルは小さいし,マンガ用原稿用紙はないし,どこそこでなきゃ買えないし・・・,とひとしきりぶつぶつ恨み節が続いた後に,編集者にあったら,「金槌を持って,何か落として,それでデュピュイ〔編集担当〕が屈んだら,おもいっきり殴ってやれ!ジョジョ親父ことトロワフォンテーヌ〔もう一人の編集担当〕にも同じように.」(id.)

 ゴシニは9月12日に返信をします.「デュピュイ氏とトロワフォンテーヌ氏にお目にかかるときには,君の指示通りにしましょう.金槌の代金も,出版社の経費で落としてもらうから.」(p.76),と,もう,ユーモアまでお上品です.

 とまれ,こうした哀願(編集部),そして激しく(サンペ)沈着な(ゴシニ)やりとりの後,『ムスチーク』誌の9月25日号には無事初回の『プチ・ニコラ』が掲載されたのでした.


***


 掲載にあたり,ゴシニは「アゴスチーニ」(Agostini)という偽名を用います.一見してわかるように,Goscinnyの名前の文字を入れ替えたものです(アナグラムと言います).後のサンペの説明によると,


「僕がそう呼んでいたんだ.ゴシニの名前には,ちょっとコルシカとかイタリア風の響きがあると思っていたんだ.」(p.81)


 ゴシニ本人はこの名前を面白いと思ったそうです.でも,アゴスチーニという名前の人は結構いたようで,ユデルゾ(後にゴシニと『アステリクス』を共同執筆するマンガ家)によると,シャンゼリゼ通りにある行きつけのビストロで,「アゴスチーニ様,お電話です」と呼び出しがあると,その度にゴシニが立ち上がっていたと言います.

 他方で,ゴシニはこの当時,幾つもの偽名を用いていたそうです.ルネ・マケール,ルネ・マルデック,フランソワーズ,マルチーヌ,リリアーヌ・ドルセなどなど.偽名の使用は,編集者からの要望だったのか,ゴシニが雑誌ごとに使い分けねばならなかったのか,本当のところはわかりません.しかし,1956年に大きな出版社であるデュピュイ社を退職してからは,本名以外は用いなかったようです.今後,各界でその名を轟かせる作者「ゴシニ」の誕生です.


Sempé-Goscinny(Agostini), Le Petit Nicolas La Bande dessinée originale, IMAV éditions, 2017, p.7. (『本家本元 マンガ版プチ・ニコラ』(日本語未訳))

 
 
 

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