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  • 執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(38)

更新日:2023年6月21日

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.158-163.


 p.160からは新しい第3章「『ピロット』誌で,ニコラはアステリクスに合流」が始まりますが,やはり直前のp.159には作者の一言が掲載されています.


「自分だけが思わずクスッと笑ってしまうような人は痴れ者かか,はたまたとてつもない先駆者か.

 多くの人に笑ってもらえる人は仕事のプロだ.

 こんなに愉快な仕事は他にあるでしょうか?」(ゴシニ,『大全』(p.159))


 ほんとうにその通りだと思います.単に快楽原理に流れて,笑わせれば何でも良いなんて思いませんが,人を笑わせるには,テクニックが必要なのも確かです.理解できる言葉を用い,スッと相手の懐に入り,理解できるネタを持ち出して,それを少しズラしてやる.そうして,相手が決めつけ思い込んでいることを,ちょっと違う角度から見えるようにしてやる.それって,簡単にはできません.いわんや,笑わせる人が一人二人ではなく,「多くの人」だったら,尚更大変です.そりゃ,浅はかな笑いもあるかもしれませんが,モリエールの喜劇のように400年近く後の人も笑わせるなんて,それはそれは偉業としか言いようがありません.多くの人に,いつでも笑ってもらうにはどうすればいいか,なんて真剣な顔をして悩んでいるのなら,それはもう立派な仕事でしょう.本人,ちっとも愉快でなくても.良い言葉だと思います.


                    *


第5章「『ピロット』誌で,ニコラはアステリクスに合流」

「1959年,恵みの年」


「ゴシニにとって,1959年は神の恵みを受けた年である.この年,『プチ・ニコラ』は子ども向けのお話としてシリーズ化した.7ヶ月後の10月29日,『ピロット』の創刊号においてゴシニはアルベール・ユデルゾと一緒に,自らの兄弟ともいうべきゴール人アステリクスを作り出した.『ピロット』はマンガ(BD)に革命をもたらす新刊雑誌である.ルネ・ゴシニの手でマンガは第9芸術の域にまで高められる.」(p.161)

*マンガはBande dessinée,通称BD(「ベーデー」)の訳としておきます.当然,特徴も来歴も日本の漫画とはだいぶ異なるのですが,ここではカタカナで「マンガ」としておきます.


 1959年,ゴシニは主にマンガ(BD)の作家仲間たちと共同で『ピロット』誌を立ち上げます.↓が創刊号の表紙です.


 この創刊号にはすでに,『アステリクス』を筆頭に,以降伝説となるようなマンガが多数掲載されています.そこに,マンガ嫌いのサンペが描いた『プチ・ニコラ』も並んでいるのです.


「『グラフィックの観点から,「ピロット」誌でもっとも重要なのは,極めて多彩な美的表現が掲載されている点である.多種多様な表現がズラリと一揃い,とも言えようか.そこにはありとあらゆるジャンルが描かれている.編集責任者は個人的にはお笑いの分野が好きだが,それだけではぜんぜんないのだ.』」(id.)

*おそらく以下の書からの引用です.Pascal Orly, Goscinny. La liberté d'en rire, Perrin, 2007.


 編集責任とは,もちろんゴシニを指します.ゴシニは個人的には,幻想譚やSFは全く門外漢だったそうですが,それらもこの雑誌には収録されている.単に「笑わせる」ことだけを目的としたわけではない,志の高い雑誌だったのでしょう.

 こうして創刊以来6年もの間,『プチ・ニコラ』は『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙と『ピロット』誌の2つの紙面に同時に掲載されることになります.前者は地方の週刊紙,後者は同じ週刊でも全国誌.ですから読者もだいぶ異なります.これに加えて,1960年からは書籍の刊行も始まりますから,3つのメディアで同時に登場していたことになります.そりゃすごい.


 今でこそテーマ・パークまでできて,フランスのマンガといえば!で常に1番に名の上がる『アステリクス』シリーズ.ベストセラーを記録したのは1964年以降だそうです.それにしても,『アステリクス』シリーズと『プチ・ニコラ』が同じ一つの雑誌に掲載されているなんて,本当に贅沢な時代だったと言えるでしょう.



 最後に,『ピロット』誌の1964年10月22日号に掲載された,ニコラの出席した式典のイラストを紹介しておきましょう.本書(『大全』p.160)に掲載されているものです.



「ゴシニが西暦2000年の式典を想像して書いた文にアルベール・ユデルゾがつけたイラスト」です.私はぱっと見,当たり前のようにサンペのイラストだと思ってしまいました.そのくらい,ニコラたちの特徴がよく出ています.それにしてもゴシニがつけた文章がどんなふうだったのか興味津々ですが,ここには掲載されていません(それとも,以下で引用する短い文章だけなのでしょうか???).いつか,原文(があるなら,それ)を見つけて番外編として紹介できると良いのですが.

 

「ニコラは文部大臣.麗しき細君のマリ−エドヴィージュを伴い,二人並んでゆっくりと歩を進める.後に続くのは7人の息子たち.アルセスト,ジョフロワ,ウード,クロテール,ジョアキム,リュフュス,それにアニャン.この立派な家族を『ゴリラ』ことサンペがいかめしい表情で見張っていた.」(p.160)


 1,2,3,4...アレっ?8人いる.フランスにも座敷童が?!

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