Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.67-p.73.
いざ,『プチ・ニコラ』の誕生へ向けて.まずは「ニコラ」の名前からです.
p.67〜「『プチ・ニコラ』,最初の一歩」を章とすると,本章は幾つかの節に分けられています.最初の節の題名は「名前のついていない登場人物」(p.69)です.ここではサンペが「ニコラ」の名付け親であったことが明かされています.
サンペは『ムスチーク』誌にイラストを発表し始めていました.そのなかには,小さな男の子が登場し,よくその子のいたずらが描かれていました.この「小さな男の子」は一人でよく登場するのか,あるいはよく似た子が何回も出てくるのかわかりませんでした.サンペはそんなことに頓着していなかったようです.これが雑誌の編集部の目に止まります.
「一人の登場人物としたら,いいんじゃない?」,とサンペは提案を受ける.
「僕〔サンペ〕は正式な登場人物なんて作る気はなかったんだ.たんに一人の小さな男の子が登場して,とんでもないことをしでかす.僕のイラストには,そんな子がよく,何度も出てきていたんだ.『ムスチーク』誌の編集長がね,その子に名前をつけろっていうんだよ.」(p.69)
『ムスチーク』誌1954年5月2日号に掲載された,ニコラ以前の「小さな男の子」(p.68)
「もうほんの少しだけ左だよ」
『ムスチーク』誌1954年6月2日号(p.69).名無しで登場するのはこの号が最後で,次の回からは「ニコラちゃん(プチ・ニコラ)」となる.
こうして,小さな男の子は「ニコラ」と命名されます.これに対して,『プチ・ニコラ』のその他の登場人物,すなわちニコラの変な名前のクラスメートたち(アルセスト,アニャン,リュフュス,ウードなど)や,登場する,やっぱり変な名前の大人たち(「だし汁(ブイヨンさん)」や,ムシュブム氏,クルトプラック氏など)の生みの親はゴシニでした.
1955年の夏,サンペはパリのモンマルトルに住んでおり,仕事をもらおうと幾つもの雑誌社に通うため,よく66番系統のバスに乗っていました.ある日,『ムスチーク』誌の編集長がパリにいて,サンペにイラストを3枚持ってくるよう依頼がありました.いつものように66番のバスに乗ったサンペは,バスの側面の広告に目を留めます.そこには,有名なワイン会社の広告がありました.
「そうだ,「ニコラ」にしよう!」,とサンペは決めたのです.編集長との面会で,サンペが言います.「あれの話ね,『ニコラの冒険』とか『プチ・ニコラ』とか,お好きにどうぞ.」(p.70)
1950年代に走っていたバスには,まだデッキがついていました.p.70に掲載されているバスは,サンペがよく使っていた66番系統ではありませんが,「ワインのニコラ社」の広告がはっきりと写っています.
デッキのついた緑色のバス.これが『プチ・ニコラ』において,ニコラの住んでいるところを特定する唯一の手がかりと考えられます.でも,後にゴシニも,ニコラたちがどこで暮らしているのか,わざわざ分からないように書いていたのです.
ニコラは「どこにでもいるし,どこにもいないんだ」.後のサンペの言葉です.「『プチ・ニコラ』で描かれる出来事がどこで起きるか,僕らはとりわけ場所がわかるようにしたくなかったんだ.僕のイラストでは,いつもそうしていたよ.」(p.70)
実際には,この緑のデッキつきバスは,自動車会社であるルノー社がパリ交通公団(RATP)のために製造したTNH4型で,これを見ることができたのはパリの市内に限られていました.それならニコラはパリっ子に違いないはずですが,『プチ・ニコラ』はあくまでお話ですし,そもそも作者(二人の著者)が「どこにでもいるし,どこにもいない」ように工夫を凝らしたというのなら,無理にシティーボーイと考える理由はありません.もっと普遍的な性質を持った登場人物と言えるでしょう.パリのニコラ,ボルドーのニコラ,あるいはニューヨークや東京のニコラだっていいんです.
ちなみに,デッキつきバスは1971年に廃止されてしまったそうです.残念!
「僕はね,バスにデッキがついていた時代の方にずっと親近感を覚えるんだ.もう,うっとりしちゃったね,デッキには.デッキに乗ると,酷い風邪をひいたもんだ.でも,パリ特有の情景の一部だったんだ.僕なんて,そりゃうっとりしちゃってね.デッキつきのバスの絵を描くのが好きだったんだ.それなのに今,バスを描きたくなる?今のバスときた日にゃ,どれもこれも,観光バスか配達のトラックみたいだろ?」(p.70)
『プチ・ニコラ』でもバスが登場します(166, 219).サンペが描くそのバスはといえば・・・もちろん,デッキつきバスに決まっています.(166)は1963年に『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』誌,(219)は未刊行集の刊行時の2009年にサンペが独自につけたイラストです.ですから両者には40年以上の開きがあるのですが,それでもやっぱりバスにはデッキがついていて,しかも何と!66番系統なのでした.
画家にとって自然の風景とか写実というのは,記憶と心の画像を意味するようです.
ちなみに,pp.72-73には見開きで,Figaro littéraire誌(2004年10月7日号)にバスのイラストが掲載されています.日本でも人気の,あの画家の宣伝もバスの側面広告に.それにやっぱり66番だし.
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