Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.151.
「最高傑作,かも?」(« C'est un des meilleurs »)
フランス語の形容詞bonの最上級meilleur.だから,「最も良い,一番良い」なんですが,英語と同様,「最高のものの一つ」という表現があります.最高のものが複数あったら,「最」高じゃないな,と日本語で真に受けてしまうと,何ともおかしな表現となります.ちなみに私は,今でも,この表現に慣れない.別に「最高のものの一つ」と何も考えず,素直にストレートに訳せば良いだけなんですが,どうにも違和感が拭えない.最高がたくさんあったら,そんないいことはないじゃないかと理解しつつ,それでも,その中でそれじゃ,順位を付けるとすれば?と思ってしまうのです.価値ってのはややこしい.
それはともかく,本節はヴァカンスからも,イズノグードからも離れて,ウードのお兄さんの「ジョナス」についてのお話をサンペが褒めたという逸話の紹介です.あ,でも,以下で書くように,サンペはヴァカンス中であるようなので,本章からまったく外れた内容,ということではなさそうですが.
1963年6月26日,サンペは南フランスのビオットという小さな村にいて,そこからゴシニに手紙を書きました.ゴシニが送ってきた原稿を読んだサンペは,お話をよほど気に入ったらしく,絶賛しています.
「ビオット,1963年6月26日
ルネ,
「ウードのお兄さん」はすごくいいね.君の書いた中でも,最高傑作の一つだ.こんな風にせっせと仕事を続けてくれ,あ〜かわいそなやつ!でも,仕事すれば6週間の外出許可はもらえるさ.
じゃあね〜.
ジャン-ジャック
僕はここビオットで,仕事,仕事,また仕事で,哀れな毎日さ.
もうイラスト本なんてやりたくないね.小説家になりたいよ(噂では,シムノンは大儲けしてるそうだ.才能なんて,ないくせにね.ぜんぶはったりだよ).」
(p.151. 1963年6月26日付,サンペからゴシニへの手紙)
かなりわかりやすい褒め方で,説明の必要もなさそうです.サンペはウードのお兄さんのジョナスのお話(83)を「最高傑作の一つ」と書いていますから,少なくとも,サンペがこのお話を気に入っていたのは間違いありません.でも・・・,と,いつも余計なことを気にする私は,ちょっと考えてしまいました.確かにお話の出来は褒めているのですが,この手紙にはもう一つ,重要な情報が盛られています.それはもちろん,「仕事」.「じゃあね〜」の前の部分を読むと,「こんな風にせっせと仕事を続けてくれ」,「あ〜かわいそなやつ!」とあります.つまり,(おそらく)パリにいるゴシニは仕事ばかりしていて可哀想にね〜,と皮肉をこめて書いているのです.それも,このまま仕事を継続すれば,「6週間の外出許可」をもらえるよ,とわざわざ「ジョナス」のお話に合わせて,軍隊用語を用いています.ニュアンスとしては,ですから,軍隊のように毎日毎日規律に従い精励恪勤,休みもなしに働き続けている生真面目なゴシニを揶揄していることになるでしょう.すると,その仕事に追われているゴシニに対して,手紙を書いているサンペはといえば・・・,文面では「仕事,仕事,また仕事」で働きづめのような書き方をしていますが,実際はどうなのでしょうか?
状況を整理してみましょう.時は6月26日.すなわち,フランス人が通常,毎年楽しみにしているヴァカンスが始まるのが,大体7月半ばから8月いっぱいの6週間とすると,サンペはいち早く,ヴァカンスに出ているのではないでしょうか.それは場所でわかります.南仏のビオット.プロヴァンス-アルプ-コート・ダジュール地域,カンヌとニースに挟まれた有名な避暑地アンティーブのそばの村です.鷲ノ巣村の一つに数えられることもあるようです.つまり,「仕事,仕事,また仕事」とはいえ,それは自分の「イラスト本」のための仕事で,それなら場所を選ばないだろうということで,早々に南仏に移動し,早々にそして優雅にバカンスを楽しんでいるのでしょう.
シムノンは大衆作家として軽蔑しているようですが,手厳しい評価はともかくとして,小説家〜物書き,いわば文章を生業とする人を引き合いに出すのが目的のようです.つまり,ずばり,南仏でヴァカンスを満喫する自分と,パリで執筆に勤しむゴシニを対比させたいわけです.言わずもがなですが,ゴシニを貶めているのではなく,サンペのいつもの皮肉っぽい軽口で,からかっているわけです.
そのように読んでくると,「最高傑作の一つ」という表現の意味が,俄に変わってくるような気がします.それは文字通りの「傑作」の意味というより,いやあ〜よく書けたね,お仕事ご苦労さん!仕事づくしで大変だね,僕は南仏でのんびりしているよ,と言いたいがための,対比を強調する表現であるように思えてくるのです.もちろん,最初に書いた通り,サンペは「ジョナス」はよく書けていると考え,このお話を気に入っているのは確かでしょう.ですが,ここで伝えたいのは,「傑作」という褒め言葉であるよりも,親しい間柄のみで許される,イヤミ,ヒニク,カラカイのニュアンスだと思うのです.
ちなみに後に「ジョナス」と名付けられるこのお話が『シュッド・ウェスト・ディマンシュ』紙に掲載されたのは,1963年7月7日.この手紙の約2週間後ですから,二人の仕事のペースを伺うという意味でも,興味深い手紙です.
それにしても,この後,ゴシニは「6週間の外出許可」を得て,ヴァカンスに出かけたのでしょうか.気になるところです.
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